第41回 京の夏の旅 文化財特別公開「藤田家住宅」へ
岩上神社を出たのが9時43分でした。予定では次の所に10時前に必達の予定にしてましたが、一筋上がる所を下がってしまって・・・今出川通りまで出てしまいました。そこから堀川通りに出て北に上がります。そして9時57分・・・10時ギリギリに付きました
。
本日訪れたのは、第41回 京の夏の旅 文化財特別公開 藤田家住宅です。今回の夏の旅で未訪は二箇所でしたので、これで行けました。
着いたら玄関が開いてたので入りました。ここは平日だし空いてるだろうと思ってましたが、やっぱり混んできたら写真が撮りにくいので、どうしても一番で入る必要がありました。
入るとまだ、2分早かったので、受付はされず左手にある休憩所で時間まで待つことに・・・と言っても直ぐでしたが・・・
。
受付で拝観料600円を払って、先ずは1階の奥に案内されました。「藤田」と書かれた暖簾が歴史を感じます。
藤田家住宅は、東棟と西棟からなっており、最初に案内されたのは東棟でした。東棟は、もっとも古い部分は江戸時代まで遡りますが、表構えなどは大きく改築されており、明治期から大正期に建てられたと推測されています。
さすがに歴史ある建物だけに、傘立てや井戸の水を汲む滑車なんかありました。ここは一間だけの公開で、奥にある台所(おくどさん)なんかは非公開でした。
ここはほんの2分ぐらいの案内で、ガイドさんの案内により西棟に行くように案内されました。東棟はご家族の居間として使われてたようです。
次ぎに西棟です。今のところ私らだけで独占で話を聞くことができまたし、写真も好きなように撮ることができました。狙い通りです
。
上がフラッシュあり、下がフラッシュ無しの写真です。先ずは奥の部屋(書院の間)で藤田家について歴史など詳しく聞きました。
藤田家は、帯製造業を営んでいた西陣にある町屋です。東棟は虫籠窓や格子窓をそなえた古い部分は江戸時代の建築と推定されますが、明治後期から大正初期にかけて改造はされていす。また、西棟は大工・高源次郎によって1935年(昭和10年)に建て替えられました。
この部屋では、細い竹をふんだんに使った木戸が特徴でしょう。現在では、こんに細い竹は手に入らないようです。また床の間の掛け軸は、中国語の書体で「寿」と書かれています。
下の写真の地袋では、銀箔を貼ってありますが、年月ととに黒ずんできています。また、上の写真の地袋では金粉を塗ってありますが、こちらも年月とともに落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
8畳である書院風座敷は、檜の角柱を用い、床・地袋・付書院を構えて書院造りの意匠をみせています。
次ぎに庭の案内です。それより先程から蚊が飛んで来て・・・ガイドさんも「今年の夏は猛暑のため、蚊も飛んでなかったけど、ここ最近、蚊が多い」と言われてました
。
写真上から、建物は閉まっていますが「厠」です。写真中は、表千家・堀内千完(ほりのうちそうかん)が「養心(よいしん)」と名付けた茶室が。写真下は、左が重厚な二階建ての「蔵」。その右が、現在では珍しい「炭置き小屋」でした。
こうなったら興味津津で近くで見たかったですね。忠臣蔵の吉良上野介も炭小屋で見つかった話は面白かったです
。
次が6畳の座敷に移動です。床柱には、スギの絞り丸太を使用。柱にはスギ丸太を使用。長押(なげし)を廃した数寄屋風意匠となっています。また、畳の下・・・板敷を外せば水屋を置いて茶室としても使用されてました。
ここの話の途中で、後続が来られたため独占は終わりました
。しかし、今まで納得の写真が撮れましたし、これから行く2階も多分・・・独占でしょうし
。
写真は上、障子を外せば仏間になっているらしいです。奥に仏壇が収まってるとの説明を受けました。下の写真の床柱は、黒ずんだスギの絞り丸太が特徴です。
そして座敷を出て高さ8㍍もある吹き抜けの案内です。上には天窓があてて自然光が入ってくる仕組みとなっています。
ここは帯を販売されてたので、1階で商談をされる時に、自然光で帯の品質検査を見る必要があったとか。3階まで吹き抜けとなっていますが、3階は屋根裏で主に倉庫として使用されてました。
西棟1階の最後の案内は、洋間です。中央に暖炉、網代天井からはアールデコ風のランプを吊し、昭和初期の洗練された意匠を見ることができます。
和室を意識されたのか、椅子の脚が短いのが特徴だうで、正座した時の高さに合わされたとか。残念ながら中に入ることは叶いませんでした。
1階での案内が終わったので、2階へ上がります。3階の尾根裏部屋は倉庫になっているそうで、そちらには行けません。
最初、受付で写真撮影について聞きました。基本何処を撮ってもOKですが、窓から外にカメラを向けないで」と。住宅街の中にあるので・・・了解です
。
2階に上がるとガイドさん以外は誰も居ません。これまた狙い通りです
。藤田家では居間として利用されたようですが、南北に8畳の座敷があって、先ずは北側の座敷から見学です。
帯製造業を営まれた関係の品が展示さてました。我が家も着物関係の仕事を親がしてましたが、さすがに知らないですね。また、上を見上と欄間には富士山が・・・藤田家と富士・・・1階の洋間にも富士山の絵が飾ってありましたね。
床の間の掛け軸は、三重県松阪市出身の日本画家・宇田 荻邨(うだ てきそん)の栗の絵です。9月から秋らしく変えられたそうです。7月や8月は、誰の絵が飾ってあったんでしょう
。
これ・・・冷蔵庫だそうです。戦後、白物家電で急速に復旧した冷蔵庫でしたが、これは氷を入れるタイプなんでしょう。祖母が、テレビ・洗濯機・冷蔵庫の中で、一番助かったのが、冷蔵庫と言ってたのを思い出しました。
こちらは南側の8畳の座敷で一段高くなっています。ご主人が休憩される居間だったそうです。また私の時代では無かった蓄音機が置いてありましたが、ご主人が楽しまれたのでしょう。壁際には藤田家所蔵の蔵書でしょうか・・・置いてありました。
北と南との間にあった小さな部屋でしたが、藤田家が当時使われていた小物も展示されてました。
そこから下を見下ろすことができて、台所が見えています。また、下で説明のあった、松の流木も間近で見ることができます。わざわざ松の木の流木を探してくるなんて・・・ここの住宅を建てられた労力に感心します。
ここには、たっぷり30分も居ました。ガイドさんの話も隅々まで聞きましたし、ゆっくり見学させてもらいました。西陣の繁栄を今に伝える貴重な住宅を見せて貰い、本当に良かったです。大満足でここを出ました。
【藤田家住宅】


本日訪れたのは、第41回 京の夏の旅 文化財特別公開 藤田家住宅です。今回の夏の旅で未訪は二箇所でしたので、これで行けました。
着いたら玄関が開いてたので入りました。ここは平日だし空いてるだろうと思ってましたが、やっぱり混んできたら写真が撮りにくいので、どうしても一番で入る必要がありました。
入るとまだ、2分早かったので、受付はされず左手にある休憩所で時間まで待つことに・・・と言っても直ぐでしたが・・・

受付で拝観料600円を払って、先ずは1階の奥に案内されました。「藤田」と書かれた暖簾が歴史を感じます。
藤田家住宅は、東棟と西棟からなっており、最初に案内されたのは東棟でした。東棟は、もっとも古い部分は江戸時代まで遡りますが、表構えなどは大きく改築されており、明治期から大正期に建てられたと推測されています。
さすがに歴史ある建物だけに、傘立てや井戸の水を汲む滑車なんかありました。ここは一間だけの公開で、奥にある台所(おくどさん)なんかは非公開でした。
ここはほんの2分ぐらいの案内で、ガイドさんの案内により西棟に行くように案内されました。東棟はご家族の居間として使われてたようです。
次ぎに西棟です。今のところ私らだけで独占で話を聞くことができまたし、写真も好きなように撮ることができました。狙い通りです

上がフラッシュあり、下がフラッシュ無しの写真です。先ずは奥の部屋(書院の間)で藤田家について歴史など詳しく聞きました。
藤田家は、帯製造業を営んでいた西陣にある町屋です。東棟は虫籠窓や格子窓をそなえた古い部分は江戸時代の建築と推定されますが、明治後期から大正初期にかけて改造はされていす。また、西棟は大工・高源次郎によって1935年(昭和10年)に建て替えられました。
この部屋では、細い竹をふんだんに使った木戸が特徴でしょう。現在では、こんに細い竹は手に入らないようです。また床の間の掛け軸は、中国語の書体で「寿」と書かれています。
下の写真の地袋では、銀箔を貼ってありますが、年月ととに黒ずんできています。また、上の写真の地袋では金粉を塗ってありますが、こちらも年月とともに落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
8畳である書院風座敷は、檜の角柱を用い、床・地袋・付書院を構えて書院造りの意匠をみせています。
次ぎに庭の案内です。それより先程から蚊が飛んで来て・・・ガイドさんも「今年の夏は猛暑のため、蚊も飛んでなかったけど、ここ最近、蚊が多い」と言われてました

写真上から、建物は閉まっていますが「厠」です。写真中は、表千家・堀内千完(ほりのうちそうかん)が「養心(よいしん)」と名付けた茶室が。写真下は、左が重厚な二階建ての「蔵」。その右が、現在では珍しい「炭置き小屋」でした。
こうなったら興味津津で近くで見たかったですね。忠臣蔵の吉良上野介も炭小屋で見つかった話は面白かったです

次が6畳の座敷に移動です。床柱には、スギの絞り丸太を使用。柱にはスギ丸太を使用。長押(なげし)を廃した数寄屋風意匠となっています。また、畳の下・・・板敷を外せば水屋を置いて茶室としても使用されてました。
ここの話の途中で、後続が来られたため独占は終わりました


写真は上、障子を外せば仏間になっているらしいです。奥に仏壇が収まってるとの説明を受けました。下の写真の床柱は、黒ずんだスギの絞り丸太が特徴です。
そして座敷を出て高さ8㍍もある吹き抜けの案内です。上には天窓があてて自然光が入ってくる仕組みとなっています。
ここは帯を販売されてたので、1階で商談をされる時に、自然光で帯の品質検査を見る必要があったとか。3階まで吹き抜けとなっていますが、3階は屋根裏で主に倉庫として使用されてました。
西棟1階の最後の案内は、洋間です。中央に暖炉、網代天井からはアールデコ風のランプを吊し、昭和初期の洗練された意匠を見ることができます。
和室を意識されたのか、椅子の脚が短いのが特徴だうで、正座した時の高さに合わされたとか。残念ながら中に入ることは叶いませんでした。
1階での案内が終わったので、2階へ上がります。3階の尾根裏部屋は倉庫になっているそうで、そちらには行けません。
最初、受付で写真撮影について聞きました。基本何処を撮ってもOKですが、窓から外にカメラを向けないで」と。住宅街の中にあるので・・・了解です


2階に上がるとガイドさん以外は誰も居ません。これまた狙い通りです

帯製造業を営まれた関係の品が展示さてました。我が家も着物関係の仕事を親がしてましたが、さすがに知らないですね。また、上を見上と欄間には富士山が・・・藤田家と富士・・・1階の洋間にも富士山の絵が飾ってありましたね。
床の間の掛け軸は、三重県松阪市出身の日本画家・宇田 荻邨(うだ てきそん)の栗の絵です。9月から秋らしく変えられたそうです。7月や8月は、誰の絵が飾ってあったんでしょう

これ・・・冷蔵庫だそうです。戦後、白物家電で急速に復旧した冷蔵庫でしたが、これは氷を入れるタイプなんでしょう。祖母が、テレビ・洗濯機・冷蔵庫の中で、一番助かったのが、冷蔵庫と言ってたのを思い出しました。
こちらは南側の8畳の座敷で一段高くなっています。ご主人が休憩される居間だったそうです。また私の時代では無かった蓄音機が置いてありましたが、ご主人が楽しまれたのでしょう。壁際には藤田家所蔵の蔵書でしょうか・・・置いてありました。
北と南との間にあった小さな部屋でしたが、藤田家が当時使われていた小物も展示されてました。
そこから下を見下ろすことができて、台所が見えています。また、下で説明のあった、松の流木も間近で見ることができます。わざわざ松の木の流木を探してくるなんて・・・ここの住宅を建てられた労力に感心します。
ここには、たっぷり30分も居ました。ガイドさんの話も隅々まで聞きましたし、ゆっくり見学させてもらいました。西陣の繁栄を今に伝える貴重な住宅を見せて貰い、本当に良かったです。大満足でここを出ました。
【藤田家住宅】