京都浄土宗寺院 特別大公開 西岸寺(油懸地蔵)へ

本教寺を出たら、あちらこが痒くて痒くて・・・蚊に何カ所か刺されてました。再びキザクラカッパカントリーに寄ってトイレ休憩。そこから直ぐの所にある京都浄土宗寺院 特別大公開 西岸寺(油懸地蔵)に12時50分前に着きました。

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この写真は、前途のとおり11時過ぎに撮りに行ったものです。私が12時50分前に着いたら本堂から住職さんの声が聞こえてました。

法話は13時からと書いてありましたが、もう開けられたようですね。魚屋通りから北に少し入ったところに本堂がありました。

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11時の時は、堂内は閉まってましたが、2度目に来たら開いてて、堂内に上がれました。2008年(平成20年)に再建された真新しい堂内は綺麗でした。

上がると、やっぱり住職さんがお話されてました。受付(住職さんが話されてるので誰も居ません)の席に置いてあった由緒書きをもらい、席に着くなりポケムヒで蚊に刺された所に塗ります。猛烈に痒いです。

中では多く人が座ってました。ざっと数えて17名・・・しかし、お話の途中でも入って来られるので13時25分の法話終了時には25名程度は聞かれてたかと思います。

堂内中央に阿弥陀如来像、右手奥には法然上人と善導大師像が祀られてて、この住職さん・・・何処かで見かけたことが・・・そして話の途中で分かりました。本塩竃の蓮光寺で、2014年10月の京都浄土宗寺院大公開でお目にかかっていました。

油懸山地蔵院西岸寺と称する浄土宗の寺で、地蔵堂には油懸地蔵尊を祀り、この辺りの地名も油掛町といいます。1590年(天正18年)雲海(うんかい)上人によって創建。寺伝によると、ここから対岸にある大山崎町の油商人がこの地蔵尊に油を灌(そそ)いで供養したところ、商売が大いに栄えたと言われ、以後、この地蔵尊に油をかけて祈願すれば願いが叶うと信じられ、人々の信仰を集め親しまれています。

ここの住職さん蓮光寺でもそうでしたが、お話が上手で楽しみ面白く話され25分はあっという間に終わりました。次ぎに受付席に座られ朱印帳に書かれるため行列が出来ますが、後の方にしか座れなかったので、朱印は前の方。直ぐに書いてもらい外に出ました。

次ぎに地蔵堂の中に入ります。住職さんが「是非帰りに寄って行って」と言われたので皆さん当然行かれます。

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この写真も11時過ぎに撮りに行ったものです。地蔵堂の左隣には寺務所があって、この時間では誰も居ませんでした。後で知ったんですが・・・この地蔵堂は拝観料200円でお参りするみたいです。知らなかったので、どなたも払って無かったかと思います。

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順番に並んで、油を掛けてお参りしました。先程の住職さんの話では、京都各地の油掛地蔵はあるそうです。私も嵯峨野の油掛地蔵か子供の頃か知ってました。

伏見の油懸地蔵が本家だと住職さんは話されてましたが、私は嵯峨野が本家だと信じて疑わなかったです。最後に、境内の片隅にあった芭蕉の句碑を見て帰りました。


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、「我衣(わがきぬ)にふしみの桃のしづくせよ 芭蕉」と自然石に刻まれています。これは、1685年(貞享2年)当寺の住職さんを訪ねた芭蕉が、再会の喜びを当寺の伏見の名物であった桃にことよせて詠じたものです。句碑は、1805年(文化2年)にz作られました。

お話をたっぷり伺って、朱印もいただけたので大満足でここをでたのが13時30分を少し回っていました。ここも、この日の7日(金)13時~15時だけの公開のため、同じ7日しか公開されない大蓮寺とセットで訪問した次第です。

ここから三度、キザクラカッパカントリーを再び本教寺の前を通って次の目的地に向かいました。

【西岸寺(油懸地蔵) 本堂】



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