京都浄土宗寺院 特別大公開 悟眞寺へ
妙泉寺を出て三条通り商店街を東に進むと、八坂神社御共社があり寄ってきました。ここの朱印は八坂神社でいただけますので、朱印をいただいたらアップします。そのまま東に進んで地下鉄東西線「二条城前」から「太秦天神川駅」まで移動し、そこから定期のある嵐電に一駅だけ乗っても良かったですが、電車を待ってる時間がもったいいので歩きました。
約10分程度で、東映太秦映画村の手前にある京都浄土宗寺院 特別大公開 梧真寺(ごしんじ)に着きました。
太秦広隆寺と映画村の間に位置します。何度も何度もこの前を通ってましたが、このお寺の存在すら知らなかったです。
併設の“自然幼稚園”から園児の声がこだまして賑やなこと少し興ざめしてしまいそうですが、この表門から奥に進むと真新しい本堂が目に入ってきました。
小さな看板が出ていて、本堂の左側の階段を上がって堂内に入りました。2013年(平成25年)6月竣工の本当に綺麗な堂内の中央には、これまたピカピカの阿弥陀如来坐像を安置。しかし見所は天井でしたね。
本堂内陣の天井には、圓山應擧の眠っているお寺由縁に、九代目圓山慶祥・真祥氏によって丹念に描かれた、これまた見事な天井画を見せていただきました。
堂内は撮影禁止でした。このカラフルな天井画を撮れなかったのは残念でしたし、ここでは案内も無いようでした。要するに好きに見て好きにお参りして下さい・・・そんな感じでした。
堂内の椅子に座って暫し休憩。滅多に入れない堂内の印象を目に焼き付かせて・・・特に・・・素晴らしかった天井画を思い浮かべて、本堂を出ました。
この本堂の向かいには山門があって、その横には「圓山應擧誕生地」と書いてある石碑もありました。
門の向こう側が“自然幼稚園”で、園児が元気よく走りまくっています。門から外へ出られなくなってます・・・本当は、外から撮りたかったんですが幼稚園に入れないようにセキュリティ対策がされてました・・・当然かも知れませんね。
ここに来て最初に行ったのが寺務所でした。本堂に勝手に入るには、少しためらったからでも先に朱印をもらいました。
そこで「本堂に入れますか」と尋ねたら「どうぞ」と言われたんです。そして安心して本堂に上がった次第です。
本堂前に「圓山應擧誕生地」と書いてありまりましたが、確か・・・丹波亀岡だったような・・・そして、もう一つ「圓山應擧の墓」があると聞いていました。寺務所で尋ねると場所を教えていただきました。
圓山應擧の墓が中央にあって、向かって左に子孫の「應震(應瑞の甥・円山派3代目)」「應誠」の墓。右に「應瑞(應挙の長男・円山派2代目)」「應立(應震の養子・円山派4代目)」の墓がありました。
それぞれの墓石には圓山應擧本姓である“源”の文字が刻まれていました。最初に場所を聞いたので迷うことは無かったですし、聞かなくても直ぐに分かるかと思います。ここに来た時から、多分・・・「あれだろうなぁ」と思ってました。
圓山應擧は、「足のない幽霊」を最初に描いた画家として広く知られていますね。そんな有名な圓山應擧が映画村にほど近い所に眠ってたとは、知らなかったです。園児達の賑やかな声をあとに悟眞寺を出ました。そう言えば今日はお昼を食べてなかったので丸太町通りまで行って食事して帰りました。
【悟眞寺 圓山應擧の墓】
約10分程度で、東映太秦映画村の手前にある京都浄土宗寺院 特別大公開 梧真寺(ごしんじ)に着きました。
太秦広隆寺と映画村の間に位置します。何度も何度もこの前を通ってましたが、このお寺の存在すら知らなかったです。
併設の“自然幼稚園”から園児の声がこだまして賑やなこと少し興ざめしてしまいそうですが、この表門から奥に進むと真新しい本堂が目に入ってきました。
小さな看板が出ていて、本堂の左側の階段を上がって堂内に入りました。2013年(平成25年)6月竣工の本当に綺麗な堂内の中央には、これまたピカピカの阿弥陀如来坐像を安置。しかし見所は天井でしたね。
本堂内陣の天井には、圓山應擧の眠っているお寺由縁に、九代目圓山慶祥・真祥氏によって丹念に描かれた、これまた見事な天井画を見せていただきました。
堂内は撮影禁止でした。このカラフルな天井画を撮れなかったのは残念でしたし、ここでは案内も無いようでした。要するに好きに見て好きにお参りして下さい・・・そんな感じでした。
堂内の椅子に座って暫し休憩。滅多に入れない堂内の印象を目に焼き付かせて・・・特に・・・素晴らしかった天井画を思い浮かべて、本堂を出ました。
この本堂の向かいには山門があって、その横には「圓山應擧誕生地」と書いてある石碑もありました。
門の向こう側が“自然幼稚園”で、園児が元気よく走りまくっています。門から外へ出られなくなってます・・・本当は、外から撮りたかったんですが幼稚園に入れないようにセキュリティ対策がされてました・・・当然かも知れませんね。
ここに来て最初に行ったのが寺務所でした。本堂に勝手に入るには、少しためらったからでも先に朱印をもらいました。
そこで「本堂に入れますか」と尋ねたら「どうぞ」と言われたんです。そして安心して本堂に上がった次第です。
本堂前に「圓山應擧誕生地」と書いてありまりましたが、確か・・・丹波亀岡だったような・・・そして、もう一つ「圓山應擧の墓」があると聞いていました。寺務所で尋ねると場所を教えていただきました。
圓山應擧の墓が中央にあって、向かって左に子孫の「應震(應瑞の甥・円山派3代目)」「應誠」の墓。右に「應瑞(應挙の長男・円山派2代目)」「應立(應震の養子・円山派4代目)」の墓がありました。
それぞれの墓石には圓山應擧本姓である“源”の文字が刻まれていました。最初に場所を聞いたので迷うことは無かったですし、聞かなくても直ぐに分かるかと思います。ここに来た時から、多分・・・「あれだろうなぁ」と思ってました。
圓山應擧は、「足のない幽霊」を最初に描いた画家として広く知られていますね。そんな有名な圓山應擧が映画村にほど近い所に眠ってたとは、知らなかったです。園児達の賑やかな声をあとに悟眞寺を出ました。そう言えば今日はお昼を食べてなかったので丸太町通りまで行って食事して帰りました。
【悟眞寺 圓山應擧の墓】