2016年 祇園祭(後祭)へ
懐かしい本家尾張屋を出て、車屋町通りを南下して御池通りに出ます。そして烏丸御池に出ると、そこからは提灯に照らされた山が見えてきます。
後祭は、先祭のように歩行者用道路(歩行者天国)とはなりませんし、露店も出ませんので派手さはありません。少し混雑する歩道を歩くとそこには鈴鹿山が見えてきました。
まだ薄暮の空ですが、駒形提灯に灯りが照らされて・・・やっはり良いですね。昼間の暑さも、この時間になると涼しい風も吹いてて、充分楽しめます。
ご神体は巡行時に乗せられるのでありませんが会所で見られるかと思いますが、入口が狭くて混雑してたので・・・入りませんでした。
次ぎに烏丸三条まで戻って、三条通りを西に進みます。そして室町通りを南に下ると、そこには役行者山(えんのぎょうじゃやま)がありました。
鈴鹿山と共に山鉾町最北の山で、私も初めてやって来ました・・・と言っても以前の職場は、この近くだったんですが・・・。
すると、会所の方から「どうぞ、中に入ってご神体も見て行って下さい」と声を掛けられました。
役行者山のお守りは、疫病よけや安産、交通安全をもたらすと言われていますが、ここで可愛い子供の声で「粽いらんかえ」随分はしょりましたが、見事なハーモニーで思わず、ここでも「厄除け粽」を買ってしまいました。玄関には「函谷鉾」、勝手口には「役行者山」と言うことになりました。
さらに奥に進むと、「役行者神腰掛け石」と駒形には書いてありました。この石に触れると"肩こり"から解放されとか・・・本当かなぁ・・・。
そして、少し並んでお参りさせてもらったのがご神体です。左から鬼の顔の一言主神(ひとことぬしのかみ)、真ん中に役行者、右側に葛城女神(かつらぎのかみ)。修験道の開祖・役行者が一言主神を使って葛城山と大峰の間に石橋をかけたという逸話に由来しているらしい。
混雑しているので、一回りして出て行き、そのまま室町通りを下がると巨大な風呂敷を目にしました。思わず皆さんも写真を撮られており、私もそのうちの一人です。
「祇園會・無病息災と誉田屋源兵衛 創業278年を慶ぶ278匹の鯉たちが時空を舞う」木村英輝と書いてありました。
その目の前にあったのが黒主山(くろぬしやま)です。なんだか不気味な名前だと思ったんですが・・・。
だいぶ日も陰ってきて、駒形提灯の灯りも鮮やかになってきました。しかし、今日は遅くまで居る予定はありませんので、もう・・・そろそろこの辺で帰ろうかなぁ・・・と思い着いた次第です。
謡曲「志賀」にちなみ、平安時代の六歌仙の一人、大伴黒主が桜の華を仰ぎ眺めている姿をあらわしているとか。桜は分かりましたが、ご神体は会所でしょうけど、ここは分からなかったです。
前途のとおり、ここから地下鉄で帰るため引き返しました。そして六角通りを東に進んで、最後に見たのが浄妙山(じょうみょうやま)です。
浄妙山は、源平合戦のきっかけとなった、1180年(治承4年)の宇治橋の戦いで奮闘した筒井浄妙坊明秀に由来しますが、この合戦を機に源氏が立ち上がり、平家を打ち破ったことから、勝ち運を呼ぶ山と言われているとか。
会所はビルの1階にありました。ガードマンさんが立っててこれ以上奥には進めませんが、遠目から見せてもらいました。
入口が狭いので、さっさと次の人と変わって外へ出ました。今日は行きませんでしたが、鯉山は立身出世、浄妙山は勝ち守りとされています。
今日は、後祭の雰囲気は充分楽しめました。次は巡行を見てみたいですね。まだ一度も見た事がないんです。前途したとおり、この近くに職場があった時、窓の外から鉾の先は見えてましたが・・・実際に見た事がないので・・・しかし、毎年暑いのがネックです。
後祭は、先祭のように歩行者用道路(歩行者天国)とはなりませんし、露店も出ませんので派手さはありません。少し混雑する歩道を歩くとそこには鈴鹿山が見えてきました。
まだ薄暮の空ですが、駒形提灯に灯りが照らされて・・・やっはり良いですね。昼間の暑さも、この時間になると涼しい風も吹いてて、充分楽しめます。
ご神体は巡行時に乗せられるのでありませんが会所で見られるかと思いますが、入口が狭くて混雑してたので・・・入りませんでした。
次ぎに烏丸三条まで戻って、三条通りを西に進みます。そして室町通りを南に下ると、そこには役行者山(えんのぎょうじゃやま)がありました。
鈴鹿山と共に山鉾町最北の山で、私も初めてやって来ました・・・と言っても以前の職場は、この近くだったんですが・・・。
すると、会所の方から「どうぞ、中に入ってご神体も見て行って下さい」と声を掛けられました。
役行者山のお守りは、疫病よけや安産、交通安全をもたらすと言われていますが、ここで可愛い子供の声で「粽いらんかえ」随分はしょりましたが、見事なハーモニーで思わず、ここでも「厄除け粽」を買ってしまいました。玄関には「函谷鉾」、勝手口には「役行者山」と言うことになりました。
さらに奥に進むと、「役行者神腰掛け石」と駒形には書いてありました。この石に触れると"肩こり"から解放されとか・・・本当かなぁ・・・。
そして、少し並んでお参りさせてもらったのがご神体です。左から鬼の顔の一言主神(ひとことぬしのかみ)、真ん中に役行者、右側に葛城女神(かつらぎのかみ)。修験道の開祖・役行者が一言主神を使って葛城山と大峰の間に石橋をかけたという逸話に由来しているらしい。
混雑しているので、一回りして出て行き、そのまま室町通りを下がると巨大な風呂敷を目にしました。思わず皆さんも写真を撮られており、私もそのうちの一人です。
「祇園會・無病息災と誉田屋源兵衛 創業278年を慶ぶ278匹の鯉たちが時空を舞う」木村英輝と書いてありました。
その目の前にあったのが黒主山(くろぬしやま)です。なんだか不気味な名前だと思ったんですが・・・。
だいぶ日も陰ってきて、駒形提灯の灯りも鮮やかになってきました。しかし、今日は遅くまで居る予定はありませんので、もう・・・そろそろこの辺で帰ろうかなぁ・・・と思い着いた次第です。
謡曲「志賀」にちなみ、平安時代の六歌仙の一人、大伴黒主が桜の華を仰ぎ眺めている姿をあらわしているとか。桜は分かりましたが、ご神体は会所でしょうけど、ここは分からなかったです。
前途のとおり、ここから地下鉄で帰るため引き返しました。そして六角通りを東に進んで、最後に見たのが浄妙山(じょうみょうやま)です。
浄妙山は、源平合戦のきっかけとなった、1180年(治承4年)の宇治橋の戦いで奮闘した筒井浄妙坊明秀に由来しますが、この合戦を機に源氏が立ち上がり、平家を打ち破ったことから、勝ち運を呼ぶ山と言われているとか。
会所はビルの1階にありました。ガードマンさんが立っててこれ以上奥には進めませんが、遠目から見せてもらいました。
入口が狭いので、さっさと次の人と変わって外へ出ました。今日は行きませんでしたが、鯉山は立身出世、浄妙山は勝ち守りとされています。
今日は、後祭の雰囲気は充分楽しめました。次は巡行を見てみたいですね。まだ一度も見た事がないんです。前途したとおり、この近くに職場があった時、窓の外から鉾の先は見えてましたが・・・実際に見た事がないので・・・しかし、毎年暑いのがネックです。