広沢池近くの浄土宗寺院「印空寺」へ

スシロー五条七本松店を車で出て、西京極の松尾大社の末社に寄りました。そのあと次ぎに向かったのが、広沢池の近くにある浄土宗の寺である印空寺です。

印空寺の駐車場に車を止め、山門前に来ました。雨は小雨から、時々ホツボツと落ちてる程度まで回復しました。

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1991年(平成3年)に、山門・庫裏・本堂とともに建て替えられ、境内を一新されたようです。見た所、歴史は感じないですね。

山門を入ったら正面に本堂があります。前途のとおり山門と時期を同じくして建てられた新しい感じがします。

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ご本尊は、浄土宗ですので阿弥陀如来坐像です。この地に因んで「山越えの阿弥陀」と呼ばれてるそうです。

ここは浄土宗ですので、ご住職さんが在宅なら堂内にお参り出来るかと思って、書院に行きました。そして呼鈴を押すと・・・。

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中から人が出て来られましたが、住職さんは出掛けられてお留守とのこと。堂内でのお参りは叶いませんでした。ただ朱印をお願いすると、書き置きのものを用意されてたので、それに日付を入れていただきました。

正直、大変残念な思いをしました。やっぱり事前にアポをとったほうが良かったと・・・少し後悔・・・しかし、家からんななに遠くないので、また再訪します。

「朱印代は、お賽銭箱に」に言われたので、志納しておきました。そして本堂前には、由緒書きも置いてありましたが、午前の大雨のため・・・濡れてる・・・仕方ないですね、あの大雨では・・・。

本堂の前庭には、白砂と松のコントラストが綺麗な「二河白道」と呼ばれる枯山水庭園がありました。しかし、大雨の影響でしょうね、汚れてたのが少し、残念な気がします。

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二河白道(にがびゃくどう)とは、浄土教における極楽往生を願う信心の比喩。浄土宗寺院では、よくみかける極楽浄土の美しさを庭園に表現しようとしたものでしょう。

どうしても本堂に入って、仏間にある大黒天神像を見たかったんです。それはMBS毎日放送「ちちんぷいぷい」の人気コーナーである「昔の人は偉かった」で、ここを訪問されたのを見たからです。

後柏原天皇が室町時代に起きた応仁の乱で、人々が戦禍に苦しむ姿に憂慮された時、夢に表れたお姿を紫宸殿の棟木を寄木式に造られた仏様で、以後宮中にてお祀りされてたものです。

留守は仕方ないので。境内を散策すると、鐘楼がありました。「断り無く鐘を突かないように」と書いてありましたが・・・。場所は山門入って左手です。

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由緒書きによると、浄土宗開宗800年を記念して1974年(昭和49年)に建立されたものだそうです。

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こちらの広葉樹は、2004年(平成16年)に指定された「京都市指定保存樹タラヨウ」で、樹齢300年の大木です。

長居するほど境内は広くないので、これで山門から出て行きました。そしたら山門前の石碑に気になることが書いてあって・・・。

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旧御室御所茶所」と書いてあります。この辺りに茶畑でもあったのか・・・と思ったら、京都市の案内によると、御室仁和寺(旧御室御所)門跡が外出する際,この地にある印空寺の前身,印空庵という庵を休憩所として利用されたからとか。

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また、こちらは「了海上人遺跡」と書いてありす。こちらも京都市の案内によると、了海の墓は印空寺墓地にあり、この石標は了海が住した印空寺を示すものであることを示すらしいです。

雨がふったら涼しくなると思うでしょうけど、かえって蒸し暑くなりました。足元は雨上がりのため、泥々していますが、もう少し寄り道して帰ることにしました。

【印空寺】



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