京都三庚申の一つ猿田彦神社へ

山王神社から三条通りを西に進みます。嵐電の路面電車用に線路があるので、そちらには入らないように慎重に走ります。そして、嵐電の線路を渡り天神川通りの手前で左手に入ると猿田彦神社がありました。山王神社で朱印をもらったら来た訳ではありません。当初の予定の行動です

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何度も何度も・・・数え切れないほど、この前は通ってましたが、ここに来るのは初めてです。入ってみて、こんな所に鳥居があったんだと・・・思った次第です。

車は境内に止めました。手水舎は先程の鳥居の横にありましたので少し戻りました。そして早速本殿にお参りです。

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御祭神は、猿田彦大神。猿田彦大神は、高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨(てんそんこうりん)の時に道案内をした神様であり、人生を切り開く象徴、開運にご利益があるとされています。

猿田彦神社は、京の三庚申(きょうのさんこうしん)の一つで、別名「山ノ内庚申」とも呼ばれています。ちなみに、三庚申は、粟田口庚申堂(尊勝院)八坂庚申堂(金剛寺)をいいます。社殿は、太秦安井(安井村)にありましたが、1885年(明治18年)に現在に移され現在に至っています。この日も参拝者は誰も居ませんでしたが、縁日でもある庚申の日(年に6日)には多くの参拝者で賑わうそうです。

本殿は、天神川通りを背に東を向いています。その本殿の北隣には境内社の秋葉社(御祭神は、火伏の秋葉大神)と稲荷社(御祭神は稲荷大神)がありました。

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また、南隣には大国主社(御祭神は、大国主命)がありました。

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その奥には左から延命地蔵大菩薩延命地蔵大菩薩不動明王聖観世音菩薩役行者尊の石像がありました。

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創建の逸話として、平安時代に天台宗開祖である最澄が座禅のために霊窟を探していたところ、猿田彦大神が現れてこの地を指し示したそうです。また、鎌倉時代には嵯峨天皇の行幸の際に猿田彦が道案内を務めたとされ、嵯峨天皇の命により、社殿が建立されたとも言われています。

ここも山王神社と同じく、楠の巨木があってこの神社の御神木のようで、樹齢700と言われる「庚申楠」と書かれていました。

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先程の山王楠より大きかったかなぁ・・・と思いました。その巨木の下、本殿前には拝殿がありました。

既に山王神社で、猿田彦神社の朱印とカラー版の由緒書きをいただいてました。それでも社務所を確認すると・・・。

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山王神社では、「猿田彦神社の社務所は留守がち」と言われてましたが、中から人が出てこられ驚きました。今日は、ここでも朱印はいただけたと思います。

山王神社は、猿田彦神社の御旅所なんですね、それで朱印や由緒書きもされてるだと思います。最後に、ここは駐車厳禁と書いてありました。

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年に6日あるという庚申の日のうち、特に初庚申の日には護摩焚き神事が、この場所で行われます。そりゃ駐車したら・・・ダメでしょう。

ここには5分ぐらいしか居なかったと思います。再び車に乗り、三条通りを東に戻ることになります。再び三条通りにでる時は、左右が見にくいので恐いですね。一度、庚申の日に訪れてみようと思い出て行きました。ちなみに今年は10月5日(水)と12月4日(日)です。

【猿田彦神社 本殿】



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    Excerpt: 菅原院天満宮神社を出て、再び下立売御門から京都御苑内に入ります。目的地はH28年4月、桜の咲く頃に訪れた宗像神社です。 Weblog: 古寺とお城の旅日記Ⅱ racked: 2016-09-14 05:00