伏見城ゆかりの山門が残る源空寺へ

賑やか大手筋商店街を暫く歩いて、少しだけ北に上がると右手に二層の鐘楼門が見えてきます。この日最後の訪問は、法然上人二十五霊場の第15番札所 源空寺(げんくうじ)です。

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今日、最後の訪問と書きましたが、結果そうなってしまったので・・・実は、次ぎも行ったんですが・・・それは後程。

道路から少し奥まった所に二層の山門がありました。伏見城が廃城となる際に、城内の建物の一部を移し、寺風の楼門に改造して再建されたものです。

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ここを調べてて、伏見城の遺構と知ったので楽しみにしてましたが、最近修復されたのか、随分綺麗なんで、肩すかしにあったよう・・・です。

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山門の両脇には伏見城の巽櫓から徳川家光によって移された朝日大黒天像が(向かって右側)、そして即一六躰地蔵尊と愛染明王像(向かって左側・写真)が祀られています。

後でいただいた由緒書きを見ると山門の写真・・・相当古そうやっぱり修復されたんでしょう。その山門をくぐると本堂がほぼ正面にありました。

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一見したら書院の玄関のようでしたが、ここが本堂です。後で堂内に入れてもらったので分かりました

ここは、法然上人二十五霊場の第15番札所と門前の石標に書いてあったので、朱印はあるでしょう。事前には調べて無かったので入口を探すと・・・。

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この右側に入口がありました。呼鈴を押すと、中から人が出て来られて、朱印をお願いすると、思いがけないことに「上がってお参りしてください」と言われました。

まったく予想外のことで、驚きましたがラッキーですよね。ほんのちょっぴり案内もしていただいて、それに写真撮影もOKでした。

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堂内の須弥壇の正面に、本尊の円光大師坐像が祀られてて、天井を見上げると、綺麗な花天井とっていました。また、襖絵は、天女などが描かれています。

前途のとおり、ちょっこと案内をしていただきましたが、忘れました。ここは基本通り、お参りのあとご朱印でしたね。安内のあと、「中庭も見て行って下さい」と言われたので、そちらも見せてもらいました。

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こうして、同内に入れてもらいお参りできるのは嬉しいですよね。庭を見ている間、朱印を書きに行かれたので暫く同内でゆっくりしてました。

書いてもらってる間に客人が来られたみたいで、挨拶もできず出てきました。あの伏見城の山門まで檀家の方は車で入ってこられ奥に行かれます。

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多分て言うか墓地があるのでしょう。数名の方がお参りに来られてました。その前には六地蔵が安置されてました。

最後に山門近くにある手水舎を見つけました。普通なら直ぐに分かるかと思いますが、車が止まっているのが分からなかったです。

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どうも水道の栓をひねって水を出すみたいです。水盤には水が入ってなかった・・・ような気がします。

1195年(建久6年)忍空(にんくう)上人によっと、はじめ天台宗の寺として炭山(宇治市)に創建されましたが、後に改宗し、1596年~1615年(慶長年間)江戸幕府2代将軍・徳川秀忠、3代将軍・徳川家光によって当地に移されました。

ここを出て大手筋商店街を東に進みます。地図では分からなかったことですが、東に進むほど登っていました。そして京阪・近鉄を過ぎてやって来たのは御香宮です。ただお祭りのため露天が建ち並びとても散策できる雰囲気はありません。ここの境内にある桃山天満宮の朱印をもらいに来ましたが、柵がしてあってはいれなくっていました。そのため早々に撤退し、近鉄に乗って帰路に着きました。

【源空寺 山門】



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