秦始皇帝を祀る!「大酒神社(おおさけ じんじゃ)」へ

悟眞寺を出て映画村の方に向かう途中と言うか、出てすぐに大酒神社(おおさけ じんじゃ)に寄りました。今日は、妙泉寺に行ったら八坂神社御共社に。悟眞寺に行くなら大酒神社に行くことは最初から決めていました。

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悟眞寺から徒歩1分で着きましたが、平日なんで映画村に向かう人も少ないので、ここも誰も居ませんでした。ただ前の道路は交通量、多いです。

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少し入った鳥居の手前に石碑があって、太秦大明神と呉織女(くれはとりめ)漢織女(あやはとりめ)は読み取れましたが、裏側と言うかその横に書いてある文字は、読めません

ここに来たのは初めてではありませんし、この前の通りは数え切れない程通ってますが、入ったのは・・・2回目かなぁ・・・と記憶していますが、写真を探しても当たらなかったので・・・いつ頃訪れたのか・・・

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境内は思ってたより広いと感じました。前に来た記憶が殆ど無いので新鮮でした。その手水舎手前の記念碑か石標か、何だか分かりません。

その手水舎ですが、水・・・入っていません。それに、ここには社務所も無いようてす。最初から、朱印は期待してなかったです

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ご覧のように水が入っていませんし、中を覗いた訳ではありませんが・・・井戸でも無いようですね。殆ど訪れる人も居ないか仕方ないかも

ひっそりとした境内を奥に進むと、南に向いた小さな本殿がありました。ここに秦の始皇帝が祀られている

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この鳥居をくぐる手前に由緒書きが書いてあって、それを先に読んで入りました。それを読むと、何と御祭神が・・・秦の始皇帝と書いてあって、驚いたのでもう一度読み直しました

祭神は、秦始皇帝(しんのしこうてい)、弓月王(ゆんずのきみ)、秦酒公(はたのさけのきみ)の3柱。相殿神に、呉服女(くれはとり)漢織女(あやはとり)の神霊である兄媛命(えひめのみこと)と弟媛命(おとひめのみこと)を祀る。渡来系氏族・秦氏に関わる広隆寺境内にある桂宮院(けいくういん)の鎮守社として祀られてたのを、明治政府による神仏分離令により現在地に移され祀られるようになりました。京都三大奇祭の一つ広隆寺の「牛祭り」は、当時の伽藍神であった時の大酒神社の祭礼でした。尚、広隆寺創建の立役者である、秦河勝(はたかわかつ)は秦酒公(はたのさけのきみ)6代目の孫。701年(大宝元年)子孫・秦忌寸都理はたのいみきとり)は松尾山大杉谷の磐座(いわくら)の神霊を勧請して松尾大社の社殿を造営。713年'(和同4年)秦伊呂具(はたのいろぐ)が伏見稲荷大社を建立。古代の葛野一帯を根拠とし、畿内のみならず全国の文明文化に貢献した秦氏の祖神です。

秦氏のルーツが秦始皇帝だったらしいとは、知らなかったです。ただ諸説あるでしょうけど。ここから映画村の前を通って何処か食事でも探しましたが・・・映画村内にある「レストランちゃんばら」にでも行こうかなぁと思いましたが、当然外からは入れないので断念。結局バス停のある丸太町通りまで行き、「ガスト常盤店」で遅く昼食を済ませて帰宅しました。

【大酒神社】



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