アメリカ人禅僧 トーマス・カーシュナー師とめぐる天龍寺の特別拝観【天龍寺 編】へ
精進料理を美味しくいたたぎしたが、母が入院している病院にも行かなくては行けないので、何度も行ってる天龍寺の拝観は断って帰ろうかと計画してました。しかし、スケジュールを見ると普段入れない所に行けるみたいだし、この先も楽しみにしてました。
天龍寺篩月で昼食時に2班に分けられ、私の組は大方丈内に入って、トーマス・ガシュナー師が案内されます。私が天龍寺に行くのに早朝しか行かないので、こんな昼の遅い人の多い時間に来るのは初めてです。
ルートは通常拝観同じ庫裏から。いつものように前管長・平田精耕による「達磨絵」を見ながら奥へ。
この頃、藤の花が見頃だってですよね。ツツジもキリシマツツジも。
先ずは、室内から曹源池庭園の説明です。しかし、見慣れた風景だし申し訳無いが、誰も居ない大方丈の撮影です。
中央には、外から絶対見えない観音様が安置されてました。これは感激しましたね、普段みられないから。写真も撮れたかも知れませんが、躊躇したのが後悔です。
こちらは、大方丈前庭を見ています。拝観者は拝観料を納めて最初に見る風景でしょう。ただし、北門から入ったら別ですが・・・。
こちらは曾我蕭白(そが しょうはく)34歳の作品「雲龍図」です。
ボストン美術館が所蔵する曽我蕭白(そがしょうはく)の最高傑作「雲龍図」全8面の高精細複製品を綴プロジェクトから天龍寺へ寄贈さけたもの。
次ぎに小書院に移動します。ここは普段から入れるので人で一杯
しかし、畳の上で寝るのは禁止されてます。でも・・・殆どが外国人観光客・・・異国に来たみたい。
ここで、茶室見学者を待ちました。多分、しつこく写真でも撮ってるやろ・・・とイライラすると帰って来られました。次は非公開の祥雲閣(しょううんかく)の見学です。
天龍寺には何度も来ているので、茶室の場所は知ってましが、果たして何処から入るのかと・・・ここに来るまでづっと疑問に思ってました。答えは・・・ここだったか・・・です。
一般拝観では、小書院から多宝殿まで渡り廊下を通って行きます。その小書院横に、通常は「立ち入り禁止」と書いてある渡り廊下がありました。答えは、ここだった訳です。
ここは禅文化研究所の担当舎の方が案内していただきました。最初は、皆さん記念撮影をしたいので、茶室の手前で写真撮影です。
祥雲閣は、表千家にある茶室「残月亭」を写したもので、12畳敷きの広間に2畳の上段の間を設け床の間とする形式になっています。なお、残月亭はもと千利休が聚楽屋敷に作ったもので、表千家にある広間の中で格式の高い茶室です。
豊臣秀吉は、この(聚楽亭)「残月亭」から名月を眺めたのでしょうかね。1934年(昭和9年)に、関精拙(せき せいせつ)管長に完成。監督は、裏千家の岡田永斎氏が努めたとの事です。
今日は臨川寺から禅堂、そして茶室。普段入ることができない天龍寺を思い切り堪能しました。この企画は良かったですね。ここからの風景は、貴重な体験となりました。
次ぎにお隣の甘雨亭(かんうてい)に移動ですが、ここは狭いので中々人が途切れないので全景は諦めました
。
甘雨亭は4畳半台目の茶室で、通い口前に三角形の鱗板(うろこいた)をつけるのが特徴です。天龍寺では祥雲閣を広間。甘雨亭を小間と呼ばれています。
私もそうですが、皆さん祥雲閣や甘雨亭を行ったりきたりして写真撮られてました。時間は15分しかありませんでしたが、充分楽しむことができました。
15分がきたので、事務方より小書院の移動を促されますが、なかなかしつこく写真を撮られている方がいるので、少し遅れてしまいますね。前の組も遅かったのは、多分・・・そのためでしょう。
13時30分に小書院に再び集まって解散です。ここから皆さん自由行動だし、渡り廊下を通って多宝殿に行かれる方が殆どでしたが、私は急いで曹源池庭園を見るために、そちらに向かいました。
私のブログで、昼からの曹源池庭園の写真は珍しいです。いつも早朝に行くので・・・。こんなに混雑している曹源池庭園も初めての体験でしたし、今回は、ここだけ見て直ぐに天龍寺をあとにしました。
臨川寺に始まって、禅堂や茶室の拝観もついてて、この日は本当に堪能できました。この日参加でき良かったですし、またこのような企画があればと思いつつ帰路につきました。
余談ですが、5月に入院することになり、この記事を6月中旬に書くことになりました。もう随分月日は流れてしまいました。記憶を頼りに写真を見ながら書いていると、当日の楽しい思い出が蘇ってきました。
【天龍寺 祥雲閣 甘雨亭】

天龍寺篩月で昼食時に2班に分けられ、私の組は大方丈内に入って、トーマス・ガシュナー師が案内されます。私が天龍寺に行くのに早朝しか行かないので、こんな昼の遅い人の多い時間に来るのは初めてです。
ルートは通常拝観同じ庫裏から。いつものように前管長・平田精耕による「達磨絵」を見ながら奥へ。
この頃、藤の花が見頃だってですよね。ツツジもキリシマツツジも。
先ずは、室内から曹源池庭園の説明です。しかし、見慣れた風景だし申し訳無いが、誰も居ない大方丈の撮影です。
中央には、外から絶対見えない観音様が安置されてました。これは感激しましたね、普段みられないから。写真も撮れたかも知れませんが、躊躇したのが後悔です。
こちらは、大方丈前庭を見ています。拝観者は拝観料を納めて最初に見る風景でしょう。ただし、北門から入ったら別ですが・・・。
こちらは曾我蕭白(そが しょうはく)34歳の作品「雲龍図」です。
ボストン美術館が所蔵する曽我蕭白(そがしょうはく)の最高傑作「雲龍図」全8面の高精細複製品を綴プロジェクトから天龍寺へ寄贈さけたもの。
次ぎに小書院に移動します。ここは普段から入れるので人で一杯

ここで、茶室見学者を待ちました。多分、しつこく写真でも撮ってるやろ・・・とイライラすると帰って来られました。次は非公開の祥雲閣(しょううんかく)の見学です。
天龍寺には何度も来ているので、茶室の場所は知ってましが、果たして何処から入るのかと・・・ここに来るまでづっと疑問に思ってました。答えは・・・ここだったか・・・です。
一般拝観では、小書院から多宝殿まで渡り廊下を通って行きます。その小書院横に、通常は「立ち入り禁止」と書いてある渡り廊下がありました。答えは、ここだった訳です。
ここは禅文化研究所の担当舎の方が案内していただきました。最初は、皆さん記念撮影をしたいので、茶室の手前で写真撮影です。
祥雲閣は、表千家にある茶室「残月亭」を写したもので、12畳敷きの広間に2畳の上段の間を設け床の間とする形式になっています。なお、残月亭はもと千利休が聚楽屋敷に作ったもので、表千家にある広間の中で格式の高い茶室です。
豊臣秀吉は、この(聚楽亭)「残月亭」から名月を眺めたのでしょうかね。1934年(昭和9年)に、関精拙(せき せいせつ)管長に完成。監督は、裏千家の岡田永斎氏が努めたとの事です。
今日は臨川寺から禅堂、そして茶室。普段入ることができない天龍寺を思い切り堪能しました。この企画は良かったですね。ここからの風景は、貴重な体験となりました。
次ぎにお隣の甘雨亭(かんうてい)に移動ですが、ここは狭いので中々人が途切れないので全景は諦めました

甘雨亭は4畳半台目の茶室で、通い口前に三角形の鱗板(うろこいた)をつけるのが特徴です。天龍寺では祥雲閣を広間。甘雨亭を小間と呼ばれています。
私もそうですが、皆さん祥雲閣や甘雨亭を行ったりきたりして写真撮られてました。時間は15分しかありませんでしたが、充分楽しむことができました。
15分がきたので、事務方より小書院の移動を促されますが、なかなかしつこく写真を撮られている方がいるので、少し遅れてしまいますね。前の組も遅かったのは、多分・・・そのためでしょう。
13時30分に小書院に再び集まって解散です。ここから皆さん自由行動だし、渡り廊下を通って多宝殿に行かれる方が殆どでしたが、私は急いで曹源池庭園を見るために、そちらに向かいました。
私のブログで、昼からの曹源池庭園の写真は珍しいです。いつも早朝に行くので・・・。こんなに混雑している曹源池庭園も初めての体験でしたし、今回は、ここだけ見て直ぐに天龍寺をあとにしました。
臨川寺に始まって、禅堂や茶室の拝観もついてて、この日は本当に堪能できました。この日参加でき良かったですし、またこのような企画があればと思いつつ帰路につきました。
余談ですが、5月に入院することになり、この記事を6月中旬に書くことになりました。もう随分月日は流れてしまいました。記憶を頼りに写真を見ながら書いていると、当日の楽しい思い出が蘇ってきました。
【天龍寺 祥雲閣 甘雨亭】