通称“紅葉寺”と呼ばれる紅葉の名所 善法律寺(ぜんぽうりつじ)へ
今はすっかりモミジも散って、紅葉はとっくに過ぎてしまいましたが、この時は11月4日でしたので色付きさえしてません。正法寺の次ぎにやって来たのは律宗 善法律寺です。
ここは足利義満の母、良子が寄進したモミジが境内に植えられ、11月下旬から12月上旬にかけて境内は真っ赤に染まると言われていますが・・・今日の目的は朱印です。
正法寺を出て東高野街道を北に歩いて行き、約10分善法律寺の表門に12時16分に着きました。来た時は車が止まってて数名の方が境内を散策されていました。(写真は帰りに撮ったものです)
先ずは表門を入ります。紅葉の名所だけに境内は沢山のモミジが植わってて、さぞかし紅葉時は綺麗なんでしょうね・・・それと人出も凄いんでしょう。
境内はそんなに広くありません。表門を入って突き当たりが書院のようで、あとで朱印で寄ります。そして左手に進むと1934年(昭和9年)室戸台風で犠牲になった八幡市尋常小学校の校長生徒等の慰霊碑がありました。
そのまま進むと本堂があって、ご本尊の八幡大菩薩(僧形八幡)が安置されています。ここは事前に予約すれば500円で拝観できます。
この日は時間配分が読めなかったので予約はしませんでした。本堂に張り紙がありましたが、松花堂庭園・美術館にも同じ物が・・・。
11月26日(土)・27日(日)12時から16時には、拝観料500円で予約無しで入れました。私は行きませんでした・・・京都市内の紅葉見学が忙しかったので・・・。
事前に予約電話しなかったということは、今日お寺の方が在宅かどうかも知りません。取り急ぎ書院に向かい玄関までやって来ると・・・。
玄関は閉まってたので、呼鈴を押しました・・・すると和尚さんが出てこられ、朱印をお願いすると中に入られ・・・。
暫く玄関に入って待ちました。アポ無しで来たので申し訳無かったですが、時間が読めないので仕方なかったです。朱印をいただいた時、由緒書きもお願いするとカラー版の綺麗なのいただきました。来て見て良かったです。
まだ色づいてませんが、所々赤くなりつつあるモミジもありました。今年の紅葉が早かったんですが、ここで予測できたかも知れませんね。
ここに入る時に、立札を見ると“律宗”とありました。ここは唐招提寺の末寺なんですね。私も律宗と聞いて思い浮かべたのは唐招提寺と壬生寺でした。
善法律寺は石清水八幡宮検校であった善法寺宮清が正嘉年間(1257~1259)に奈良東大寺から実相上人を招いて開山。室町時代には、善法寺通清の娘良子が室町幕府2代将軍・足利義詮の側室となり、3代将軍・足利義満の母となりました。金閣寺など創建した義満は神社信仰に篤く、特に八幡宮を崇敬したため、20数回も八幡を訪れたといいます。以後6大将軍・義教、8代将軍・義政らが何度も参詣しています。そのため足利将軍家の庇護を受け善法律寺は隆盛を極めました。
朱印をいただいて表門の南側に来て見ると、忠臣蔵で有名な大石内蔵助良雄の養子であり、太西坊(男山四十八坊の一つ)の住職であった、覚運とその弟子の墓塔がありました。
大石内蔵助良雄の叔父である小山 良師(おやま よしもろ)の末子で、後に養子となりました。覚運(かくうん)は、大石内蔵助良雄の実弟である専貞の跡を継いで太西坊の住職になりました。
こんな所に大石内蔵助のゆかりの寺があるなんて・・・立札を読んで目が点になりました。最後にもう一度、表門に。
京都府指定文化財に指定されている表門は、1759年(宝暦9年)の棟札が発見されたとか。少しだけ色づいたモミジが見えています。
和尚さんともお話しましたが、見頃は例年11月下旬だそうです。京都市内より若干遅いかもしれません。ここには12分ばかりお邪魔して12時28分に出て行きました。しかし東高野街道沿いには食べる所・・・見当たりません。
【善法律寺 本堂】
ここは足利義満の母、良子が寄進したモミジが境内に植えられ、11月下旬から12月上旬にかけて境内は真っ赤に染まると言われていますが・・・今日の目的は朱印です。
正法寺を出て東高野街道を北に歩いて行き、約10分善法律寺の表門に12時16分に着きました。来た時は車が止まってて数名の方が境内を散策されていました。(写真は帰りに撮ったものです)
先ずは表門を入ります。紅葉の名所だけに境内は沢山のモミジが植わってて、さぞかし紅葉時は綺麗なんでしょうね・・・それと人出も凄いんでしょう。
境内はそんなに広くありません。表門を入って突き当たりが書院のようで、あとで朱印で寄ります。そして左手に進むと1934年(昭和9年)室戸台風で犠牲になった八幡市尋常小学校の校長生徒等の慰霊碑がありました。
そのまま進むと本堂があって、ご本尊の八幡大菩薩(僧形八幡)が安置されています。ここは事前に予約すれば500円で拝観できます。
この日は時間配分が読めなかったので予約はしませんでした。本堂に張り紙がありましたが、松花堂庭園・美術館にも同じ物が・・・。
11月26日(土)・27日(日)12時から16時には、拝観料500円で予約無しで入れました。私は行きませんでした・・・京都市内の紅葉見学が忙しかったので・・・。
事前に予約電話しなかったということは、今日お寺の方が在宅かどうかも知りません。取り急ぎ書院に向かい玄関までやって来ると・・・。
玄関は閉まってたので、呼鈴を押しました・・・すると和尚さんが出てこられ、朱印をお願いすると中に入られ・・・。
暫く玄関に入って待ちました。アポ無しで来たので申し訳無かったですが、時間が読めないので仕方なかったです。朱印をいただいた時、由緒書きもお願いするとカラー版の綺麗なのいただきました。来て見て良かったです。
まだ色づいてませんが、所々赤くなりつつあるモミジもありました。今年の紅葉が早かったんですが、ここで予測できたかも知れませんね。
ここに入る時に、立札を見ると“律宗”とありました。ここは唐招提寺の末寺なんですね。私も律宗と聞いて思い浮かべたのは唐招提寺と壬生寺でした。
善法律寺は石清水八幡宮検校であった善法寺宮清が正嘉年間(1257~1259)に奈良東大寺から実相上人を招いて開山。室町時代には、善法寺通清の娘良子が室町幕府2代将軍・足利義詮の側室となり、3代将軍・足利義満の母となりました。金閣寺など創建した義満は神社信仰に篤く、特に八幡宮を崇敬したため、20数回も八幡を訪れたといいます。以後6大将軍・義教、8代将軍・義政らが何度も参詣しています。そのため足利将軍家の庇護を受け善法律寺は隆盛を極めました。
朱印をいただいて表門の南側に来て見ると、忠臣蔵で有名な大石内蔵助良雄の養子であり、太西坊(男山四十八坊の一つ)の住職であった、覚運とその弟子の墓塔がありました。
大石内蔵助良雄の叔父である小山 良師(おやま よしもろ)の末子で、後に養子となりました。覚運(かくうん)は、大石内蔵助良雄の実弟である専貞の跡を継いで太西坊の住職になりました。
こんな所に大石内蔵助のゆかりの寺があるなんて・・・立札を読んで目が点になりました。最後にもう一度、表門に。
京都府指定文化財に指定されている表門は、1759年(宝暦9年)の棟札が発見されたとか。少しだけ色づいたモミジが見えています。
和尚さんともお話しましたが、見頃は例年11月下旬だそうです。京都市内より若干遅いかもしれません。ここには12分ばかりお邪魔して12時28分に出て行きました。しかし東高野街道沿いには食べる所・・・見当たりません。
【善法律寺 本堂】