哲学の道、狛ねずみが鎮座する社 「大豊神社」へ
ノートルダム女学院中学高等学校 和中庵を出て、哲学の道を南下すると3分足らずで、大豊神社(おおとよ)の参道入口に着きました。
以前から哲学の道を散策してたら鳥居が見えていたので、気にはなっていましたが、この日が初訪問となりました。
ここから石畳の参道を猛暑の中、歩いて行きます。予想してたより参道は長かったですし、境内が空いてたら良いのに・・・と思ってたら、途中で、長身の外国人2名とすれ違います。
暫く歩くと、やっと鳥居が見えてきました。その前には石碑があって「宇多天皇御惱平癒勅願社」と書かれてたので、宇多野天皇ゆかりの神社なのか・・・なぁ。
少し進むと、左手に手水舎があって「椿ヶ峰の御神水」と書かれてました。
東山三十六峰 第15峰 椿ヶ峰のことらしいです。大豊神社の裏、文字通り椿の咲く山らしいですけど・・・ここの手水舎で、お清め・・・しました。
境内に入ると思ったてたより(私が勝ってに想像してた)狭いと・・・広くないと感じました。その中央に拝殿がありました。
そんなに歩いていのに、もう汗だくです。ベンチに座ってゆっくり汗を拭いたかったけど、蚊が・・・恐い。
これが、その床机です。絵馬殿でしょうか、ゆっくりしたかったけど、この時間・・・誰も居ないので、撮影にはチャンスです。
境内社も多そうですが、真っ先に本殿に向かいました。ここは春先には、梅の大木と桜の大木とのコラボを楽しめるんですが、今は鬱蒼としています。
本殿は、石段の上にあるようです。一度、そのコラボを撮りに行きたかったんですが、それより哲学の道の桜があまりにも綺麗なため、今まで行けなかったです。
本殿は、階段上の鳥居の、その奥にありました。多分、冬や春先なら下からでも見えたでしょうね。
御祭神は、少彦名命(すくなひこなのみこと)・応仁天皇(おうじんてんのう)・菅原道真(すがわらのみちざね)でした。後程、社務所で由緒書きを・・・買いました。それによると・・・。
887年(仁和3年)宇多野天皇の病気平癒祈願のため、藤原淑子(ふじわらのしゅくし)が勅命を奉じて、東山三十六峰の第15峰の椿ヶ峰に少彦名命を奉祀したのが、創祀と伝わっています。初期の頃は、椿ヶ峰をご神体とした山霊崇拝の社で、疫病を鎮める神として朝廷の尊崇を受け、椿ヶ峰天神あるいは大宝明神と称しました。平安時代の中期に現在地に鎮座。のちに応仁天皇と菅原道真公を合祀しされました。
その本殿の側にあったのが、「良縁・招福の石」と書かれてましたが、さて、どうするんでしょう。
こかから末社を参拝です。最初は、日吉社(右)と愛宕社(左)です。ここの、守護獣像が変わっているんです・・・よくよく見ると・・・。
日吉社の狛猿(写真・中)と愛宕社の狛鳶(写真・下)は、それぞれの神のお使いとして有名です。日吉社は「災難除けの神」。愛宕社は「火難除けの神」として信仰をあつめています。
その向かって、左と隣にあったが狛巳です。ここまで来たらただだ驚くばかりです。
そのまま右手に進むと鳥居があって、末社の美田稲荷社がありました。五穀豊穣や商売繁盛の御利益があるとか。
写真では小さすぎて見にくいですが、狛狐の置物が鎮座しています。ここは遠目から、稲荷社だろうと思いました。
その横にあったのが、この神社が全国的に知られる由縁となった摂社で、大国社と言います。
御祭神は、大国主命ですが、その前に狛鼠が鎮座しています。その狛鼠・・・可愛い姿でしたが・・・恥ずかしながら、私は、ここに来るまで知らなかったです。
大国社から境内に降りて振り向くと美田稲荷社の狛狐が鎮座してました。狛狐は、稲荷社では珍しくないので撮らなかったんですが・・・えらく見にくいです。
1969年(昭和44年)大国主命がねずみに助けられた故事に基づき、大国社に狛鼠を鎮座。全国の神社で狛鼠が鎮座するのは同社だけで、「ねずみの社」として全国から参拝者が訪れるといいます。また、子年の正月には、多くの参拝者で賑わうらしいです。
嫌われ者のねずみですが、ミッキーマウスといい、ここの狛鼠といい人気があるんですね、実際に見たら悲鳴を上げてしまいますが・・・ここを参拝して下に降りてきました。
降りてきたら足の長い鳥居がありました。それより、境内は外人さんの団体が来られてました。団体と言っても西洋人やアジア系、国籍は多分・・・多様だと思われる人達が、ガイド本を見ながら・・・来られてました。
見た所、日本人は私ら夫婦だけのようです。なんだか・・・首をかしげたくなりましたね。それより社務所を探して朱印をお願いしました。
朱印はいただけました。由緒書きは・・・有料で100円しましたが、お願いました。それにしても・・・暑い・・・首にタオルを巻いて頑張って次ぎに向かいますが、その前に・・・。
暫し、木陰で休息してました。そしたら振り向くと綺麗な庭園が見えてました。この辺りは、有名な南禅寺別荘群の庭園があるんですね。個人所有のため公開している庭園は皆無ですが、一度は目にしたいと思っていますが・・・ハードルは無茶苦茶高いです。
これは境内を散策してて見つけた石碑です。「山賀良の声澄む峰の松の彩」橘 常紀 と書いてあるようです。もちろん読めません。
境内にあった御神木です。何も書いてなかったので分かりませんが、多分・・・スギの大木でしょうね。
1954年(昭和29年)京都市より古(いにしえの)の都の古刹として「名勝地」に指定。また、哲学の道の「ねすみの社」として全国より多くの参拝者が訪れます。
行きは誰も居なかった参道も、帰りは外人さんで賑わってました。帰りはゆっくり歩いて、道々の花を楽しみながら散策しました。
次の目的地が南禅寺の方向のため、哲学の道を横断して、鹿ヶ谷通りを目指します。そしたら大きな鳥居と「大豊神社」と書かれた石碑を目にします。
以前から、ここまでは何度も来てました。この先に神社があったのは分かってましたが・・・何故か・・・行かなかったですね。狛鼠の事が知ってたら尋ねてたのにね。
今日は、お昼を予約してました。南禅寺界隈で探してて、良いところを見つけたのは良かったんてすが、あまりにも暑くて・・・それでも、頑張って向かいます。
【大豊神社 大国社】
以前から哲学の道を散策してたら鳥居が見えていたので、気にはなっていましたが、この日が初訪問となりました。
ここから石畳の参道を猛暑の中、歩いて行きます。予想してたより参道は長かったですし、境内が空いてたら良いのに・・・と思ってたら、途中で、長身の外国人2名とすれ違います。
暫く歩くと、やっと鳥居が見えてきました。その前には石碑があって「宇多天皇御惱平癒勅願社」と書かれてたので、宇多野天皇ゆかりの神社なのか・・・なぁ。
少し進むと、左手に手水舎があって「椿ヶ峰の御神水」と書かれてました。
東山三十六峰 第15峰 椿ヶ峰のことらしいです。大豊神社の裏、文字通り椿の咲く山らしいですけど・・・ここの手水舎で、お清め・・・しました。
境内に入ると思ったてたより(私が勝ってに想像してた)狭いと・・・広くないと感じました。その中央に拝殿がありました。
そんなに歩いていのに、もう汗だくです。ベンチに座ってゆっくり汗を拭いたかったけど、蚊が・・・恐い。
これが、その床机です。絵馬殿でしょうか、ゆっくりしたかったけど、この時間・・・誰も居ないので、撮影にはチャンスです。
境内社も多そうですが、真っ先に本殿に向かいました。ここは春先には、梅の大木と桜の大木とのコラボを楽しめるんですが、今は鬱蒼としています。
本殿は、石段の上にあるようです。一度、そのコラボを撮りに行きたかったんですが、それより哲学の道の桜があまりにも綺麗なため、今まで行けなかったです。
本殿は、階段上の鳥居の、その奥にありました。多分、冬や春先なら下からでも見えたでしょうね。
御祭神は、少彦名命(すくなひこなのみこと)・応仁天皇(おうじんてんのう)・菅原道真(すがわらのみちざね)でした。後程、社務所で由緒書きを・・・買いました。それによると・・・。
887年(仁和3年)宇多野天皇の病気平癒祈願のため、藤原淑子(ふじわらのしゅくし)が勅命を奉じて、東山三十六峰の第15峰の椿ヶ峰に少彦名命を奉祀したのが、創祀と伝わっています。初期の頃は、椿ヶ峰をご神体とした山霊崇拝の社で、疫病を鎮める神として朝廷の尊崇を受け、椿ヶ峰天神あるいは大宝明神と称しました。平安時代の中期に現在地に鎮座。のちに応仁天皇と菅原道真公を合祀しされました。
その本殿の側にあったのが、「良縁・招福の石」と書かれてましたが、さて、どうするんでしょう。
こかから末社を参拝です。最初は、日吉社(右)と愛宕社(左)です。ここの、守護獣像が変わっているんです・・・よくよく見ると・・・。
日吉社の狛猿(写真・中)と愛宕社の狛鳶(写真・下)は、それぞれの神のお使いとして有名です。日吉社は「災難除けの神」。愛宕社は「火難除けの神」として信仰をあつめています。
その向かって、左と隣にあったが狛巳です。ここまで来たらただだ驚くばかりです。
そのまま右手に進むと鳥居があって、末社の美田稲荷社がありました。五穀豊穣や商売繁盛の御利益があるとか。
写真では小さすぎて見にくいですが、狛狐の置物が鎮座しています。ここは遠目から、稲荷社だろうと思いました。
その横にあったのが、この神社が全国的に知られる由縁となった摂社で、大国社と言います。
御祭神は、大国主命ですが、その前に狛鼠が鎮座しています。その狛鼠・・・可愛い姿でしたが・・・恥ずかしながら、私は、ここに来るまで知らなかったです。
大国社から境内に降りて振り向くと美田稲荷社の狛狐が鎮座してました。狛狐は、稲荷社では珍しくないので撮らなかったんですが・・・えらく見にくいです。
1969年(昭和44年)大国主命がねずみに助けられた故事に基づき、大国社に狛鼠を鎮座。全国の神社で狛鼠が鎮座するのは同社だけで、「ねずみの社」として全国から参拝者が訪れるといいます。また、子年の正月には、多くの参拝者で賑わうらしいです。
嫌われ者のねずみですが、ミッキーマウスといい、ここの狛鼠といい人気があるんですね、実際に見たら悲鳴を上げてしまいますが・・・ここを参拝して下に降りてきました。
降りてきたら足の長い鳥居がありました。それより、境内は外人さんの団体が来られてました。団体と言っても西洋人やアジア系、国籍は多分・・・多様だと思われる人達が、ガイド本を見ながら・・・来られてました。
見た所、日本人は私ら夫婦だけのようです。なんだか・・・首をかしげたくなりましたね。それより社務所を探して朱印をお願いしました。
朱印はいただけました。由緒書きは・・・有料で100円しましたが、お願いました。それにしても・・・暑い・・・首にタオルを巻いて頑張って次ぎに向かいますが、その前に・・・。
暫し、木陰で休息してました。そしたら振り向くと綺麗な庭園が見えてました。この辺りは、有名な南禅寺別荘群の庭園があるんですね。個人所有のため公開している庭園は皆無ですが、一度は目にしたいと思っていますが・・・ハードルは無茶苦茶高いです。
これは境内を散策してて見つけた石碑です。「山賀良の声澄む峰の松の彩」橘 常紀 と書いてあるようです。もちろん読めません。
境内にあった御神木です。何も書いてなかったので分かりませんが、多分・・・スギの大木でしょうね。
1954年(昭和29年)京都市より古(いにしえの)の都の古刹として「名勝地」に指定。また、哲学の道の「ねすみの社」として全国より多くの参拝者が訪れます。
行きは誰も居なかった参道も、帰りは外人さんで賑わってました。帰りはゆっくり歩いて、道々の花を楽しみながら散策しました。
次の目的地が南禅寺の方向のため、哲学の道を横断して、鹿ヶ谷通りを目指します。そしたら大きな鳥居と「大豊神社」と書かれた石碑を目にします。
以前から、ここまでは何度も来てました。この先に神社があったのは分かってましたが・・・何故か・・・行かなかったですね。狛鼠の事が知ってたら尋ねてたのにね。
今日は、お昼を予約してました。南禅寺界隈で探してて、良いところを見つけたのは良かったんてすが、あまりにも暑くて・・・それでも、頑張って向かいます。
【大豊神社 大国社】