京都浄土宗寺院 特別大公開 妙泉寺へ
10月に入って今年も、京都浄土宗寺院 特別大公開が始まりました。今年で3回目となるイベントですが、昨年は2ケ寺しか行けなかったので、今年は精力的に回ろうかと思って・・・早速10月4日(火)に行ってきました。
トップバッターは四条大宮から程近く、三条通り商店街の真ん中にある妙泉寺です。公開日は、10月3日(月)~5日(水)の3日間だけ
・・・しかも平日のみ
・・・休み取るしか行けません・・・
・・・そんな訳で昼から休みを取って、先ずは四条大宮に向かいます。
四条大宮から大宮通りを北上し三条通り商店街まで行くと、西側に三条大宮公園があって、その西側の露地を入ると突き当たりに;山門がありました。山門の前に看板があるので安心して門を開けました。一瞬、門に柵があるので焦りましたが・・・扉が開いてくれた時は、ホット・・・しました
。
表は商店街に多くの人が行き交い賑やかですが、ちょっと入ったらこんなに静かなんですね。しかし・・・奥へ行けば・・・人の話し声が聞こえてきて・・・。
この奥にある玄関から入ります。入ったら名前を書くように言われたので、芳名帳に記入します。以外な事にカラー版の由緒書きをいただきました。
ここは最初から“朱印”が無いのは事前に分かってました。他の人が朱印のことを聞いてましたが、やっぱり無いようでしたね、仕方ないです。受付を済ませると普段非公開の本堂に入りました。
残念ながら堂内は撮影禁止でした。堂内中央には、本尊の阿弥陀如来立像が安置されてましたが、怪慶作だと書いてありました。と言うのも住職さん・・・先に来られてた方の相手をされてて・・・結局最後まで、話が聞けなかったのは残念でした。
平日でも次から次へと入って来られます。実は・・・翌日の5日(水)・・・強い台風18号が近畿に最接近する予報が出ていました。当然5日は敬遠するでしょうし、本当は5日の方が都合が良かった私も4日に訪れた次第です。しかし・・・結果は、会社を退社する頃が最も強い雨が降った程度で風は皆無でした。
堂内では百萬遍念佛縁起や浮世絵師西川祐信、円山派の画家駒井源琦等の作品が公開されてました。ただ見ただけでは分からないですよね、誰かに案内してほしかったなぁ・・・が本音です
。
次ぎに書院で休憩です。ここではお茶と阿闍梨餅をいただきました。住職さんも忙しそうに、本堂と書院を行ったりきたり・・・と、質問に答えられてました。
住職さんも「お構いもせずすいません」と言われましたが、拝観料も要らないのに、阿闍梨餅までいただいたので、再び本堂に戻って、お賽銭箱にそれなりに入れて置きました
。
お菓子とお茶をいただいたら再び玄関から出て行きました。本堂前には苔生した前庭が綺麗でした。小さな庭でしたが、苔が綺麗でしたね。
次ぎに、洛中辨財天二十九ケ所第24番札所辨天堂に寄りました。それより、札所
朱印は無いとの説明を聞きましたが・・・。
山門を入って最初に本堂に入りましたが、山門の正面に鳥居が見えていたので、何だか違和感を覚えてました。
鳥居の左右に水盤がありましたが、水が入ってたのは右側だけ
。ここだけなら神社に来たような感じです。
鳥居をくぐって正面のお堂にお参りしました。堂内には弘法大師の自作と伝わる福寿辨財天像が安置されてるそうです。外からでは窺い知ることはできませんでした。
第52代・嵯峨天皇の時代であった814年(弘仁5年)に空海上人がこの場所にて護摩の焚灰を以て尊像を安置・・・と由緒書きでは書いてありました。
最後に、この妙泉寺の紹介文に書いてあった境内墓地・・・西川 祐信(にしかわすけのぶ)のお墓にお参りして、ここを出ました。
案内文を見ても広い墓地・・・何処にあるか分からないので再び玄関まで戻って、受付で聞くと・・・わさわざ墓地まで案内していただきました。
もう一人、源琦の墓は行き損ねましたが、堂内も入れて阿闍梨餅までいただいて、お昼を抜い来て良かったです。妙泉寺は、浄土宗百万遍知恩寺の末寺だそうで、まだ本家は行ったことがないのに、末寺の方を先に来てしまいました
。こには20分程度お邪魔しましたが、今日は、もう一ケ箇所行く予定にしていたので先を急ぎます。
【妙泉寺 本堂】

トップバッターは四条大宮から程近く、三条通り商店街の真ん中にある妙泉寺です。公開日は、10月3日(月)~5日(水)の3日間だけ



四条大宮から大宮通りを北上し三条通り商店街まで行くと、西側に三条大宮公園があって、その西側の露地を入ると突き当たりに;山門がありました。山門の前に看板があるので安心して門を開けました。一瞬、門に柵があるので焦りましたが・・・扉が開いてくれた時は、ホット・・・しました

表は商店街に多くの人が行き交い賑やかですが、ちょっと入ったらこんなに静かなんですね。しかし・・・奥へ行けば・・・人の話し声が聞こえてきて・・・。
この奥にある玄関から入ります。入ったら名前を書くように言われたので、芳名帳に記入します。以外な事にカラー版の由緒書きをいただきました。
ここは最初から“朱印”が無いのは事前に分かってました。他の人が朱印のことを聞いてましたが、やっぱり無いようでしたね、仕方ないです。受付を済ませると普段非公開の本堂に入りました。
残念ながら堂内は撮影禁止でした。堂内中央には、本尊の阿弥陀如来立像が安置されてましたが、怪慶作だと書いてありました。と言うのも住職さん・・・先に来られてた方の相手をされてて・・・結局最後まで、話が聞けなかったのは残念でした。
平日でも次から次へと入って来られます。実は・・・翌日の5日(水)・・・強い台風18号が近畿に最接近する予報が出ていました。当然5日は敬遠するでしょうし、本当は5日の方が都合が良かった私も4日に訪れた次第です。しかし・・・結果は、会社を退社する頃が最も強い雨が降った程度で風は皆無でした。
堂内では百萬遍念佛縁起や浮世絵師西川祐信、円山派の画家駒井源琦等の作品が公開されてました。ただ見ただけでは分からないですよね、誰かに案内してほしかったなぁ・・・が本音です

次ぎに書院で休憩です。ここではお茶と阿闍梨餅をいただきました。住職さんも忙しそうに、本堂と書院を行ったりきたり・・・と、質問に答えられてました。
住職さんも「お構いもせずすいません」と言われましたが、拝観料も要らないのに、阿闍梨餅までいただいたので、再び本堂に戻って、お賽銭箱にそれなりに入れて置きました

お菓子とお茶をいただいたら再び玄関から出て行きました。本堂前には苔生した前庭が綺麗でした。小さな庭でしたが、苔が綺麗でしたね。
次ぎに、洛中辨財天二十九ケ所第24番札所辨天堂に寄りました。それより、札所

山門を入って最初に本堂に入りましたが、山門の正面に鳥居が見えていたので、何だか違和感を覚えてました。
鳥居の左右に水盤がありましたが、水が入ってたのは右側だけ

鳥居をくぐって正面のお堂にお参りしました。堂内には弘法大師の自作と伝わる福寿辨財天像が安置されてるそうです。外からでは窺い知ることはできませんでした。
第52代・嵯峨天皇の時代であった814年(弘仁5年)に空海上人がこの場所にて護摩の焚灰を以て尊像を安置・・・と由緒書きでは書いてありました。
最後に、この妙泉寺の紹介文に書いてあった境内墓地・・・西川 祐信(にしかわすけのぶ)のお墓にお参りして、ここを出ました。
案内文を見ても広い墓地・・・何処にあるか分からないので再び玄関まで戻って、受付で聞くと・・・わさわざ墓地まで案内していただきました。
もう一人、源琦の墓は行き損ねましたが、堂内も入れて阿闍梨餅までいただいて、お昼を抜い来て良かったです。妙泉寺は、浄土宗百万遍知恩寺の末寺だそうで、まだ本家は行ったことがないのに、末寺の方を先に来てしまいました

【妙泉寺 本堂】