源義経 奥州へ旅の立ち地「首途(かどで)八幡宮」へ
越後家多齢堂を出て、今出川通りを西に進み、智恵光院通り少しだけ北に上がると、鳥居が見えて来ました。牛若丸(後の源義経)が奥州平泉の 藤原秀衡 ( ふじわらひでひら ) のもとへ出発するにあたり、道中安全を祈願したという伝説で知られる、首途八幡宮に着きました。
越後家多齢堂から5分で付きました。何故か参道に人が一杯居たため、この角度でしか写真が撮れなかったのは残念ですが・・・どうやら昨日まて、お祭りがあったようで・・・そのためでしょうね。
ご近所に貼ってあったポスターによると、9月14日が「御祭礼」、9月15日か゜「例大祭」があったようです。そしたら皆さん社務所に入って行かれたので、その隙に撮った石畳の参道です。
結果、この一瞬だけでしたね。帰りに撮ろうと思っても無理でした。その長い参道の途中には、「源義経奥周首途之地」と書いてある石碑を目にしました。
源九郎義経(幼名・牛若丸)は高倉天皇の時、1174年(承安4年)3月3日の夜明けに鞍馬山から、ここ首途八幡宮に参詣し旅の安全と武勇の上達を願い、奥州の商人・金売橘次(かねうりきちじ)に伴われて奥州平泉の藤原秀衡のもと旅だった。この地に金売橘次の屋敷があったと伝わり、この由緒により「内野八幡宮」から「首途八幡宮」と呼ばれるようになったという。
以前、NHK大河ドラマ「平清盛」が放送された時、牛若丸ゆかりの地を尋ねたことがありましたが、探せばいろいろあるですね。
写真右に写っているのが、社務所です。その中に沢山の人が入って何やら・・・智恵光院通りにある鳥居・・・そして次の鳥居がありました。
その鳥居の左手に手水舎があって、何故か鳩が居ました。
首途八幡宮の御祭神である誉田別尊(ほんだわけのみこと)が国内を平定するときに、道案内をしたのが鳩であったとされ、以来、鳩は八幡神の使いであるとされるようになったからだとか。
この第二の鳥居をくぐると、さらに鳥居が二つあって、どうやら本殿へは左側の階段で上がるようです(階段は2つありますがどちらでも同じです)。
先程の社務所と上にある本殿を皆さん、何度か往復されてて・・・一般の参拝者は・・・私らだけのようです。義経ゆかりの神社だけに、もう少し参拝者があるかと思ってましたが・・・。
とりあえず上に上がらず、先ずは右手の赤い鳥居の方に進みます。そこには弁天社がありました。
この奥まで来ると、先程の社務所の中の人達と嫌でも目が合います(窓が開いてたので)。早々と退散しました。
次ぎに、真ん中の石段を上がる途中にあったのが石像の大日如来が祀られてました。
蹴上げには義経大日如来と呼ばれる石仏があるそうですが・・・いろいろ調べると・・・判官贔屓で人気がある義経ですが・・・残忍な一面を知ることになりました。
義経一行が首途八幡宮で旅の安全を祈祷し出発しましたが、日ノ岡峠にさしかかった時、平家武者とその従者9名と出会いました。その時、従者の馬が泥を蹴り上げ義経の服にかかったようで、それに激怒した義経が9人の従者を斬り捨て、平家武者の鼻と耳をそぎました。そんな残忍な逸話がありました。
そのまま石段を上がると本殿前に出たので・・・一旦降りることに・・・今度は左端の石段を上がります。ようするにどちらでも本殿には出ることが分かりました。
そんなに広い境内じゃないので、下からでも分かってました。ところで・・・この石・・・何だろう・・・石標に文字が書いてあるけど・・・読めない・・・。
そんなことより、こんな街中で小高い丘があったもんてす。再び石段を上がって本殿に参拝です。
御祭神は、誉田別尊(応神天皇・ほんだわけのみこと)、比賣大神(ひめおほかみ)、息長帯姫命(神功皇后・おきながたらしひめのみこと)の3柱。
本殿前は大変狭いです。ここに来た時から神職さんらしき人が忙しそうに、上と下を往復されてて朱印は無理かなぁ・・・と社務所を見ると・・・。
社務所は閉まってましたが、呼鈴は押しませんでした。先程から忙しそうに下に上に移動されてたので・・・それより書置きの朱印がありました。
朱印と由緒書きがセットで置いてあったので、300円を賽銭箱に収めてきました。ここの御守りは鳩のデザインが可愛いですね。
書いて貰えなかったのは残念ですが、ひょっとして普段からも・・・そうかも知れません。上は大変狭いので、こちらの石標を見つけましたが、表面に何も書いてないので・・・分かりません。
ここにも百日紅が咲いてました。HPではいろんな花を楽しめそうです。そして参拝と朱印をいただいたので石段で降りました。
社伝によると、この地は平安京乾の隅、御所の北東の隅に位置し、王城鎮護の社として信仰が集めました。創建時期は不明ですが、宇佐八幡宮より誉田別尊(応神天皇)・比賣大神・息長帯姫命(神功皇后)を当地に勧請したが始まりだと言われています。
石段を降りて智恵光院通りの鳥居を見ると、こともあろうか鳥居の中に車が止められてます。そのため帰りは鳥居をくぐれず、しかも写真も撮れず、何だか踏んだり蹴ったりで、ここをあとにしました。
【首途八幡宮 本殿】
越後家多齢堂から5分で付きました。何故か参道に人が一杯居たため、この角度でしか写真が撮れなかったのは残念ですが・・・どうやら昨日まて、お祭りがあったようで・・・そのためでしょうね。
ご近所に貼ってあったポスターによると、9月14日が「御祭礼」、9月15日か゜「例大祭」があったようです。そしたら皆さん社務所に入って行かれたので、その隙に撮った石畳の参道です。
結果、この一瞬だけでしたね。帰りに撮ろうと思っても無理でした。その長い参道の途中には、「源義経奥周首途之地」と書いてある石碑を目にしました。
源九郎義経(幼名・牛若丸)は高倉天皇の時、1174年(承安4年)3月3日の夜明けに鞍馬山から、ここ首途八幡宮に参詣し旅の安全と武勇の上達を願い、奥州の商人・金売橘次(かねうりきちじ)に伴われて奥州平泉の藤原秀衡のもと旅だった。この地に金売橘次の屋敷があったと伝わり、この由緒により「内野八幡宮」から「首途八幡宮」と呼ばれるようになったという。
以前、NHK大河ドラマ「平清盛」が放送された時、牛若丸ゆかりの地を尋ねたことがありましたが、探せばいろいろあるですね。
写真右に写っているのが、社務所です。その中に沢山の人が入って何やら・・・智恵光院通りにある鳥居・・・そして次の鳥居がありました。
その鳥居の左手に手水舎があって、何故か鳩が居ました。
首途八幡宮の御祭神である誉田別尊(ほんだわけのみこと)が国内を平定するときに、道案内をしたのが鳩であったとされ、以来、鳩は八幡神の使いであるとされるようになったからだとか。
この第二の鳥居をくぐると、さらに鳥居が二つあって、どうやら本殿へは左側の階段で上がるようです(階段は2つありますがどちらでも同じです)。
先程の社務所と上にある本殿を皆さん、何度か往復されてて・・・一般の参拝者は・・・私らだけのようです。義経ゆかりの神社だけに、もう少し参拝者があるかと思ってましたが・・・。
とりあえず上に上がらず、先ずは右手の赤い鳥居の方に進みます。そこには弁天社がありました。
この奥まで来ると、先程の社務所の中の人達と嫌でも目が合います(窓が開いてたので)。早々と退散しました。
次ぎに、真ん中の石段を上がる途中にあったのが石像の大日如来が祀られてました。
蹴上げには義経大日如来と呼ばれる石仏があるそうですが・・・いろいろ調べると・・・判官贔屓で人気がある義経ですが・・・残忍な一面を知ることになりました。
義経一行が首途八幡宮で旅の安全を祈祷し出発しましたが、日ノ岡峠にさしかかった時、平家武者とその従者9名と出会いました。その時、従者の馬が泥を蹴り上げ義経の服にかかったようで、それに激怒した義経が9人の従者を斬り捨て、平家武者の鼻と耳をそぎました。そんな残忍な逸話がありました。
そのまま石段を上がると本殿前に出たので・・・一旦降りることに・・・今度は左端の石段を上がります。ようするにどちらでも本殿には出ることが分かりました。
そんなに広い境内じゃないので、下からでも分かってました。ところで・・・この石・・・何だろう・・・石標に文字が書いてあるけど・・・読めない・・・。
そんなことより、こんな街中で小高い丘があったもんてす。再び石段を上がって本殿に参拝です。
御祭神は、誉田別尊(応神天皇・ほんだわけのみこと)、比賣大神(ひめおほかみ)、息長帯姫命(神功皇后・おきながたらしひめのみこと)の3柱。
本殿前は大変狭いです。ここに来た時から神職さんらしき人が忙しそうに、上と下を往復されてて朱印は無理かなぁ・・・と社務所を見ると・・・。
社務所は閉まってましたが、呼鈴は押しませんでした。先程から忙しそうに下に上に移動されてたので・・・それより書置きの朱印がありました。
朱印と由緒書きがセットで置いてあったので、300円を賽銭箱に収めてきました。ここの御守りは鳩のデザインが可愛いですね。
書いて貰えなかったのは残念ですが、ひょっとして普段からも・・・そうかも知れません。上は大変狭いので、こちらの石標を見つけましたが、表面に何も書いてないので・・・分かりません。
ここにも百日紅が咲いてました。HPではいろんな花を楽しめそうです。そして参拝と朱印をいただいたので石段で降りました。
社伝によると、この地は平安京乾の隅、御所の北東の隅に位置し、王城鎮護の社として信仰が集めました。創建時期は不明ですが、宇佐八幡宮より誉田別尊(応神天皇)・比賣大神・息長帯姫命(神功皇后)を当地に勧請したが始まりだと言われています。
石段を降りて智恵光院通りの鳥居を見ると、こともあろうか鳥居の中に車が止められてます。そのため帰りは鳥居をくぐれず、しかも写真も撮れず、何だか踏んだり蹴ったりで、ここをあとにしました。
【首途八幡宮 本殿】