嵯峨野の田園風景が秋色に染まる「後宇多天皇陵」へ

兒神社から、広沢池西側の道路をを北に上がります。この辺りは渡来系古代豪族の秦氏の拠点地があったとこだと言われています。そのためか、この辺りには広沢古墳群が点在していますが、一度ゆっくり散策したいものです。

先程見て来た、広沢池も秦氏が構築したとか・・・そんな田園風景の中を車を走らせやって来たのは後宇多天皇陵です。

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過去に何度も、この辺りは歩いていましたし、この奥に天皇陵があるのも知ってましたが、何故か未訪問でした。

竹藪の間に道があって、その奥に天皇陵があるものと思ってたら溜池があって、どうやら、またまだ奥のようです。宮内庁の案内板で、ここが後宇多天皇蓮華峯寺陵だと知りました。

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後宇多天皇の他に、その母である亀山天皇皇后洞院佶子。亀山天皇分骨所、後宇多天皇皇后子内親王分骨所となっています。

綺麗に掃かれた参道を奥に進むとようやく後宇多天皇陵が見えて来ました。結構奥まった所にあったんですね、来た見て分かりました。ところで後宇多天皇のこと何も知らないです。帰って調べてみました。

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後宇多天皇(ごうだてんのう)1267年(文永4年)~1324年(正中元年) 第91代天皇・天皇在位は、1274年(文永11年)~1287年(弘安10年) 名は世仁。亀山天皇の第2皇子。母は左大臣藤原実雄の娘京極院藤原佶子。1274年(文永11年)8歳で即位。1287年(弘安10年)皇太子煕仁親王 (後の伏見天皇 ) に位を譲った。

この辺りは嵯峨野と呼ばれる田園地帯です。まもなく実りの秋を迎えようとしてて、稲穂が黄色に染まりつつあります。まだ稲穂の頭が垂れていないので、収穫は少しさきでしょうけど・・・。

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この辺りでは見えませんが、この先に行くと、京都タワーや駅ビル、そして遠くは伏見桃山城まで見えるんです。よくここまで散歩しに来ました。

午前の豪雨の影響で、下がグチャグチャでしたが、いろいろ廻れて楽しかったです。雨が降っても気温が下がらず逆に湿気で蒸し蒸し。下着まで汗で濡れたので、これで帰りました。

【後宇多天皇陵】



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