境内にマンションが建った梨木神社へ
下御霊神社でフジバカマの花を充分に楽しんだあと、寺町通りを北上すると、途中に「新島襄旧邸」があって公開されていました。門前で無料と聞いたので入ってみると、建物内部には入れず、外からの見学でしたので、あっさりと一周。隣接する同志社校友会 新島会館でパネル展を見学したあと、再び寺町通りを北上しました。
約20分たった14時30分頃、清和院東駐車場に着きました。ここは3時間500円ですので、まだまだ時間があります。この清和院東駐車場の向かいが梨木神社で、久し振りに寄って行こうと思い。駐車場の向かいにある鳥居の前で来て見ると・・・。
一の鳥居の奥にマンションが建っています。2011年5月に来た時は工事中でしたが、その時から景観論争を巻き起こしてました。
以前は、一の鳥居から二の鳥居まで、真っ直ぐに伸びる石畳がありましたが、今ではマンションを迂回する必要があります。
以前は真っ直ぐ行けた二の鳥居まで迂回して来ました。この日は、結婚式があったようで、参道で記念撮影されてました。
ここから凄く混んでて・・・これは仕方ないですよね。景観論争では、下鴨神社でもマンション計画があったようでが・・・。
梨木神社は「萩の宮」ともいわれ、京都を代表する萩の名所として知られています。2011年には萩まつりに来たことがあります。
もう見頃は過ぎてたかと思いますが、花は残っていました。その萩の花を楽しみながら石畳の参道を進むと・・・。
山野草のホトトギスが、咲き誇ってました。我が家も以前、苗を買ってきて自生させてましたが、いつの間にか枯れて・・・そのままになってます。
左手に社務所があって、ここで朱印をいただけますが、2011年(平成23年)9月にいただいてるのでパスしました。それより、ここの奥が気になって・・・。
旧茶室は京都御所から移築されたました。新茶室は、創建百年祭を記念して1985年(昭和60年)に造営されたものです。一度は見てみたいです。
前途したとおり混雑する石畳を進むと右手に旧社務所があって、ここの内部は能舞台になっているようです。
以前は、ここで朱印をいただいた記憶があります。毎年1月に行われる祭事「元服式」の舞台は、ここだそうです。
神門の奥では新郎新婦さんが記念撮影。皆さん遠慮しますよね。その手前にあったのが手水舎の「染井」で、京の三名水(醒ヶ井、県井、染井)の一つだそうです。
いつもならペットボトルを持って多くの人が汲みに来られていますが、この日は誰も・・・居ません・・・境内が混雑してたからでしょうか。
梨木神社の境内は、9世紀後半に栄えた藤原良房の娘・明子(あきらけいこ・清和天皇の母、染殿皇后)の屋敷があり、その屋敷を染殿と称し、宮中御用の染所として染井の水を用いたと言われています。京の三名水で唯一現存する名水として知られています。
染井の側にあるのが御神木の「愛の木」です。葉がハートの形をしてる桂の木です。帰るまで、すっかり忘れてて、葉の形を見るのを失念してました。
この先が神門で、この前にお賽銭箱が置いてあるのため、ここからでも参拝することができます。
ここで前途した新婚さんが記念撮影をされてましたが、出て行かれました。するとそこから先・・・誰も居なくなって・・・。
神門(中門)を入ると本殿の手前に拝殿(舞殿)があって、周りモミジがあるので、これから綺麗に色づくんでしょうね。
その奥が本殿ですが、ここから本殿は見えません。萩の名所だけに手前は、萩で覆われています。
一番奥に、本殿。その手前に幤殿、見えている社殿が、祝詞舎になります。参詣者は幤殿で幣帛(へいはく・神に奉献する供物の総称)を捧げます。
梨木神社は、幕末に王政復古の大号令を唱え、明治維新の原動力を生み出した三條實萬(さんじょうさねむつ)、を御祭神に祀り、1885年(明治18年)久邇宮朝彦親王の令旨により創建されました。1915年(大正4年)三條實萬の子、三條實美(さんじょうさねとみ)を合祀し現在に至っています。三條實萬は、光格・仁孝・孝明三天皇に仕え、特に孝明天皇の信頼が厚かったと言われています。また、その子の三條實美は、父・三條實萬の意志を継いで尊皇攘夷運動を展開し、一時は失脚するも明治維新の大業を果たしました。
境内に建つマンションには、違和感ありました。しかし、最近どの神社でも境内は駐車場になっているので、同じかも知れません。久し振りの梨木神社の参拝を終えて、ここを出て帰路に着きました。
【梨木神社 本殿】
約20分たった14時30分頃、清和院東駐車場に着きました。ここは3時間500円ですので、まだまだ時間があります。この清和院東駐車場の向かいが梨木神社で、久し振りに寄って行こうと思い。駐車場の向かいにある鳥居の前で来て見ると・・・。
一の鳥居の奥にマンションが建っています。2011年5月に来た時は工事中でしたが、その時から景観論争を巻き起こしてました。
以前は、一の鳥居から二の鳥居まで、真っ直ぐに伸びる石畳がありましたが、今ではマンションを迂回する必要があります。
以前は真っ直ぐ行けた二の鳥居まで迂回して来ました。この日は、結婚式があったようで、参道で記念撮影されてました。
ここから凄く混んでて・・・これは仕方ないですよね。景観論争では、下鴨神社でもマンション計画があったようでが・・・。
梨木神社は「萩の宮」ともいわれ、京都を代表する萩の名所として知られています。2011年には萩まつりに来たことがあります。
もう見頃は過ぎてたかと思いますが、花は残っていました。その萩の花を楽しみながら石畳の参道を進むと・・・。
山野草のホトトギスが、咲き誇ってました。我が家も以前、苗を買ってきて自生させてましたが、いつの間にか枯れて・・・そのままになってます。
左手に社務所があって、ここで朱印をいただけますが、2011年(平成23年)9月にいただいてるのでパスしました。それより、ここの奥が気になって・・・。
旧茶室は京都御所から移築されたました。新茶室は、創建百年祭を記念して1985年(昭和60年)に造営されたものです。一度は見てみたいです。
前途したとおり混雑する石畳を進むと右手に旧社務所があって、ここの内部は能舞台になっているようです。
以前は、ここで朱印をいただいた記憶があります。毎年1月に行われる祭事「元服式」の舞台は、ここだそうです。
神門の奥では新郎新婦さんが記念撮影。皆さん遠慮しますよね。その手前にあったのが手水舎の「染井」で、京の三名水(醒ヶ井、県井、染井)の一つだそうです。
いつもならペットボトルを持って多くの人が汲みに来られていますが、この日は誰も・・・居ません・・・境内が混雑してたからでしょうか。
梨木神社の境内は、9世紀後半に栄えた藤原良房の娘・明子(あきらけいこ・清和天皇の母、染殿皇后)の屋敷があり、その屋敷を染殿と称し、宮中御用の染所として染井の水を用いたと言われています。京の三名水で唯一現存する名水として知られています。
染井の側にあるのが御神木の「愛の木」です。葉がハートの形をしてる桂の木です。帰るまで、すっかり忘れてて、葉の形を見るのを失念してました。
この先が神門で、この前にお賽銭箱が置いてあるのため、ここからでも参拝することができます。
ここで前途した新婚さんが記念撮影をされてましたが、出て行かれました。するとそこから先・・・誰も居なくなって・・・。
神門(中門)を入ると本殿の手前に拝殿(舞殿)があって、周りモミジがあるので、これから綺麗に色づくんでしょうね。
その奥が本殿ですが、ここから本殿は見えません。萩の名所だけに手前は、萩で覆われています。
一番奥に、本殿。その手前に幤殿、見えている社殿が、祝詞舎になります。参詣者は幤殿で幣帛(へいはく・神に奉献する供物の総称)を捧げます。
梨木神社は、幕末に王政復古の大号令を唱え、明治維新の原動力を生み出した三條實萬(さんじょうさねむつ)、を御祭神に祀り、1885年(明治18年)久邇宮朝彦親王の令旨により創建されました。1915年(大正4年)三條實萬の子、三條實美(さんじょうさねとみ)を合祀し現在に至っています。三條實萬は、光格・仁孝・孝明三天皇に仕え、特に孝明天皇の信頼が厚かったと言われています。また、その子の三條實美は、父・三條實萬の意志を継いで尊皇攘夷運動を展開し、一時は失脚するも明治維新の大業を果たしました。
境内に建つマンションには、違和感ありました。しかし、最近どの神社でも境内は駐車場になっているので、同じかも知れません。久し振りの梨木神社の参拝を終えて、ここを出て帰路に着きました。
【梨木神社 本殿】