重要文化財が3棟もある福王子神社へ
10月1日は、世界文化遺産 仁和寺の近くにある福王子神社に行きました。ここは毎月1日だけ本殿をほど近くで拝観できるとあって以前から、1日が休日となる・・・この日に訪問することを決めてました・・・ただ雨なら断念してましたが・・・。
車で自宅を出発し、先ずは仁和寺の駐車場に車を止めました。ここは一日500円です。いろいろコインパーキング探したんですが・・・近くに無いし・・・龍安寺もありますが・・・遠いし・・・仁和寺・・・丁度良かったです。
仁和寺の駐車場から歩いて5分、福王子神社の鳥居が見えてきました。この鳥居・・・何気なく建っていますが、重要文化財に指定されています。
ここの前は、交通量が多くて・・・国道162号線(近くでは、この先に以前訪問した大龍寺、その先に世界文化遺産・高山寺があって、その先は日本海を抜けていけます)と府道29号線が交差。近くに小学校もあることから常にガードマンさんが立っています。
後で案内をしていただけることになるんですが、この鳥居は徳川時代の代表的なものらしいです。境内に入ると車が止まってて参拝に来られてました。「何だ境内に止められるのか・・・」と思ったら、すぐに出て行かれました。そしたら暫くは独占です。鳥居を入って直ぐに目にするのが拝殿でしょう。
これも重要文化財に指定されてるんですね。入母屋造で、徳川時代初期の建物。この拝殿に、1973年(昭和48年)に指定されたことが書いてありました。
次ぎに本殿ですが、今日の目的はここでした。普段は閉まっている本殿前の門が開けられると聞いたからです。
普段は月初め、仕事が忙しくて休めません。それが・・・この日は土曜日・・・絶好のチャンスでした。ただ前日の帰りが遅くて・・・お疲れ気味でしが・・・。
本当に開いています。本殿内にも入れると・・・聞いてたので・・・社務所・・・ここも普段は不在だそうで・・・今日は先程の参拝者の対応をされてたので表に出ておられたので・・・聞いてみることに。
鳥居を入って右手にあった社務所です。ここで朱印をお願いし、受け取る時に聞いてみました。「本殿内に入れるんですか」と。そしたら「お賽銭箱まで」と言われました。
「何だ・・・入れないのか」と。少々落胆しました。この福王子神社で見たかったのは、3月25日(金)に放送された「NHKニュース630 京いちにち」の中のコーナーに「京のええとこつれてって」がありました。その中でレポーターの方が周山街道を散策され福王子神社の本殿にある蟇股を紹介され・・・それが見たかったからです。
一間社(いっけんしゃ)春日造りの美しい屋根は、外からでも見られます。この本殿も重要文化財に指定に指定されています。ここの屋根は珍しい木賊葺き(とくさぶき)と呼ばれる方式となっています。なお、本殿の両脇の石灯籠も重要文化財に指定されています。
ところでテレビで紹介された蟇股は、何処にあるのかなぁ・・・と思い、先程朱印をいただいた社務所で聞いてみました。そしたら「案内しましょう」と言っていただき、念願の本殿内を案内してしただきました。
本殿内に入って、ご丁寧に一つづつ案内して貰えました。おまけに写真撮影もOKとの事で、嬉しい限りです。正面の蟇股からみています。
正面の「フクロウと椿」を見て右回りで、「鷺と雲」「雁とアヤメ」「海馬と波」となっています。あとで社務所の中で、修復前の写真を見せてもらいましたが、それに比べたら綺麗になったものです。
もう少しアップで撮れば良かったですね。実際にはもっと近くで見てるような感じです。2000年(平成12年)に創建1100年記念事業で、約2年をかけて修復工事され2002年(平成14年)に竣工。本殿や拝殿は綺麗に蘇ったようです。
本殿前の釣灯籠には、福王子神社の文字や菊の御紋が読み取れます。これでも修復され綺麗になったそうです。
次ぎ本殿左隣のにある境内社・夫荒社(ふこうしゃ)も安内していただきました。
普段は、外から、こうしてお参りします。案内の時、“ふこうしゃ”と聞き、どのように書くのか・・・聞きました。
真夏に氷室から御所へ氷を運ぶ途中、役夫が行き倒れたので、その霊を鎮めるため、お祀りした社だそうで、912年(延喜12年)に建てられました。この夫荒社が福王子の地名の由来となったとも伝わります。
その夫荒社の前にあったのか、君が代で知られるさざれ石です。遠慮して後から写真を撮ろうとしたら「正面から撮って下さい」と・・・本当にいい人。ここからほど近い山越のさざれ石山か運ばれてきてそうです。
本殿内の話が終わったら、、次ぎに「時間があればこちらに来て下さい」と、社務所の中を案内されました。もちろん喜んで・・・です。
まさか・・・社務所内まで入れるなんて・・・思わなかったです。ただ中はお祭りの準備で、いろんな物が置いてありましたが・・・それに・・・暑かった・・・です。
修復前の拝殿に掲げられた「鳴滝砥石」で造られた「遍照」と書かれた扁額です。これだけ立派な砥石は一見の価値ありです。
ここでも古写真を見ながら熱心に案内していただきました。修復前の蟇股の写真を見て、現在どれだけ綺麗になったのかも興味深く見ることができました。
熱心に案内していただきましたが、帰る際に拝観料を聞き損ねました。まだお参りをしてなかったのでお賽銭箱に、それなりに入れて置きました。
こちらが境内西側にあった手水舎です。私らのあとにも、次から次へとお参りに来られますが、申し出がない限り案内はされないようですね。本来は、電話予約しておきべきなんでしょう。
福王子神社は、光孝天皇(第58代天皇)の皇后で、宇多天皇の母君班子女王(はんしじょおう)を祭神として祀られています。900年(昌泰3年)に68歳で崩御された班子女王の陵墓の地がこの辺りと伝わり、班子女王を祀る社殿が造営されたとか。神社名の由来は、班子女王が多くの皇子皇女を生んだ事に由来するともいわれています。古くから仁和寺の守護神として祀られ、歴代の仁和寺法親王から厚い尊崇を受けてきました。社殿は応仁の乱によって仁和寺とともに全て焼失してしまい、1644年(寛永11年)徳川3代将軍・徳川家光の寄進により、仁和寺の伽藍整備とともに造営されました。
先程の案内で、10月9日と16日の秋祭の写真も見せていただきました。道路を封鎖して神輿がでるそうですが、これがアップされた頃には終わっていますね。
ここには30分ほど居ました。狭い境内を見るにはそんなに時間はかかりませんが、案内をしていただいから長く滞在してしまいました。帰りに仁和寺の仁王門裏を見に行きました。
そこに鎮座している狛犬を見に来た訳です。福王子神社本殿前の狛犬は、修復され現在、京都文化博物館に寄託されてるそうです。実物が見られないので、こうして「同じ彫り師の狛犬を見て帰って」と言われたので、こうしてに来ました。
ここに止めてある仁和寺の駐車場を通過して、龍安寺のほど近くまでこれから歩いて行きました。
車で自宅を出発し、先ずは仁和寺の駐車場に車を止めました。ここは一日500円です。いろいろコインパーキング探したんですが・・・近くに無いし・・・龍安寺もありますが・・・遠いし・・・仁和寺・・・丁度良かったです。
仁和寺の駐車場から歩いて5分、福王子神社の鳥居が見えてきました。この鳥居・・・何気なく建っていますが、重要文化財に指定されています。
ここの前は、交通量が多くて・・・国道162号線(近くでは、この先に以前訪問した大龍寺、その先に世界文化遺産・高山寺があって、その先は日本海を抜けていけます)と府道29号線が交差。近くに小学校もあることから常にガードマンさんが立っています。
後で案内をしていただけることになるんですが、この鳥居は徳川時代の代表的なものらしいです。境内に入ると車が止まってて参拝に来られてました。「何だ境内に止められるのか・・・」と思ったら、すぐに出て行かれました。そしたら暫くは独占です。鳥居を入って直ぐに目にするのが拝殿でしょう。
これも重要文化財に指定されてるんですね。入母屋造で、徳川時代初期の建物。この拝殿に、1973年(昭和48年)に指定されたことが書いてありました。
次ぎに本殿ですが、今日の目的はここでした。普段は閉まっている本殿前の門が開けられると聞いたからです。
普段は月初め、仕事が忙しくて休めません。それが・・・この日は土曜日・・・絶好のチャンスでした。ただ前日の帰りが遅くて・・・お疲れ気味でしが・・・。
本当に開いています。本殿内にも入れると・・・聞いてたので・・・社務所・・・ここも普段は不在だそうで・・・今日は先程の参拝者の対応をされてたので表に出ておられたので・・・聞いてみることに。
鳥居を入って右手にあった社務所です。ここで朱印をお願いし、受け取る時に聞いてみました。「本殿内に入れるんですか」と。そしたら「お賽銭箱まで」と言われました。
「何だ・・・入れないのか」と。少々落胆しました。この福王子神社で見たかったのは、3月25日(金)に放送された「NHKニュース630 京いちにち」の中のコーナーに「京のええとこつれてって」がありました。その中でレポーターの方が周山街道を散策され福王子神社の本殿にある蟇股を紹介され・・・それが見たかったからです。
一間社(いっけんしゃ)春日造りの美しい屋根は、外からでも見られます。この本殿も重要文化財に指定に指定されています。ここの屋根は珍しい木賊葺き(とくさぶき)と呼ばれる方式となっています。なお、本殿の両脇の石灯籠も重要文化財に指定されています。
ところでテレビで紹介された蟇股は、何処にあるのかなぁ・・・と思い、先程朱印をいただいた社務所で聞いてみました。そしたら「案内しましょう」と言っていただき、念願の本殿内を案内してしただきました。
本殿内に入って、ご丁寧に一つづつ案内して貰えました。おまけに写真撮影もOKとの事で、嬉しい限りです。正面の蟇股からみています。
正面の「フクロウと椿」を見て右回りで、「鷺と雲」「雁とアヤメ」「海馬と波」となっています。あとで社務所の中で、修復前の写真を見せてもらいましたが、それに比べたら綺麗になったものです。
もう少しアップで撮れば良かったですね。実際にはもっと近くで見てるような感じです。2000年(平成12年)に創建1100年記念事業で、約2年をかけて修復工事され2002年(平成14年)に竣工。本殿や拝殿は綺麗に蘇ったようです。
本殿前の釣灯籠には、福王子神社の文字や菊の御紋が読み取れます。これでも修復され綺麗になったそうです。
次ぎ本殿左隣のにある境内社・夫荒社(ふこうしゃ)も安内していただきました。
普段は、外から、こうしてお参りします。案内の時、“ふこうしゃ”と聞き、どのように書くのか・・・聞きました。
真夏に氷室から御所へ氷を運ぶ途中、役夫が行き倒れたので、その霊を鎮めるため、お祀りした社だそうで、912年(延喜12年)に建てられました。この夫荒社が福王子の地名の由来となったとも伝わります。
その夫荒社の前にあったのか、君が代で知られるさざれ石です。遠慮して後から写真を撮ろうとしたら「正面から撮って下さい」と・・・本当にいい人。ここからほど近い山越のさざれ石山か運ばれてきてそうです。
本殿内の話が終わったら、、次ぎに「時間があればこちらに来て下さい」と、社務所の中を案内されました。もちろん喜んで・・・です。
まさか・・・社務所内まで入れるなんて・・・思わなかったです。ただ中はお祭りの準備で、いろんな物が置いてありましたが・・・それに・・・暑かった・・・です。
修復前の拝殿に掲げられた「鳴滝砥石」で造られた「遍照」と書かれた扁額です。これだけ立派な砥石は一見の価値ありです。
ここでも古写真を見ながら熱心に案内していただきました。修復前の蟇股の写真を見て、現在どれだけ綺麗になったのかも興味深く見ることができました。
熱心に案内していただきましたが、帰る際に拝観料を聞き損ねました。まだお参りをしてなかったのでお賽銭箱に、それなりに入れて置きました。
こちらが境内西側にあった手水舎です。私らのあとにも、次から次へとお参りに来られますが、申し出がない限り案内はされないようですね。本来は、電話予約しておきべきなんでしょう。
福王子神社は、光孝天皇(第58代天皇)の皇后で、宇多天皇の母君班子女王(はんしじょおう)を祭神として祀られています。900年(昌泰3年)に68歳で崩御された班子女王の陵墓の地がこの辺りと伝わり、班子女王を祀る社殿が造営されたとか。神社名の由来は、班子女王が多くの皇子皇女を生んだ事に由来するともいわれています。古くから仁和寺の守護神として祀られ、歴代の仁和寺法親王から厚い尊崇を受けてきました。社殿は応仁の乱によって仁和寺とともに全て焼失してしまい、1644年(寛永11年)徳川3代将軍・徳川家光の寄進により、仁和寺の伽藍整備とともに造営されました。
先程の案内で、10月9日と16日の秋祭の写真も見せていただきました。道路を封鎖して神輿がでるそうですが、これがアップされた頃には終わっていますね。
ここには30分ほど居ました。狭い境内を見るにはそんなに時間はかかりませんが、案内をしていただいから長く滞在してしまいました。帰りに仁和寺の仁王門裏を見に行きました。
そこに鎮座している狛犬を見に来た訳です。福王子神社本殿前の狛犬は、修復され現在、京都文化博物館に寄託されてるそうです。実物が見られないので、こうして「同じ彫り師の狛犬を見て帰って」と言われたので、こうしてに来ました。
ここに止めてある仁和寺の駐車場を通過して、龍安寺のほど近くまでこれから歩いて行きました。