京都御苑内「宗像神社」へ

菅原院天満宮神社を出て、再び下立売御門から京都御苑内に入ります。目的地はH28年4月、桜の咲く頃に訪れた宗像神社です。

この日の目的地は、ここよりずっと西の寺町通りにある革堂に行こうと思っていました。22日と23日には毎年、本堂にて「幽霊絵馬」が特別公開されてるので涼みに行ってみようと思ってましたが・・・暑さが堪りません。そうこう思ってたら宗像神社の西門に着きましたが・・・工事中のため閉鎖・・・仕方ないの正面の鳥居から入りましたが・・・。

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H28年4月は、大急ぎで見て回りましたので、今日は良い機会です。暑さでへばってることもあって、暫しゆっくりすることに

この日の目的は、朱印です。社務所が留守なら仕方ないですけど、それに・・・この神社の朱印があるかどうかも未確認でした。先ずは入口付近にあった京都観光神社を参拝。

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御祭神が猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)でしたので、最近訪れた猿田彦神社を思い浮かべました。

次ぎに参道を挟んで向かいにある花山稲荷社です。

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御祭神は、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)。楠の大木(樹齢600年ともいわれる)な鎮座し、花山院家の守護神として祀られたものと言います。

その花山稲荷社の先には手水舎がありました。

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ここで先客の珍しく日本人の学生さん2名とすれ違いました。最近、神社に行けば出会うのは、いつも外国人観光客ばかり・・・何処の国かと思ってしまいます。

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手水舎から参道を歩くと、前回では、気が付かなかった庭園らしきものもありました。ゆっくり見て回るには目眩がするほど暑い・・・です

そして本殿前に着いたので、お参りです。それより今日は、社務所が開いてるかどうか・・・気になって仕方ない・・・です。

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御祭神は、多紀理比売命(たぎりひめのみこと)、多岐都比売命(たぎつひめのみこと)、市岐嶋比売命(いちきしまひめのみこと)で、御三姫の大神を称して宗像大神と称します。

宗像神社は、795年(延暦14年)、太政大臣・藤原冬嗣が桓武天皇の命により筑前から勧請され、京都御所の鎮守社として祀られたのが始まりです。京都御苑内の西南(裏鬼門)にあたる位置に鎮座するため、方除けの神として信仰を集めています。

本殿の左には、摂社があって、右から少将井社繁栄稲荷社金刀比羅宮と並んでいます。

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御祭神は、少将井社が櫛稲田比売命(くしなだひめのかみ)、繁栄稲荷社が命婦稲荷神(みょうぶいなりのかみ)、金刀比羅宮が大物主神(おおものぬしのかみ)と崇徳天皇(すとくてんのう)です。

最後に社務所です。外から見ただけなら在宅かどうか分かりません。とりあえず呼び鈴を押してみると・・・。

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中から神職さんが出て来られました。「朱印はありますか」と尋ねると「あります」と。朱印帳を差し出し、しばし待って受取ました。その時、由緒書きもお願いしいただきました。

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西門が工事中のため帰りも正面から出ていきます。時々工事車両が西門から入ってくるんですが、人の出入りも・・・と思ってしまいます。(暑いので遠回りしたくないのが本音

ここから歩いて10分ぐらいの距離ですが、それが無理なほど暑かったです。駐車料金を考えると大変もったいないことですが、もう・・・無理です。断念しました。ただ、このまま何もしないで帰る事はできないので、何カ所か寄っていきました。

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