京の都のお伊勢さん 京都大神宮へ
ぎをん 萬養軒を出て四条京阪まで歩きました。そこからバスで帰ろうかと思いましたが、バスの時刻が合いません。それなら烏丸まで歩いて行こうと寺町通りまで来ると、ふと思い着きました。「そうだ、京都大神宮へ寄って行こうと」と。
かつて電気店が建ち並んでいた寺町通りも、最近は寂れた感じが否めないと思うのは私だけでしょうか
そんな事を思いながら、寺町通りを南下すると暫くして左側にコンクリート製の鳥居が見えてきました。
かつては多くの人で賑わってましたが・・・それでも結構人出はありますが、殆どの方は素通りされていかれます。
鳥居をくぐって入ると左手に手水舎があって、ここの水盤は大きくて立派なものでした。後程いただいた由緒書きによると・・・。
豊臣秀吉が築いた伏見城にあったものを寄進されたとか。商業地のど真ん中にあるのに、ここだけは人影も無く静かです。
この手水舎の近くで見つけた寿老人の石像が・・・多分・・・間違いないでしょうけど・・・何故・・・ここに
。
それより神様が祀られてる本殿です。しかし、この建物・・・本殿とは思えないほど重厚な・・・そんな感じを受けました。
この重厚な建物は、五摂家のひとつ一条家の玄関及び書院を移築したものです。特に、唐破風の優美さは、日本有数だとか。
明治維新の後、江戸時代末期より盛んであったお伊勢参りが叶わない人々の為に、全国都道府県に、伊勢神宮が遥拝出来る設備を設けるとともに、伊勢神宮大麻の頒布などを行うことへの要請がありました。このため1873年(明治6年)伊勢神宮の内宮より天照大御神(あまてらすおおみかみ)を、外宮より豊受大神(とようけおおかみ)の分霊をお迎えし御祭神に。相殿神に、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冊尊(いざなみのみこと)を。八柱大神に神皇産霊神(かみむすびのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、魂留産霊(たまつめむすび)、生産霊(いくむすび)、足産霊(たるむすび)、大宮売神(おほみやのめのかみ)、御膳神(みけつかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)を。大地主神(おほとこぬしのかみ)、倭比売命(やまとひめのみこと)を配祀し、1875年(明治8年)に社殿を建立し現在に至っています。
本殿の南側にも小さな祠があったのでお参りしておきました。ただ・・・周りに説明が何も書いてないので・・・分からなかったんですが・・・。
社務所ていただいた由緒書きを読むと・・・当初伊勢神宮の遥拝所として建てられましたが、戦争中は、御神体安全のために用いられ、現在は、御神体は入って無い・・・そうです。
本殿北側には社務所がありました。お留守かどうか分からないので呼鈴を押すと・・・中から人が出てこられ御朱印をいただけました。
堅苦しい神社のイメージと違って、ここではキャラクターに可愛いアニメを用いられ、結構人気があるたいですね。私には無縁ですが・・・
。
何度も通った寺町通りも、今まで気が付かなかったのが不思議です。そうこう思いながら、ここから無駄に広くなった四条通りの歩道を歩き、四条烏丸まで行き、そこから帰路に着きました。
【京都大神宮】

かつて電気店が建ち並んでいた寺町通りも、最近は寂れた感じが否めないと思うのは私だけでしょうか

かつては多くの人で賑わってましたが・・・それでも結構人出はありますが、殆どの方は素通りされていかれます。
鳥居をくぐって入ると左手に手水舎があって、ここの水盤は大きくて立派なものでした。後程いただいた由緒書きによると・・・。
豊臣秀吉が築いた伏見城にあったものを寄進されたとか。商業地のど真ん中にあるのに、ここだけは人影も無く静かです。
この手水舎の近くで見つけた寿老人の石像が・・・多分・・・間違いないでしょうけど・・・何故・・・ここに

それより神様が祀られてる本殿です。しかし、この建物・・・本殿とは思えないほど重厚な・・・そんな感じを受けました。
この重厚な建物は、五摂家のひとつ一条家の玄関及び書院を移築したものです。特に、唐破風の優美さは、日本有数だとか。
明治維新の後、江戸時代末期より盛んであったお伊勢参りが叶わない人々の為に、全国都道府県に、伊勢神宮が遥拝出来る設備を設けるとともに、伊勢神宮大麻の頒布などを行うことへの要請がありました。このため1873年(明治6年)伊勢神宮の内宮より天照大御神(あまてらすおおみかみ)を、外宮より豊受大神(とようけおおかみ)の分霊をお迎えし御祭神に。相殿神に、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冊尊(いざなみのみこと)を。八柱大神に神皇産霊神(かみむすびのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、魂留産霊(たまつめむすび)、生産霊(いくむすび)、足産霊(たるむすび)、大宮売神(おほみやのめのかみ)、御膳神(みけつかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)を。大地主神(おほとこぬしのかみ)、倭比売命(やまとひめのみこと)を配祀し、1875年(明治8年)に社殿を建立し現在に至っています。
本殿の南側にも小さな祠があったのでお参りしておきました。ただ・・・周りに説明が何も書いてないので・・・分からなかったんですが・・・。
社務所ていただいた由緒書きを読むと・・・当初伊勢神宮の遥拝所として建てられましたが、戦争中は、御神体安全のために用いられ、現在は、御神体は入って無い・・・そうです。
本殿北側には社務所がありました。お留守かどうか分からないので呼鈴を押すと・・・中から人が出てこられ御朱印をいただけました。
堅苦しい神社のイメージと違って、ここではキャラクターに可愛いアニメを用いられ、結構人気があるたいですね。私には無縁ですが・・・

何度も通った寺町通りも、今まで気が付かなかったのが不思議です。そうこう思いながら、ここから無駄に広くなった四条通りの歩道を歩き、四条烏丸まで行き、そこから帰路に着きました。
【京都大神宮】