アメリカ人禅僧 トーマス・カーシュナー師とめぐる臨川寺と天龍寺の特別拝観【臨川寺 編】へ

4月24日(日)は待ち遠しく以前から楽しみにしていた日でした。以前も説明しましたが、今年は、臨済宗を開かれた臨済義玄禅師の1150年遠諱、ならびに日本臨済宗中興祖である白隠慧鶴禅師の250年遠諱にあたり、それを記念して「春の京都禅寺一斉拝観」を実施されています。

そして、その記念事業の一環として、霊亀山 臨川寺が20年ぶりに公開されることになりました。この喜びは言うまでもありませんし、直ぐに申込をした次第です

臨川寺は、天龍寺開山夢窓疎石(夢窓国師)が1351年(正平6年)に入寂したところで、その廟所です。通常公開される事はありませんが、遠諱を記念して特別に、禅文化研究所主催にて、アメリカ人禅僧 トーマス・カーシュナー師とめぐる通常非公開の臨川寺と天龍寺の特別拝観を実施されました。 臨川寺が特別公開されるのは、実に20年ぶりとなります。拝観実施日:4月16日(土)、4月24日(日)、4月30日(土)、5月4日(水)、5月10日(火)、5月16日(月)、5月22日(日)の計7回。所要時間:10時00分~13時30分解散。参加費:6000円(天龍寺篩月での昼食も含みます)。

参加費が6000円と少し躊躇するところですが、まったくなかったです。その証拠に各コースともすぐに売り切れましたしね。当日は、約40名が参加されてましたが、問題は、天気でした。私が予約拝観すると・・・ほぼ雨になるからです。前日には雨の予報が出てましたが、当日は曇りの予報。そして結果は時々晴れてくれました。そして9時40分、20年固く閉ざしてた山門前に行くと・・・。

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禅文化研究所の担当者の方と トーマス・カーシュナー師が立っててくれてました。拝観券は無いので、事前に振り込んだ用紙を念のため持参してきましたが、必要なかったです。名前を言ったら、確認され由緒書をもらい中に入りました。

20年前には、ここに嵐山美術館があったと記憶しています。そこに会社の同僚が来られて、誘われたんですけど・・・当時は、お寺に興味が無かったもので・・・。山門を入ったら、中門まで長い石畳が続きます。

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想像してたより長い参道でしたね。あとで トーマス・カーシュナー師が、「清掃するのが大変なんですよ」と話されてました。そしてツアー開始時間まで15分、ここで待つことに。既に20名以上の方がお待ちでした。

10時なると、まだ来られてない人も何名かいましたが、ツアーが始まりました。禅文化研究所の担当者から挨拶のあと、 トーマス・カーシュナー師が挨拶されました。

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個人的には天龍寺でお見かけしたことはありました。話を聞くのは始めてでしたが、日本語お上手です。驚くことに、漢字も書かれるです、あとで分かりますが・・・。

ここで中門を開けられますが、禅文化研究所の担当者から提案があって「皆さん誰も写り込まない写真を撮りたいだろうし、門から先は進まないで、順番に変わって下さい」とありました。これは有り難いですよね。その開けられた中門の扁額に注目です。

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「三會院(さんねいん)」と書かれた扁額は、室町幕府3代将軍・足利義満の直筆によるものとか。その話が先にありました。

「三會」とは、弥勒菩薩が出現し龍華樹(りゅうげじゅ)の下で三度説法をされることで、後醍醐天皇は臨川寺を「龍華三會」の寺とすることを願って創立さりたで、本堂を三會院と呼ぶらしい。

そして初めて見る臨川寺の全景です。先ずは正面の本堂から。皆さん横一列で撮影会の開始です。40名もいるので、終わったら後へ下がります

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次ぎに前に出て、書院を撮影です。そして左が庫裏です。かつての嵐山美術館は何処に

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この前庭も綺麗ですよね。砂紋が描かれてたので、早朝から手入れされたのでしょう。龍安寺の石庭より広いと言われてました。

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主催側の粋な計らいで、誰も居ない本堂をゆっくり撮影できました。正面から左へ右へと皆さん好きな角度から撮影されてました。

皆さんの撮影が終わると、中門を入って左側から本堂に向かいます。そして本堂に入りますが、残念ながら堂内は撮影禁止でした。

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堂内は、スリッパに履き替え入ります。内部は想像していたより広かったです。そして全員が入るとトーマス・カーシュナー師から堂内についての案内か始まりました。

建物の建築時期は不明ですが、天龍寺の中では一番古く、江戸中期と考えられています。そして堂内の中央に、ご本尊の弥勒菩薩像を安置。堂内の右側には、後醍醐天皇や成良親王(ときながしんのう)の位牌や足利尊氏を初めてとする足利将軍の位牌が安置さされていました。そして左側には、臨川寺住職の位牌(最近では天龍寺の管長)を安置。そしてその奥には、臨川寺でもっとも神聖な場所である開山堂がありました。夢想国師の木像が安置されてる、その床下に埋葬されてるそうです。

夢想国師の木像は、存命中に作成されたらしく臨場感がありました。10分足らず案内していただきました。そのあとは、たっぷり自由時間です。まずは開山堂を。トーマス・カーシュナー師が是非見て行ってほしいと言われてたので、真っ先に行きました。

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夢想国師の遺言により、成良親王の西に埋葬され、九山八海石という蓮華形の石をその上に置き、そこに祠堂を建て、その上に夢想国師の木像が安置されています。金網越しに見えるのは「蓮華石」でその石棺に夢想国師は眠られています。

次ぎに成良親王(ときながしんのう)の墓所で、ここは宮内庁が管理されています。

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本堂の裏手にあって、普段入ることのできない臨川寺内にあるので、目にするのは貴重なものです。多分、殆どの方が見られたかと思います。

自由時間がたっぷりあるので、各自好き所に行って写真です。私も本堂から見たを撮影しました。

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ここから見ると、中門からその先の山門まで、一直線に続いているのが分かります。天気も良いので最高の気分でした。

中央の石は「三尊石」で釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩を表し、四方に十六羅漢を配置して法話を説いてる姿から「龍華三会の庭」と呼ばれてるそうです。

しかし、 トーマス・カーシュナー師の案内では、庭の中央石は弥勒菩薩を表し、作庭した・・・名前は忘れましたが画家さんらしく・・・そのような案内だったよに記憶しています。(行ってからかなり日数がたってしまい忘れてしまいました)

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細かい事は置いといて普段公開されてないのに、綺麗に砂紋か引かれています。現在は等持院と同じく、管長さんが住職さんを兼務されていますが、実質的にはトーマス・カーシュナー師が管理されてて、手入れが大変だと・・・言われてました。

時間はたっぷりあるので、一つづつ見ています。次が庫裏です。中には入れませんでしたが、外から覗くことはできました。

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ただ何もないです。襖絵もありません。見所・・・まったく無しです。ただ前途のとおり、かつてあった嵐山美術館の面影は探しましたが・・・分からずじまいです。

最後に書院です。多くの方が書院前に腰掛けて座られて時間を待っておられます。そこで禅文化研究所の担当者に「上がっても良いですか」と尋ねたら、「良いですよ」と。それなら中を散策です

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ここも襖絵はありません。ただ中央には、夢想国師の木像が安置されてました。先程見せて貰った本堂内とは随分姿が違ってましたね。

書院を出たら皆さん、トーマス・カーシュナー師と記念撮影されています。その中に女房の姿も。ちゃっかりツーショットを撮ってもらってました

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私は単独で撮らせてもらいましたが、思い切り逆光でした。熱心に案内していただき有り難かったです。

11時10分になると、裏門前に集合して、そこから臨川寺を出ました。

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臨川寺の拝観を終え裏門から出ると、そこには京料理とフレンチが融合MITATEの前に出てます。本来なら驚いたと書けば良かったののに、そは地元・・・知ってました。

次は天龍寺に向かいます。連休前で混雑する中、拝観受付のある庫裏に入らず法堂の特別拝観に入れました。ここも何度も来てるで(いつもホストです)、

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昼間なら、この法堂の前には一杯車が止まっていることでしょう。こうして別の日に早朝に行けば、車の止まっていない、法堂の写真が撮れます。法堂へは裏の入口が入ります。入ると拝観受付がありますが、我々はそのままスリッパに履き替えて中に入りました。

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皆さんの邪魔にならず後で待機してました。皆さん「龍図」を見られていますが、この堂内は天龍寺で唯一、「撮影禁止」は、ここだけです(天龍寺の偉いさんに聞きました。)。次が、食事の会場ですが、続きます。

【天龍寺塔頭 臨川寺 本堂】



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