現存する斎宮跡 西四条斎宮「西院 野々宮神社」へ

猿田彦神社から三条通りに出て葛野大路を右折します。そのまま南下すると四条通りに出ますが、そのまま南下し、綾小路通りを東に入ります。そしたら四条中学に突き当たるので、少しだけ右折すると木々に囲まれた神社を目にします。

到着したのは、西院 野々宮神社と言います。野々宮と聞いて直ぐに思い浮かべるのは嵯峨野 野宮神社でしょう、私もそうでした

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ここは間違っても誰も居ないと思いましたし、事実そうでした。阪急「西院」駅からも離れているし、ましてや観光的な要素は全くないからです。

入って左に手水舎がありました。ここには社務所がないので、あとから春日神社に向かいもらう予定です。

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さほど広くない境内は木々に囲まれてここだけ静かです。ここでは長居できない事情があるので取り急ぎ本殿に参拝です。

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社務所がないので、本殿前に張り紙があって、朱印は春日神社で・・・と書いてありました。と言うより知ってました。今年の正月に京都十六社朱印巡りで春日神社を訪れた時に知り本日訪れた次第です。

御祭神は、倭姫命(やまとひめのみこと)、布勢内親王(ふせないしんのう)、御利益は、心願成就と女人守護でした。

朱印をもらうのに参拝しないとね。ここの周りは住宅街と言うより、会社や工場が多いのでコンイパーキングがありません。仕方ないので路上駐車です。

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ここには滞在・・・2分です。次は、ここから程近い春日神社にて朱印をもらいに行きます。ここまでが、本日の予定の行動です。

この地は平安時代に伊勢神宮の斎王に選ばれた皇女が伊勢へ赴かれるまでの間心身を清められるための潔斎所である野々宮が築かれた聖地で、各地に残る野々宮の名称はここが発祥とされています。平安時代に、倭姫命と布勢内親王を偲んでお二方を祀る西院野々宮神社が創建されたのが始まりで、1774年(安永4年)に後桃園天皇が京都御所の賢所の社殿を寄進造営されたのが現在の社殿です。

境内を大急ぎで散策したあと車に乗り、春日神社に向かいました。ここにも境内社があったようですが、探す時間は無かったです。外の猛暑が嘘のように、木々が覆い茂って暗かったです。

【西院 野々宮神社 本殿】



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