サムハラ呪符 鎌達稲荷神社へ
西寺跡がある唐橋西寺公園を出ても、まだまだ時間がありました。随分早く家を出たもんです。それならと、以前から計画していたとおり、お隣の鎌達稲荷神社(けんたついなりじんじゃ)に寄りました。
場所は、唐橋西寺公園北側の東隣に、目立たないようにひっそりと鳥居がたっています。恐る恐る鳥居をくぐると、まだ7時前でしたので境内には誰も居ません。
鳥居をくぐると正面が社務所。東側に本殿がありました。
御祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのかみ)、猿田彦命(さるたひこのみこと)の二柱。ここを調べてて、以前から「サムハラ呪符」と言う文字が気になってました。
その北隣のには、末社の白菊稲荷大神が祀られています。
ここから本殿の右端を進み奥に入ります。普通なら見逃してしまいそうですが、事前に調べて「サムハラ呪符」に重要な「塚」があるこを知りました。
写真左から「宇賀神塚(うかのかみのつか)」「浄蔵貴所之塚(じょうぞうきしょのつか)」「黒住大明神(くろずみだいみょうじん)」「阪杦大明神(さかすぎだいみょうじん)」ですが、ここでの注目は、浄蔵貴所之塚なんです。
平安期の比叡山の山伏・呪術僧として知られる浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)は、一条戻り橋の蘇生伝説や、八坂の塔の傾きを法力によって直した伝説を持つ高僧です。そして幸運・勝負運の御利益を招き、奇跡を起こす強烈なパワーがあると云われています。この法力にあやかったのが、サムハラ呪符なんです。
今日は、出勤前だし朱印帳は持ってきてまん。それよりまだ7時前だし仮に呼び鈴があったとしても、押すわけがないです。それでも鳥居の正面にある社務所だけは覗いてみました。
社務所の前に手水鉢があました。今日は省略してしまいましたが・・・。それより、社務所の前にあった案内を読むと・・・。
書棚に書き置きの朱印がありました。財布の中には300円もありました。ここに来るまでにコンビニでお昼用のパンと牛乳を買ったので、お釣りが心配でしたが・・・ありました。その代金を朱印が入ってた書棚に入れたら良いのか・・・どうにかこうにか探すと・・・本殿前のお賽銭箱に入れた良いみたいで・・・再度お参りして、お賽銭入れました。また、由緒書きもありましたが、こちらは心持ちでした・・・しかし・・・私の財布には小銭が・・・なかったです。
足早に来て、足早に去って行きました。ただ朱印はありがたかったし、由緒書きもいただけて良かったです。
奈良時代初期の711年(和銅4年)に鎮座したとされ、伏見稲荷大社よりも歴史が古く「元稲荷」とも伝えられています。元は陰陽師・安倍晴明の子孫である阿部土御門家の鎮守社だったそうで、平安京および民衆のために天下泰平・五穀豊穣を祈願したとも伝えられています。明治まで梅小路に社地がありましたが、当時の鉄道院による梅小路軌道拡張のため、1911年(明治44年)に現在地の唐橋に遷座しました。
7月13日の訪問から・・・5日後・・・再訪しました。まだ・・・その時の記事をアップしてなので詳細は書けませんが・・・忘れ物を・・・撮りに来た・・・でした(5日後の天気は朝から快晴でした)。
西寺跡でも書きましたが、この時は薄陽がさす天気でした。会社に着いて、暫くして窓の外を見ると風景が一変してて、雷を伴って猛烈な風と雨が降ってきました。夏の天気の急変は本当に要注意ですね。
【鎌達稲荷神社 本殿】
場所は、唐橋西寺公園北側の東隣に、目立たないようにひっそりと鳥居がたっています。恐る恐る鳥居をくぐると、まだ7時前でしたので境内には誰も居ません。
鳥居をくぐると正面が社務所。東側に本殿がありました。
御祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのかみ)、猿田彦命(さるたひこのみこと)の二柱。ここを調べてて、以前から「サムハラ呪符」と言う文字が気になってました。
その北隣のには、末社の白菊稲荷大神が祀られています。
ここから本殿の右端を進み奥に入ります。普通なら見逃してしまいそうですが、事前に調べて「サムハラ呪符」に重要な「塚」があるこを知りました。
写真左から「宇賀神塚(うかのかみのつか)」「浄蔵貴所之塚(じょうぞうきしょのつか)」「黒住大明神(くろずみだいみょうじん)」「阪杦大明神(さかすぎだいみょうじん)」ですが、ここでの注目は、浄蔵貴所之塚なんです。
平安期の比叡山の山伏・呪術僧として知られる浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)は、一条戻り橋の蘇生伝説や、八坂の塔の傾きを法力によって直した伝説を持つ高僧です。そして幸運・勝負運の御利益を招き、奇跡を起こす強烈なパワーがあると云われています。この法力にあやかったのが、サムハラ呪符なんです。
今日は、出勤前だし朱印帳は持ってきてまん。それよりまだ7時前だし仮に呼び鈴があったとしても、押すわけがないです。それでも鳥居の正面にある社務所だけは覗いてみました。
社務所の前に手水鉢があました。今日は省略してしまいましたが・・・。それより、社務所の前にあった案内を読むと・・・。
書棚に書き置きの朱印がありました。財布の中には300円もありました。ここに来るまでにコンビニでお昼用のパンと牛乳を買ったので、お釣りが心配でしたが・・・ありました。その代金を朱印が入ってた書棚に入れたら良いのか・・・どうにかこうにか探すと・・・本殿前のお賽銭箱に入れた良いみたいで・・・再度お参りして、お賽銭入れました。また、由緒書きもありましたが、こちらは心持ちでした・・・しかし・・・私の財布には小銭が・・・なかったです。
足早に来て、足早に去って行きました。ただ朱印はありがたかったし、由緒書きもいただけて良かったです。
奈良時代初期の711年(和銅4年)に鎮座したとされ、伏見稲荷大社よりも歴史が古く「元稲荷」とも伝えられています。元は陰陽師・安倍晴明の子孫である阿部土御門家の鎮守社だったそうで、平安京および民衆のために天下泰平・五穀豊穣を祈願したとも伝えられています。明治まで梅小路に社地がありましたが、当時の鉄道院による梅小路軌道拡張のため、1911年(明治44年)に現在地の唐橋に遷座しました。
7月13日の訪問から・・・5日後・・・再訪しました。まだ・・・その時の記事をアップしてなので詳細は書けませんが・・・忘れ物を・・・撮りに来た・・・でした(5日後の天気は朝から快晴でした)。
西寺跡でも書きましたが、この時は薄陽がさす天気でした。会社に着いて、暫くして窓の外を見ると風景が一変してて、雷を伴って猛烈な風と雨が降ってきました。夏の天気の急変は本当に要注意ですね。
【鎌達稲荷神社 本殿】