非業の御霊を供養した下御霊神社へ

京都御苑で狙いどおの百日紅を撮れて満足しましたが、早朝とは言え日差しは強く、もう汗だくです。しかし、せっかく駐車場に車を止めたので、この近辺で少しばかり未訪問の神社に寄って行くことにしました。

京都御苑の境町御門から丸太町通りに出て、寺町まで戻ります。北上すれば車を止めた御所東駐車場ですが、今度は南下します。すると東側に大きな鳥居が見えてきました。この日、2番目の訪問先は下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)です。

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以前、2度ほど訪問した御霊神社(上御霊神社)と共に創建された由緒ある神社ですが、今まで未訪問でした。

7時10分頃に着きましたが、前方から強烈な日差しを浴び、その日差しを避けながら神門(表門)をくぐりました。さすがに境内には誰も居ませんでした。

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と思ったら・・・一人境内を清掃されてました。こんなに朝早くから・・・また暑い中・・・。この表門は、旧建礼門を移築したとか。

入ると左手には手水舎があって、いつものように・・・手と口を清める時に・・・アクシデントが・・・カメラ・・・濡らしてしまった・・・

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カバーをしたつもりが・・・ここを離れたら、お二人ほど来られて、ここの水をペットボトルに入れて持ち帰られてましたね・・・名水なんでしょうか

聞くと、ここの水は御霊水と言われ京都三名水と呼ばれる「染井の水」と同じ水脈だそうです。そして次ぎに拝殿です。

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1798年(寛成10年)建立で京都指定有形文化財に指定されています。毎年5月に行われる還幸祭は有名らいしですね。私は見たことがありませんが・・・その写真が飾ってました。

そして、拝所にてお参りです。ここの社殿は、1788年(天明8年)の大火により焼失したあと、1791年(寛成3年)に聖護院宮から移築された本殿があって、その前に1793年(寛成5年)建立の幤殿が、その前に拝所がある構造となっています。

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ここも京都指定有形文化財に指定されています。二礼二拍手一礼でお参りしましたが、本殿などの建物は、よく見えないです。

御祭神は、吉備聖霊(きびのしょうりょう)、崇道天皇(すどうてんのう)、伊豫親王(いよしんのう) 、藤原大夫人(ふじわらのだいふじん)、藤大夫(とうだいぶ)、橘大夫(きつだいぶ)、文大夫(ぶんだいぶ)、火雷天神(からいのてんじん)の八座。

上御霊神社と共に創建されただけのことはあって、御祭神はほぼ同じですね。まだ7時10分頃だったので、社務所は閉まっています。

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まだ空いて無いのは分かってたんで・・・聞くと、8時30分頃には宮司さんが来られるみたいですけど、9時以降なら確実に空いてるみたいで、その時に朱印もらいに来ます。

もとは、御霊神社(上御霊神社)の南にあったことから下御霊神社と呼ばれてましたが、1590年(天正19年)に豊臣秀吉の命により現在地へ遷座されました。

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汗を拭き拭き境内を見渡すと、ここも百日紅が咲いていますが、白い百日紅でした。それにしても巨木でしたね。

次は境内社を見ていますが、拝殿の南側には藤棚でしょうかね・・・前途した百日紅は咲いていましたが・・・。先ずは境内南側にあった五座相殿社から。

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左から日吉社・愛宕社・高知穂社・大将軍社・斎部社と書いてありました。そして写真上には写ってますが、その右側には大國主社もありました。

境内の西南角には天満宮社があって、北野大神が祀られています。

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最後が、稲荷社です。狛狐があるのですぐに分かりました。

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そろそろ暑いので次ぎに向かおうとしたら、境内の隅で神輿庫と呼ばれる倉庫があって、天明の大火の際に類焼を免れて現存するそうです。

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ここからほど近い京都御所の公家邸宅など天明の大火で焼失したそうですが、ここの倉庫は土蔵であったため災難を免れたそうです。貴重な今では再現不可能な神輿も現存するそうです。

ここはまた何れ再訪し、朱印をもらいに来ます。駐車場も近いしね。そして境内の南門から外に出ました。朝早くから門が開いてて良かったです。

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次は、ここから直ぐのお寺に向かいました。早朝の駐車料金は1時間で100円で済みます。その時間にはまだだ余裕があったので、次と向かうことにしました。

【下御霊神社 本殿】



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