洛西 山ノ内「山王神社」へ

武信神社を出て、再び懐かしの三条通り商店街を通って、そのまま西に2㎞ほど進むと、嵐電の「山ノ内」駅が見えて来るので、その手前の信号を右折し、車一台分の細い通り北上すると突き当たりに鳥居が見えてきました。

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嵐電に乗っていると、電車の中から一瞬ですが見えるんです。前から気になってたので、今日は良い機会でした。

本日、訪れたのは山王神社と言い、かつて天台宗比叡山延暦寺の山門寺領で山ノ内と呼ばれてたそうです。ここには10時10分頃に到着したので、武信稲荷神社から10分程度で着いたことになります。

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境内の中央に拝殿があるようです。住宅街の真ん中にありますが、ここだけは楠の大木が何本かあって、涼しいかなぁと思いましたが・・・そんなこと無かったです。もう・・・汗だく。

鳥居の右手に手水舎がありました。ここにも作法が書いてありました・・・私は・・・ずっと間違えてましたが・・・

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右手で柄杓(ひしゃく)を取り、水を汲み左手を洗う。次に柄杓を左手に持ち替え、右手を洗う。次に柄杓を右手に持ち替え左手に水を受け、口をすずく。以上、間違えないように・・・

手水舎から社務所を横目に見ながら、先に本殿に参拝しました。

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御祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)、玉依姫神(たまよりひめのかみ)、大己貴神(おおなむちのみこと)でした。

次ぎに社務所です。先程横目で場所は確認しましたが、山王神社に朱印と由緒書きがあるかどうか分からなかったから・・・少々ドキドキです。

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社務所の呼び鈴を押すと・・・中から出て来られて、朱印をお願いしました。朱印帳を持ってきて良かったですし、カラー版の由緒書きもいただきました

山王神社の朱印をいただいたあと、「次ぎに猿田彦神社に行かれますか」と聞かれました。ネタバレになりますが、次ぎに行く予定にしていたんです。「はい、行く予定にしています。」と答えると、「猿田彦神社の朱印もここでやっています」と言われたので、次ぎに行く猿田彦神社の朱印もいただきました。

朱印をいただけたので安心して、境内を散策です。まずは末社のお福稲荷神社(左)と祖霊社(右)から。

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楠の大木の元にあって、お福稲荷神社の御祭神は、稲荷大神。祖霊社は、1972年(昭和47年)9月に創建されました。

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山王楠の呼ばれるようで、樹齢700年・・・とか・・・鎌倉時代の頃ですね。これだけでも驚きですが、セミも暑いから・・・今年はあまり鳴いてないです。

次ぎに本殿の右隣にあった若宮神社(左)と赤山神社(右)です。両社とも1878年(明治11年)に山王神社に遷移されたようです。

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若宮神社の御祭神は、湍津姫神(たぎつひめのかみ)と白山姫神(しろやまひめのかみ)。赤山神社の御祭神は、泰山符君(たいざんふくん)。

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こちらは、入口近くの鳥居や手水舎の側にある山王楠です。こちらも樹齢700年とか・・・あまりの大木のため、これだけ引いて撮りました。

その山王楠の下には、水琴窟と書かれた立て札があって、非公開のようでしたが、外から覗くことができました。

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先程の社務所で聞いてみても良かったんですが・・・そこまでは・・・。どうやら茶室もあるようです。庭園は・・・こんなもんでしょう。

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入口の鳥居近くにあった山王楠です。こちらも樹齢700年とか・・・高さ17㍍、幹の周りが390㎝もある大木です。「区民の誇りの木」と書いてありました。

まだまだ散策していると、こんなものを見つけました。立て札に「親鸞史跡」とあって・・・神社に何故親鸞が・・・と不思議に思うと・・・。

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前途したとおり、ここはかつて天台宗比叡山延暦寺の山門寺領であったので、諸国伝道布教のおり、立ち寄られても不思議ではないですよね。その時の足跡石座石のようです。

最後が本殿前にあった夫婦岩です。右が男岩、左が女岩と書いてありました。

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夫婦の和合、安産、子授けの岩として古来より両岩を撫でてお祈りするなど信仰が厚いようです。

山ノ内は、比叡山延暦寺の山門領内で、この地に良真天台座主の西の京禅房があり普賢寺という立派な堂宇像坊があったことから山ノ内と称しました。山王神社の創建は不詳ながら、比叡山天台宗の守護神として崇める坂本日吉山王大神を勧請した古い社です。

ここには10分ぐい居ました。前項で述べたリオ五輪の結果も忘れてしまうほど暑かったです。汗を拭き拭き、次の猿田彦神社に向かいました。

【山王神社 本殿】



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