若宮神社(若宮八幡宮)へ

玄武神社を出て建勲通りを西に出て大宮通りに出ます。そしたら少しだけ北上すると右手に今宮神社御旅所があって少し上がって左手に若宮神社の鳥居があって、今日の最後の訪問地に着きました。

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本当は、先程の玄武神社で今日の予定は終わって帰るつもりでした。バスに乗るため大宮通りに出てここを北上すと思い出したんです。この辺りに神社があったのを・・・。

昨年の10月に「西陣の名銭湯めぐり」に参加して、この辺りを歩いていました。さらさ西陣から金龍湯に向かう途中に、この前を通ってたんです。

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鳥居を入って、左手に萩の花が咲いてました。散ったり咲いたりする萩の花も今が旬。そしてその先には苔生した蹲踞もありました。その先が手水舎でしたが、水が入っていません

大宮通り沿いの鳥居を入って、直ぐにもう一つ鳥居があって右手に社務所、正面に唐破風の屋根を持つ本殿がありました。

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先ず社務所ですが、人が居ました。朱印と由緒書きを尋ねたら「無いんです」と・・・。「御免なぁ」と誤ってもらっても・・・。水火天満宮と玄武神社で空振りしたので、これで三球三振です

駒札も無し、由緒書きも無しでは・・・何も分かりません。若宮神社とありましたが、入口の提灯には若宮八幡宮と書いてあり益々わからなくなりましたが、それでも・・・調べてみると・・・。

石清水八幡宮を本宮とする八幡宮社で、『大江山絵巻』の頼光の鬼退治でも描かれてる源頼光(みなもとよりみつ)の邸内にあった鎮守社がその起こりだと言われています。その源頼光の祖、清和天皇が御祭神です。

先程、訪れた玄武神社の御祭神である惟喬親王(これたかしんのう)の異母弟が惟喬親王(これたかしんのう)後の清和天皇にあたるんですよね、つながりがありました

その本殿の左隣にあった赤い鳥居の末社・・・お馴染みの稲荷社で、稲荷大明神、権太夫大明神、白菊大明神、吉丸明神、久高明神が祀られています・・・。

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祀られてる社殿が見当たりません。鳥居の奥には石碑があって、御祭神名が刻まれてました。社殿が無いのも驚きですが・・・何だか分かりません

1930年(昭和5年)に、区画整理により南向きの社殿を、現在の東向きに変えられたみたいです。ここには長居せず、大徳寺の方に向かって歩き、紫野和久傳 大徳寺店を覗いてみました。ここは行列必至ですが誰も並んでいません。この時、11時過ぎでした。これなら入れるかも・・・と思いきや・・・開店が11時30分からで、待つのも嫌でここからバスに乗って帰りました。最初にカステラを買ったので、その重さも・・・段々堪えてきて・・・それで円町までバスに乗って、そこからなか卯で食事してから帰りました。

【若宮神社 本殿】



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