第52回 京都非公開文化財特別公開 正法寺へ

松花堂庭園・美術館を11時23分に出て、次ぎに向かったのが第52回 京都非公開文化財特別公開 正法寺です。

行きに来た道を「八幡駅」に戻るように歩いて約12分。11時35分にようやく門前に着きました。今まで3箇所を廻ってきましたが、ここが最も拝観者が多かったです。

画像
画像
画像
案内板を見ると、松花堂庭園・美術館まで0.9㎞と書いてありました。それを見て約12分で着いたのも頷けます。

ここ正法寺は通常は非公開です。しかし年に6回は公開され、H28年度は、4月1日、2日、3日。5月21日、22日。6月18日、19日。9月24日、25日。10月22日、23日。11月26日、27日でした。一度は訪問したいと思ってところ、今回の特別公開となりました。

画像
画像
東高野街道(そう書いてありました)から少し奥まった所に山門があります。どこに受付があるのか・・・初めてのため分かりません。

山門を入って、そのまま参道を進めば突き当たりに重要文化財に指定されてる唐門を外から見ることができます。

画像
画像
入ってから分かるんですが、この唐門の正面が本堂じゃなくて、大方丈になるわけけです。本堂は、唐門から入って右手の建物です。ちみに、この門は徳川家の来訪時しか開かれないそうです。

唐門から左手(南に)に曲り、さらに西に進むと突き当たりに庫裏門があって、そこから入ります。

画像
画像
年に数回は公開されるので、いずれ行ってみようと思ってたので・・・やっと来ました。今回、八幡市で数カ所公開されたのが良い機会とななりました。

庫裏門をくぐって左手には庫裏が、右手には京都府指定文化財の鐘楼がありました。鐘楼は1621年(元和7年)の建立だと伝わっています。

画像
画像
画像
正面に玄関があって、そこが拝観受付でした。そこに靴を袋に入れて持ち歩きます。(後程自分の靴を履く必要があるため)

拝観料は800円を納めますが、ここで一番見たくない文字が書いてあって・・・「特別拝観につき、ここより先は撮影禁止。」と書いてあります。この京都非公開文化財特別公開の期間中だけ撮影禁止なんですね。少々どころか大ショックですし、何だかやりきれない思いで中に入りました。

入ると直ぐに大方丈に行くように催促されました。まもなく案内が始まるとか・・・そんなに急がされても・・・松花堂庭園から歩いて来て息も上り汗だくになっているので・・・先ずは書き置きの御朱印をいただきました(書き置きしか置いてなかったです)。

画像
写真が撮れないので借り物です。入ると正面に見えているのが本堂で、その左手が大方丈です。ともに重要文化財に指定されてました。

1191年(建久2年)の鎌倉時代に、天台宗の寺として開祖。室町時代後期に住持となった聖誉上人が浄土宗に改宗。のちに伝誉上人は後奈良天皇の帰依を受けて1546年(天文15年)に勅願寺となって「徳迎山正法寺」の勅額を賜りました。江戸時代に志水宗清の娘・お亀の方が徳川家康の側室となり、後の尾張藩祖・徳川義直の母となります。お亀の方後の相応院の菩提寺となり、近世を通して尾張藩の厚い庇護を受けました。現在の伽藍は、相応院の寄進によるもので、当時の規模をそのまま保っています。

画像
最初に入った大方丈には、豪華な襖絵があって、狩野派によって描かれものと伝わります。また、奥には上段の間がありました。長いこと拝観されてなかったため保存状態がよく、見応えたっぷりでした。また、次ぎに本堂に移動して、内部を拝観します。そこには本尊の阿弥陀如来像と観音勢至菩薩を従えた阿弥陀三尊像でした。(写真は看板より)

画像
大方丈と本堂とに囲まれた庭園は、綺麗な枯山水庭園でしたが、撮影禁止の撮れず・・・桜が綺麗な庭園だと聞いているので、そこ頃には再訪して撮りたいです。

本堂を見たら再び自分の靴を履いて下に降り宝物館である法徳殿に移動します。ここでも学生さんがガイドをされています。

画像
画像
入ると先ずは、巨大な阿弥陀如来坐像(重要文化財)に驚かされます。元は石清水八幡宮の本地仏でしたが、廃仏毀釈により正法寺が引き取ることになったそうです。前は京都国立博物館に安置されていましたが、この仏様を安置するため、ここを造られたとか。

それにしても正法寺に来て驚くことばかりで圧倒されぱなっしです。襖絵と言い、この仏像と言い京都市から離れた八幡の地で素晴らしいものを見させていただきました。この正法寺が一番観光客が多かったのも頷けます。

画像
こちらは本堂の東隣にあった東照権現堂です。さすがにお亀の方の菩提寺ですよね、徳川家康が祀られてました

そのお亀の方のエピソードが書いてありました。それを読むと・・・。

画像
お亀さんはある日のと、男の子をたらいに入れて行水させてました。そのお亀さんは人の気配を感じて、行水させていた子供をたらいごと持ち上げて楽々と別の場所に移動させたとか、それを見ていた徳川家康が元気溢れる姿を見て側室に迎え入れ、「関ヶ原の戦い」の翌年に生まれたのが徳川義直で、その男の子は尾張藩の家老になっとか。

もちろんたらいは現在のものでしょう。徳川家康は最初の奥さん、築山殿に懲りて側室は、お亀の方のように元気で、子供を沢山産んでくれそうな人を側室に迎えたとか。

画像
再び靴を袋にいれ本堂に上がります。拝観はこれでおわりですが、見られる所は全て見て行きます。こちらは本堂まの西隣にあった開山堂です。

その開山堂の南側には小方丈がありました。開山堂も小方丈、その奥の書院は柵があって行けませんでした。

画像
京都府指定文化財の小方丈は、高貴な方の休息場所でした。建立された年代は不詳だとか・・・。

結構見応えあったので、来年にでも再訪したいですね、ここのパンフレットを購入してここを出ました。出たら中門を撮りました。

画像
画像
最初、勅使門かなぁ・・・と思ったんです。ここを開けると正面が本堂だし・・・蟇股の彫刻が面白かったです。

お亀の方が徳川家康の側室になって、伏見城下で徳川義直を産みますが、その義直の幼名を五郎太丸といい、現在の五郎太町にあったお亀の方ゆかりの寺「清涼院」には行ったことがあり、お亀の方や義直のゆかりの品を見られました。京都では徳川のゆかりを探せばいろいろ出てきますね。ここには約30分も居ました。先程の松花堂吉兆店で予約を断られましたが、「道々で食べる所を探せばいいや」と思いつつ、12時6分に次へと向かいました。

【徳迎山 正法寺 本堂】



この記事へのトラックバック

  • 相応院(お亀の方・尾張義直の母)ゆかりの正法寺へ

    Excerpt: 石清水八幡宮門前の「やわた走井餅老舗」を出て、石清水八幡宮の一の鳥居前を通過し、東高野街道に出て約2㎞南下すると昨年の2016年11月に訪れた正法寺の門前が見えて来ました。 Weblog: 古寺とお城の旅日記Ⅱ racked: 2017-04-23 04:08