京都御苑内「閑院宮邸跡」へ

宗像神社を出て、寺町行きを諦めた私は、京都御苑内のとある神社を目指すことにしました。その前に最近行ってない、閑院宮邸跡を見ていこうと思いつきました。

ここも2012年11月以来、来てないので丁度良いかなぁと。ただ、今日は月曜日だし、建物内部には入れないのは忘れてましたが・・・

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京都御苑間ノ町口を入った西、西南角に東門があります。宗像神社の正面を出たらほぼ向かいにあるので暑い中寄って行こうと思った次第てす。

東門を入ると正面に綺麗に刈り込まれた松がお出迎え。その奥に車寄があって、本来ならここから建物に入りますが、今日は月曜日のため休館日でした。

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ここに来るまで、今日が休館日だとは気が付かなかったです。建物に入って少し休憩でもしようかなぁ・・・と思ったんですが・・・。

遠目にも閉まっているのが分かったので、直ぐに本来の目的である庭園の見学に移りました。しかし、日差しが強くて・・・暑くて・・・。

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2006年(平成18年)3月に工事を終え当時の庭園が蘇りました。明治になって寂れてしまった京都御苑で、数少ない当時を知る庭園でしょう。

閑院宮家(かんいんのみやけ)は、江戸時代の皇位継承権のあるの四親王家(ししんのうけ)のひとつです。四親王家とは、伏見宮(ふしみのみや)・有栖川宮(ありすがわのみや)・桂宮(かつらのみや)をいいます。東山天皇の皇子、直仁(なおひと)親王を始祖として1710年(宝永7年)に創立。一時絶えますが、た1872年(明治5年)伏見宮載仁(ことひと)親王が再興。創建当初の建物は天明の大火で焼失。同宮家が東京に移った1877年(明治10年)以降は、華族会館や裁判所として利用され、1883年(明治16年)に旧宮内庁京都支庁が設置された際に、現在の建物に新築されました。

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綺麗に整備された庭園には池もあって、往時の貴族の暮らしぶりが垣間見えます。あの建物の内部には展示室なんかあったように・・・記憶しています。

ここより先は、2012年11月には行かなかったのか、まだ整備されたなかったのか分かりませんが、取り急ぎ奥に進むと・・・。

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ここは来客棟より庭に張り出して建てられていた和室棟の先端の座敷です。部屋からは矢跡(やあと)の残る白川石を起点に鑓水が池に注ぐ庭園の全景を眺めることができたようです。

ここの日本庭園は良かったです。ここでは庭園の整備に庭師の方が作業されていたので、ここで元に引き返しました。

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建物の内部に入れなかったので休憩できなかったのは痛かったけど、まだ見てない庭園も見られて来てみて良かったです。

ここから中立売駐車場に戻る手前に、とある神社に寄ることにしました。この神社は駐車場を探すときに偶然みつけたもので、その存在すら知らなかったものです。

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