京都御苑内「白雲神社」へ

閑院宮邸跡を出て、京都御苑内を再び北上します。行きは菅原院天満宮神社に行ったので、御苑内は歩いていません。なるべく木立の木陰を歩くと・・・遠くに白雲神社が見えて来ました。

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こんな所に神社があったとは・・・知らなかったです。明治以前、ここには公家の邸宅が所狭しと建ち並んでいたので、街の中に佇む神社・・・よくよく考えれば不思議ではありませんが・・・。

境内に入ると、左手に手水舎があって、2名の外国人観光客と鉢合わせ。直ぐに出て行かれたので、暫くは誰も居ない神社を散策です。

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京都の地中には、琵琶湖に匹敵するほどの水量があるらしいです。ですから、ここも地下水てしょうね。

そして本殿前で参拝です。その本殿に英語の張り紙があって、勝ってに直訳すると「勝手に蚊入るな」と書いてあるんでしょう・・・多分

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本殿に勝手に上がるなんて・・・しかし、外人さんは何をするのか・・・困ったもんですね。そうこうしてたら、また一人、外国人観光客が入って来られ床机に座って休憩されてました。

白雲神社は、旧西園寺家の鎮守社で、御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、「妙音弁財天」とも称し、西園寺家が琵琶の宗家であることから、音楽の神様として祀られました。1224年(元仁元年)、西園寺公経(さいおんじきんつね)が北山殿(現在の金閣寺の地)造営の際に建立した妙音堂に由来するとされてます。その後幾多の変転を経て、赤八幡京極寺にもしばらく鎮座され、1769年(明和6年)西園寺邸の移転と共に京都御苑内に移りました。明治になって西園寺家は東京へ移りますが、妙音堂は「白雲神社」として存続し現在に至っています。

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これが、その床机です。暑いので・・・それに御苑内は広いので・・・移動するにも砂利道を歩くので疲れます。外人さんも汗だくに・・・

このあと社務所を探すと、直ぐに分かりました。ただ在宅かどうか分かりませんが・・・。

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呼び鈴を押すと、中から神職さんが出てこられ、朱印をいただきました。また、A4版のカラー由緒書きもいただけました。

折角来たのでそんなに広くない境内を散策です。さっさく本殿の右奥に行ってみると・・・福寿稲荷神社がありました。

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また、左隣には「薬師石」なるものがあって、案内版を読むと・・・パワーストーンだそうです

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別名「御所のへそ石」と呼ばれ、この石を手で撫で、患部をさすると病気の治療に効験があるとか・・・私も、5月に手術をしているので、撫でてきました

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神社にパワーストーン・・・多く見かけますね。ちなみに例祭は毎年6月15日13時より。お火焚祭は11月10日14時より執行されます。

本殿周りを一周してきました。御所の木立に囲まれてて、大変境内は静かです。本殿の前は鳥居があって、境内社かと思ったんですが・・・。

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祀られてル所が何も無いようで・・・結果・・・分かりません。ここまで滞在、約10分・・・お茶も飲み干し、ここを出ます。

境内の南側から入って、次ぎに境内の西側にある鳥居から出ました。殆どの方は、ここから入られるんてしょう。

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大きな木立に囲まれているので、今まで私も気が付かずに行きすぎてました。ここから私の感想ですが、今年は・・・そんなにセミがうるさく鳴かなかったような気がします。猛暑でセミもバテた・・・かなぁ。

いただいた朱印には、琵琶の絵がありました。珍しい朱印をいただて良かったです。このあと中立売駐車場に戻って、自動販売機でお茶を一気飲み。朝からこんなに暑いないて・・・京都の夏の日中は、熱中症要注意です。

【白雲神社 本殿】



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