龍馬襲撃事件の旧跡 寺田屋へ

大蓮寺から歩いて2分ぐらいで、坂本龍馬ゆかりの寺田屋までやって来ました。時計は10時になってて、次に行く予定だった所の開店時間が10時30分でしたので、後30分ここで時間つぶしすることにしました。

寺田屋に入るのは2012年3月以来です。その頃に話題になってた寺田屋の真実についてですが、京都市の発表により1868年(慶応4年)鳥羽伏見の戦いにより、寺田屋は焼失してしまい、現在の旅籠は旧宅にならう形で明治期に再建されたもので、要するに当時の建物じゃ無いって言うことです。

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ここは事前に調べてなかったので、何時に開館か知りませんでした。結果は・・・10時だったので、開館すぐに入ったことになりました

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入ると左手に受付があって、そこで400円払います。そしたら靴を袋に入れ上がりました。「先ずは2階へ上がって下さい」と言われたので、階段を上がります。

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この階段・・・私が育った実家の階段に似てるんですよね、女房も覚えてました。度々友人が落ちた階段に似てるので、慎重に上がりました

NHK大河ドラマ「龍馬伝」から6年もたちました。そのためでしょうか、この時間・・・誰も居ません。2012年3月の訪問時では、多くの人が来られてましたが・・・。

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2階も誰も居ないのて独占で見られます。この寺田屋も“ホンモノ”で無いことが判明したので人気が落ちたのかも・・・

それでは、一部屋づつ見て行きます。次の予定があるので、20分はここに居る必要があるので、ゆっくり・・・見て行きますが・・・。先ずは「龍馬の部屋」から。

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どの部屋もそうですが、大きな掛け軸には龍馬の描かれてて、それに龍馬の置物。この寺田屋は至るとこに龍馬が居ます。この部屋には「龍馬愛用のピストル」も展示してありました。もちろん模型ですが

次が「花の部屋」、何の特徴も(失礼)無い部屋でした。ここでは「旅籠」らしく泊まれるですよね。そのため開館が10時からと・・・遅いでしょう。

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次が「雲の部屋」です。ここが2階に上がってから最初に見る部屋になるでしょうね。どの部屋から見ても特に問題はありませんが・・・

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この部屋も南側に向いているで明るいです。ここから入って、左手にあるのが「龍馬の部屋」でした。

南東角にある「月の部屋」です。ここから外の看板である「旅籠」の文字も読み取れますし、南向きの部屋で明るいです。

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ここでは、ゆっくり寛ぎたいですね。この建物は当時のものでしはありませんが、龍馬ファンならそれでも満足でしょうね。

次ぎに東向きの「松の部屋」です。後から行く庭が眼下に見えていました。その庭辺りに旧寺田屋が建っていたとか・・・。

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最後が、「竹の部屋」で、眼下に箱庭が見えていました。この部屋がもっとも狭かったような・・・気がします。

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誰も次ぎに来ないので、初めてと言っても2度目ですが、ゆっくり見られました。そんなに広くないので案内にしたがって下に降りることにします。

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降りる前に階段横の柱には“刀傷”なるものがありましたが・・・この建物が再建されたのは承知の事で、鉋で削られたのでしょう。

手の凝った“演出”を見てから階段を降りました。降りる徒次の見所である「お風呂」です。裸のお龍さんが龍馬に急を知らせてたと・・・逸話が有名です。

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この階段を駆け上がったと・・・逸話がありますが、鳥羽伏見の戦いで焼失したのは残念です。当時のまま再建されと言われていますが・・・。

1階には「お登勢の部屋」がありました。私は龍馬ファンでもないので、“お登勢”と聞いてもピンっと来なかったです。

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龍馬が襲撃された時の「寺田屋」の女将さんで、お龍さんとも繋がりがあったようです。そして、先程上から見ていた坪庭も見ることができました。

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ここは2012年3月に来た時は“龍馬交流の場”とっていました。龍馬ファンどうし、いろいろ話をされるのでしょう。

玄関から入って2階を見て回り、そして1階に降りてくるコースで、最後に庭に出て行きます。受付の方より、庭に出るように案内されます。

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ここが、かつての寺田屋が建っていたと言われる・・・今は庭園となっている場所です。ここに出て写真を撮っていると、ようやく後続の観光客が3名ばかり入っていかれました。ここに入って出るまで、独占で見せてもらいました

そこにはお登勢明神なるものがあって、お登勢さんが祀られています。寺田屋保存会が坂本竜馬とお龍さんを結んだ女将 お登勢を守り神として祀られたようです。

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1877年(明治10年)に亡くなられてから100年後の1977年(昭和52年)に百年祭記念として建てられたようです。

幕末の1862年(文久2年)有馬新七ら薩摩藩尊攘派志士は、公武合体派の関白や所司代襲撃計画を立て寺田屋に集まりましたが・・・上京中の島津久光が派遣した鎮撫隊により、殺害された・・・事件の「薩摩藩九烈士遺蹟志」碑です。

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1894年(明治27年)に有栖川宮熾仁親王(ありすがわたるひとしんのう)の筆による篆額(てんがく)です。手前の坂本龍馬銅像は、土佐桂が浜にある銅像と同じ・・・有名なポーズです。

たっふりゆっくり見ても20分が限度です。ここを出たのが10時21分で、珈琲を飲むため次ぎに向かいました。そこには3分もかからないですが・・・。

【寺田屋 旧蹟】



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