薩摩藩ゆかりの大黒寺へ

金札宮を出て、ほぼ向かいにあるのが大黒寺です。この春に、春季非公開寺院特別公開で内部が公開され、秘仏大黒天像、西郷隆盛と大久保利通の会談の間、薩摩九烈士ゆかりの遺品など見ることができました。

私は残念ながら、前途のとおり入院してしまったので行けませんでしたので、この大黒寺もリベンジのためやって来ました。ただ、今日はもちろん入れませんが・・・。

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ここがお寺の入口と思ってしまうほど、お寺に似合わない通用門と言うか表門を入ってみると・・・。

ここも狭い境内は駐車場になっていました。正面に寺務所、その南側に本堂がありましたが、その前に車が止まって・・・それで、本堂前に行って先ずはお参り。

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本尊の大黒天は60年に一度、甲子(きのえね)の年に開帳されるので、前回は1984年(昭和59年)で、次回が2044年・・・後・・・28年後・・・今年の春・・・見損ねたのは・・・本当に、残念です。中を覗いてみましたが、当然厨子は固く閉まってます。(当たり前か

この本堂の扁額には「円通」と書かれています。元々大黒寺は円通山長福寺といい、第51代・平城天皇(へいぜいてんのう)の第三皇子・真如法親王(空海の弟子)が開基。

次ぎに寺務所に寄りました。ダメ元で中を覗くと、お寺の方が何やら作業をされてて、外からガラス戸を叩くと、開けていただきました。「朱印お願いできますか」と聞くと、あるみたいで・・・・。

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その場で書いていただきました。また、由緒書きカラーの立派なもので、来て見て良かったです。ただ・・・やっぱり春に来たかった・・・。

江戸初期、1615年(元和元年)に島津義弘が、伏見の薩摩藩邸から近かった長福寺に島津家の守り本尊である大黒天が祀られてるのを知り、幕府(伏見奉行・山口駿河守)に懇願。薩摩藩の祈願所としました。その際に出世大黒天を本尊として、寺の名を大黒寺と改めたそうです。

この本堂と書院のある寺務所の間の奥には、墓地があります。その墓地には2日前に訪れた寺田屋騒動で犠牲になった「薩摩藩九烈士の墓」がありましたが・・・。

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特別公開時でもないので、勝ってに入って良いのかどうか分からなかったので、これ以上奥には行きませんでした。

本堂前には、2003年(平成15年)に井戸を新たに掘られたら清冽な水が湧き出てきたそうで、そこには「金運清水」と看板には書いてありました。

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笑い話ですが、ここも蚊が多くて・・・早々に退散しました。ここでお金を清めたら金運が上昇するらしいので、もったいないことしました

狭い境内に車が止まってるので写真・・・撮りにくい・・・です。こちらは多分・・・不動明王でしょうね、手前には手水鉢までありました。

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ここに入る時、気が付かなかったんですが、入口には手水鉢もありました。朝早くから数名のかたがお参りに来られてました。

境内は狭いので直ぐに出て行かれるので、ほぼ独占てしたが・・・ここは薩摩島津家とゆかりがあるので、探せば島津家の家紋を見ることができます。ここでは鎮守社の下に見ることができました。

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薩摩藩士の厚い信仰を受けて、藩主はこの寺を祈願所としたので、いつしか薩摩寺と呼ばれるようになりました。

ここで西郷隆盛と大久保利通が会談したんですね、見たかったです、その部屋を。最近ニュースで、2018年のNHK大河ドラマは「西郷どん」。主役に俳優・鈴木亮平が決まったことが放送されてました。この大黒寺も話題になるのは必至だと思います。その時、特別拝観されることを期待しつつ、ここを出ることにしました。

ここを出たのが9時35分頃。次の寺院には10分もかかりませんが、取りあえず行ってみることにしました。9時前にお会いした住職さんには10時からと言われましたが・・・。

【大黒寺 本堂】



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