淳和院離宮跡「西院 春日神社」へ
西院 野々宮神社を出て四条通りに出ます。そのまま東に進み、春日通りを左折(北上)すると左手に西院 春日神社の鳥居が見えてきます。
2016年2月に京都十六社朱印巡りできましたが、その時はこの春日通りから駐車できましたが、この日は佐井西通りからでないと駐車できなくなってました。少しだけロスタイムです。
春日通り(佐井通り)沿いに大きな鳥居がありますが、写真のは境内手前の鳥居です。あまりに暑いので・・・春日通りまで戻るのが面倒・・・でした。
この鳥居の奥にある社務所で、西院 野々宮神社の朱印をいただきました。
「西院 野々宮神社に参拝してきたんですけど、朱印お願いします。」
と言いました。そしたら巫女さんが朱印を押されて、中に入られ・・・少し時間をおいて、朱印帳を持ってこられます。
朱印と同時に、由緒書きも付いてきました。有り難いことです。ここでスマホを見ると、リオ五輪で萩野公介選手の銀メダルのニュースが入ってきました。「銀か・・・残念・・・と思いましたが、あとで映像を見ると、かなり離されての銀メダルでしたね。」そんな事を思いながら、車に戻ろうと思いましたが、せっかく来たので夏の春日神社も散策することにしました。前回は、冬だったので・・・。
この時、11時前でした・・・もう・・・35℃は超えたと思います。36.1℃まで気温は上がってしまうんですが・・・境内には誰もいません。
元に戻って手水舎から。その手水舎の隣にあった一願蛙は、水を掛けてお祈りをすと叶うというのを前回見てましたが・・・暑さで忘れてました。
この日は、8月12日でしたが、前日の11日には、「疱瘡石」が公開されてました。ここに来て思い出しましたが、また次ぎの機会にします。それで本殿にて参拝しました。
御祭神は、建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)、伊波比主命(いわいぬしのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)でした。
歩いて来た訳ではありませんが、ペットボトルのお茶をがぶ飲みして、喉を潤います。今年の夏は記録的な・・・暑すぎ・・・です。そして、こちらは能舞台です。
前に床机があるので、座って見られるのでしょう。とんな舞台なのか・・・興味あります。しかし・・・夏場の昼間は無理しょう。
境内の南側には、かつての淳和院(じゅんないん)がうあった礎石が残っています。
淳和院は、平安京の右京四条二坊(現在の京都府京都市右京区西院)にあった淳和天皇の離宮・後院(天皇即位後の御所のこと)。別名で、西院(さい/さいいん)とも呼ばれましたが、それは、この離宮が御所から見て西の方角にあったので、淳和院が「西院」と呼ぶようになりました。
嵐電「西院」駅は、「さい」駅と呼びます。阪急「西院」駅は、「さいいん」駅と呼びます。どちらも正解なんですけど・・・以前、近くに住んでた私は、「さいいん」と言ってました。
前回、ここの境内社をくまなく見ましたが、今日も・・・また・・・見てしまいました。先ずは還来神社(もどろき)からです。
御祭神は、淳和天皇(じゅんなてんのう・第53代天皇)皇后正子(しょうこ)内親王命、藤原旅子(たびこ)命、橘嘉智子(かちこ)命、古くから旅行安全の神として信仰されています。
明日、車で帰省する女房のためにも、ここはお参りする必要がありました。ちなみに還来神社の朱印も、この春日神社の社務所でいただけます。
オリンピックの結果も気になるので、これ以上奥には行かない予定も・・・行ってしまいます。こちらは右から猿田彦社(御祭神:猿田彦命、宇豆女命)、天満宮(菅原道真)、太元宮(天御中主神)、金刀比羅宮(大物主神、崇徳天皇)です。
これ以上は、行かないつもりで・・・稲荷大明神(御祭神:宇賀御魂命(うかのみたまのみこと))と辨財天(御祭神:市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たこりひめのみこと)、湍津姫命 (たぎつひめのみこと)).です。
前回見て回った、西院宮と住吉社、春日若宮社は、行かなかったです。もう暑くて・・・限界・・・てした。そして、前回行かなかった招魂碑です。
戦死者の霊が祀られています。日清戦争、日露戦争、日支事変、太平洋戦争の戦死者が合祀されています。(立て札より)
車を止めている境内西側の手前、仁孝天皇(にんこうてんのう第120代天皇)御胞衣塚(おえなづか)です。
1800年(寛政12年)仁孝天皇ご誕生の折、吉方にあたる春日神社を選ばれ、御胞衣(おえな)を埋蔵されました。
暑い中、出来るだけ回って参拝させてもらいました。駐車場は、下の写真と次の写真との間がそうなんです。結構じゃなくて、かなり狭い駐車場でした。
こちらを出発したのが11時頃、家に帰る途中で、スーパーに寄って、その帰りスマホを見て・・・リオ五輪で、金藤理絵選手が、女子200メートル平泳ぎで金メダルのニュースが目に飛び込んで来ました。こうなったら、いち早く帰って12時からのニュースが見たいので・・・脇目も振らず帰った次第です。
2016年2月に京都十六社朱印巡りできましたが、その時はこの春日通りから駐車できましたが、この日は佐井西通りからでないと駐車できなくなってました。少しだけロスタイムです。
春日通り(佐井通り)沿いに大きな鳥居がありますが、写真のは境内手前の鳥居です。あまりに暑いので・・・春日通りまで戻るのが面倒・・・でした。
この鳥居の奥にある社務所で、西院 野々宮神社の朱印をいただきました。
「西院 野々宮神社に参拝してきたんですけど、朱印お願いします。」
と言いました。そしたら巫女さんが朱印を押されて、中に入られ・・・少し時間をおいて、朱印帳を持ってこられます。
朱印と同時に、由緒書きも付いてきました。有り難いことです。ここでスマホを見ると、リオ五輪で萩野公介選手の銀メダルのニュースが入ってきました。「銀か・・・残念・・・と思いましたが、あとで映像を見ると、かなり離されての銀メダルでしたね。」そんな事を思いながら、車に戻ろうと思いましたが、せっかく来たので夏の春日神社も散策することにしました。前回は、冬だったので・・・。
この時、11時前でした・・・もう・・・35℃は超えたと思います。36.1℃まで気温は上がってしまうんですが・・・境内には誰もいません。
元に戻って手水舎から。その手水舎の隣にあった一願蛙は、水を掛けてお祈りをすと叶うというのを前回見てましたが・・・暑さで忘れてました。
この日は、8月12日でしたが、前日の11日には、「疱瘡石」が公開されてました。ここに来て思い出しましたが、また次ぎの機会にします。それで本殿にて参拝しました。
御祭神は、建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)、伊波比主命(いわいぬしのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)でした。
歩いて来た訳ではありませんが、ペットボトルのお茶をがぶ飲みして、喉を潤います。今年の夏は記録的な・・・暑すぎ・・・です。そして、こちらは能舞台です。
前に床机があるので、座って見られるのでしょう。とんな舞台なのか・・・興味あります。しかし・・・夏場の昼間は無理しょう。
境内の南側には、かつての淳和院(じゅんないん)がうあった礎石が残っています。
淳和院は、平安京の右京四条二坊(現在の京都府京都市右京区西院)にあった淳和天皇の離宮・後院(天皇即位後の御所のこと)。別名で、西院(さい/さいいん)とも呼ばれましたが、それは、この離宮が御所から見て西の方角にあったので、淳和院が「西院」と呼ぶようになりました。
嵐電「西院」駅は、「さい」駅と呼びます。阪急「西院」駅は、「さいいん」駅と呼びます。どちらも正解なんですけど・・・以前、近くに住んでた私は、「さいいん」と言ってました。
前回、ここの境内社をくまなく見ましたが、今日も・・・また・・・見てしまいました。先ずは還来神社(もどろき)からです。
御祭神は、淳和天皇(じゅんなてんのう・第53代天皇)皇后正子(しょうこ)内親王命、藤原旅子(たびこ)命、橘嘉智子(かちこ)命、古くから旅行安全の神として信仰されています。
明日、車で帰省する女房のためにも、ここはお参りする必要がありました。ちなみに還来神社の朱印も、この春日神社の社務所でいただけます。
オリンピックの結果も気になるので、これ以上奥には行かない予定も・・・行ってしまいます。こちらは右から猿田彦社(御祭神:猿田彦命、宇豆女命)、天満宮(菅原道真)、太元宮(天御中主神)、金刀比羅宮(大物主神、崇徳天皇)です。
これ以上は、行かないつもりで・・・稲荷大明神(御祭神:宇賀御魂命(うかのみたまのみこと))と辨財天(御祭神:市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たこりひめのみこと)、湍津姫命 (たぎつひめのみこと)).です。
前回見て回った、西院宮と住吉社、春日若宮社は、行かなかったです。もう暑くて・・・限界・・・てした。そして、前回行かなかった招魂碑です。
戦死者の霊が祀られています。日清戦争、日露戦争、日支事変、太平洋戦争の戦死者が合祀されています。(立て札より)
車を止めている境内西側の手前、仁孝天皇(にんこうてんのう第120代天皇)御胞衣塚(おえなづか)です。
1800年(寛政12年)仁孝天皇ご誕生の折、吉方にあたる春日神社を選ばれ、御胞衣(おえな)を埋蔵されました。
暑い中、出来るだけ回って参拝させてもらいました。駐車場は、下の写真と次の写真との間がそうなんです。結構じゃなくて、かなり狭い駐車場でした。
こちらを出発したのが11時頃、家に帰る途中で、スーパーに寄って、その帰りスマホを見て・・・リオ五輪で、金藤理絵選手が、女子200メートル平泳ぎで金メダルのニュースが目に飛び込んで来ました。こうなったら、いち早く帰って12時からのニュースが見たいので・・・脇目も振らず帰った次第です。