京都浄土宗寺院 特別大公開 勝念寺(しょうねんじ)へ
今日の9時前にやって来て、撮影だけして9時過ぎには出て行って、そして再び9時40分にやって来たのが京都浄土宗寺院 特別大公開 勝念寺(しょうねんじ)です。
あとで知ることになりますが、勝念寺は通称“かましきさん”と呼ばれ親しまれています。それで門前には石標が立っていました。
門を入ると正面に鉄筋コンクリート造りの本堂があります。あとで内部に入ってお参りさせてもらいます。
その山門を入って右手に身代釜敷地蔵尊が公開されてました。普段から見られるかどうかは知りませんが・・・。
釜を足下に敷いているのが釜敷ですが、写真の撮り方が悪くて・・・写っていません。寺伝によると織田信長か賜ったとか。
地獄で釜茹での責めに苦しんでいる人の身代りとなって、自ら煮えたぎった釜の中に入り、地獄と此の世で苦しむ人の苦を取り除き、幸せへと導いてくださるお地蔵さまだそうです。
ここは早くから開いてました。前途のとおり通常から開いてるかどうかは分かりません。足元を見ると、可愛い蛙が・・・身代蛙と書いてありました。
この時間では本堂も開いてないので、撮影だけで寄りましたが、誰もこられないので本当に・・・今日なのか・・・少々心配・・・ないです。
そして見上げると、珍しいマニ車が両サイドにありました。廻すとお経を読んだ事と同じく功徳があるとか、高台寺天満宮にもありましたね。
まだ本堂が開いて無いのに、“かましきさん”をお参りできて良かったです。山門から本堂までの石畳は、萩が咲き誇るようですが見事に終わってて、ススキに見頃が変わってました。
ここで9時過ぎになりましたが、本堂から住職さんが出て来られました。「10時からですね」と尋ねると、「今から準備しますので、10時からでお願いします」と言われ、先に金札宮と大黒寺を先にお参りした訳です。
それでも9時40分過ぎに戻ってきました。恐る恐る本堂を見ると・・・開いてました。
しかし10時には、まだまだ早いです。入口で中を覗くと住職さんが出て来られて「先程は失礼しまた、どうぞ」と声を掛けていただきました。
玄関で靴を脱ぎ上がりましたが、どうやら私らが最初のようです。入ると住職さんが一つ一つ特別に公開された仏像について案内していただきました。また写真撮影も許可していただいたので自由に撮れました。
1978年(昭和53年)建立の真新しい鉄筋コンクリート製の本堂は、以前には木造だったみたいで、相当傷みが激しかったようです。それで全面的に建て替えたと言われてました。ご本尊は、浄土宗ですのて阿弥陀如来立像です。
住職さんは、来られた参拝者に説明をれるので朱印は書き置きになっていました。全部で4種類ありましたが、全ていただきました。もちろん住職さんの説明が終わってからいただきました。
案内の最初は、本堂中央やや左に安置されてた、座高が6㎝ほどの小さな閻魔法王自作霊像は厨子の中に納められてました。平清盛や織田信長もゆかりがあるそうで・・・興味深く拝見しました。
そのあと堂内の右側に移動して、ここでも一つ一つ説明していただきました。ここでの注目は向かって右側の織田信長から下賜された阿弥陀如来像です。
作風から平安時代前期と思われ貞観彫刻風と考えられるそうです。体の軸が腰のところで曲がっていますが、御神木などが曲がってたからでしょうと説明されました。
こちらは中央の法然上人像です。知恩院より受領されたとか。左も法然上人像です・・・そう言えば、ここは浄土宗寺院でしたね。
次は本堂の左側にも移動されて案内していただきました。中央が善導大師像で、右側が聖徳太子孝養像です。そして左の像が門出八幡神です。先般訪れた首途八幡宮とは関係無いらしいです。
像容から十二神将の一体とか。首途八幡宮も旅の安全を願いましたが、こちらもそのようです。この時は私一人でしたので、話の途中でも質問ができました。
他、戦国時代に異国よりもたらされたチベット仏教の緑ターラー像なども安置されてました。堂内も10時が近づくにつれ、だんだん人が増えてきてたので、そろそろ出て行くことにしました。
門前の可愛いお地蔵様に見送られて、ここを10時6分に出ました。この勝念寺の公開は、10月8日と9日の10時~15時でした。10時からの公開だったのに10時過ぎに出て行く・・・早く開けてもらって良かったです。
ここから京阪電車「丹波橋駅」まで歩きました。行きは近鉄電車で来ましたが、帰りは・・・京阪電車の方が西京極への移動がスムーズに行くからです。
【勝念寺 本堂】
あとで知ることになりますが、勝念寺は通称“かましきさん”と呼ばれ親しまれています。それで門前には石標が立っていました。
門を入ると正面に鉄筋コンクリート造りの本堂があります。あとで内部に入ってお参りさせてもらいます。
その山門を入って右手に身代釜敷地蔵尊が公開されてました。普段から見られるかどうかは知りませんが・・・。
釜を足下に敷いているのが釜敷ですが、写真の撮り方が悪くて・・・写っていません。寺伝によると織田信長か賜ったとか。
地獄で釜茹での責めに苦しんでいる人の身代りとなって、自ら煮えたぎった釜の中に入り、地獄と此の世で苦しむ人の苦を取り除き、幸せへと導いてくださるお地蔵さまだそうです。
ここは早くから開いてました。前途のとおり通常から開いてるかどうかは分かりません。足元を見ると、可愛い蛙が・・・身代蛙と書いてありました。
この時間では本堂も開いてないので、撮影だけで寄りましたが、誰もこられないので本当に・・・今日なのか・・・少々心配・・・ないです。
そして見上げると、珍しいマニ車が両サイドにありました。廻すとお経を読んだ事と同じく功徳があるとか、高台寺天満宮にもありましたね。
まだ本堂が開いて無いのに、“かましきさん”をお参りできて良かったです。山門から本堂までの石畳は、萩が咲き誇るようですが見事に終わってて、ススキに見頃が変わってました。
ここで9時過ぎになりましたが、本堂から住職さんが出て来られました。「10時からですね」と尋ねると、「今から準備しますので、10時からでお願いします」と言われ、先に金札宮と大黒寺を先にお参りした訳です。
それでも9時40分過ぎに戻ってきました。恐る恐る本堂を見ると・・・開いてました。
しかし10時には、まだまだ早いです。入口で中を覗くと住職さんが出て来られて「先程は失礼しまた、どうぞ」と声を掛けていただきました。
玄関で靴を脱ぎ上がりましたが、どうやら私らが最初のようです。入ると住職さんが一つ一つ特別に公開された仏像について案内していただきました。また写真撮影も許可していただいたので自由に撮れました。
1978年(昭和53年)建立の真新しい鉄筋コンクリート製の本堂は、以前には木造だったみたいで、相当傷みが激しかったようです。それで全面的に建て替えたと言われてました。ご本尊は、浄土宗ですのて阿弥陀如来立像です。
住職さんは、来られた参拝者に説明をれるので朱印は書き置きになっていました。全部で4種類ありましたが、全ていただきました。もちろん住職さんの説明が終わってからいただきました。
案内の最初は、本堂中央やや左に安置されてた、座高が6㎝ほどの小さな閻魔法王自作霊像は厨子の中に納められてました。平清盛や織田信長もゆかりがあるそうで・・・興味深く拝見しました。
そのあと堂内の右側に移動して、ここでも一つ一つ説明していただきました。ここでの注目は向かって右側の織田信長から下賜された阿弥陀如来像です。
作風から平安時代前期と思われ貞観彫刻風と考えられるそうです。体の軸が腰のところで曲がっていますが、御神木などが曲がってたからでしょうと説明されました。
こちらは中央の法然上人像です。知恩院より受領されたとか。左も法然上人像です・・・そう言えば、ここは浄土宗寺院でしたね。
次は本堂の左側にも移動されて案内していただきました。中央が善導大師像で、右側が聖徳太子孝養像です。そして左の像が門出八幡神です。先般訪れた首途八幡宮とは関係無いらしいです。
像容から十二神将の一体とか。首途八幡宮も旅の安全を願いましたが、こちらもそのようです。この時は私一人でしたので、話の途中でも質問ができました。
他、戦国時代に異国よりもたらされたチベット仏教の緑ターラー像なども安置されてました。堂内も10時が近づくにつれ、だんだん人が増えてきてたので、そろそろ出て行くことにしました。
門前の可愛いお地蔵様に見送られて、ここを10時6分に出ました。この勝念寺の公開は、10月8日と9日の10時~15時でした。10時からの公開だったのに10時過ぎに出て行く・・・早く開けてもらって良かったです。
ここから京阪電車「丹波橋駅」まで歩きました。行きは近鉄電車で来ましたが、帰りは・・・京阪電車の方が西京極への移動がスムーズに行くからです。
【勝念寺 本堂】