第52回 京都非公開文化財特別公開 瑞泉寺へ
11月6日(日)は、第52回 京都非公開文化財特別公開の最終日で、戦国武将で知られる関白・豊臣秀次ゆかりの瑞泉寺を訪れました。
今回の京都非公開文化財特別公開期間中では、11月4日に八幡市を重点的に廻りました。しかし私も予算の都合があるので、これ以上は諦めてました。しかし、前日に瑞泉寺では、この特別公開期間中だけ御朱印の授与があると聞き、行くことにしました。(普段、瑞泉寺では朱印はされていません。)
戦国歴史ファンにとって瑞泉寺に行かない訳ないでしょう。直近では2012年に来ています。しかし堂内は通常非公開のため入ったことがありません。特別拝観は9時からですので、9時前には木屋町三条下がるにある山門に着きました。
8時51分に着いたので、まだ約10分もあります。数名の方が待たれていますが、並ぶより先に撮影てす。
ここだけは押さえたいので真っ先に向かったのが豊臣秀次一族のお墓で、境内は自由散策ですので、いつでも自由にお参りできます。
「前関白豊臣秀次の墓」と書かれた石標で、一番奥が豊臣秀次の首を納めたと伝わる「石櫃」を奉じた石塔があって、その両側に豊臣秀次の子供5名と妻妾34名の計39名と秀次に殉じて自刀した家臣10名の計49基の五輪石塔が並んでいます。
三条河原の南西詰めで処刑されたのは事実でしょう、しかし・・・最近の研究で少し見方が変わってきているようです・・・それは、後程入った本堂内での案内でも聞きましたし、NHK大河ドラマ「真田丸」でも国学院大の矢部健太郎准教授が近年発表された「秀次切腹は太閤命令ではない」という・・・秀次切腹事件が今までと違った視点で描かれてましたね・・・私は少々違和感を覚えました。
その手前にあるのが、一族の処刑に祭し引導を授けたというと地蔵菩薩立像(通称引導地蔵)が祀られているお堂があり、そのガラス戸の中には、処刑された女子や子供ら49体の京人形が安置されてました。
ガラスに反射して綺麗に撮れてなかったので、訳あって(最後に述べます)一週間後に訪問したので撮ろうとしたら・・・建替えのためか綺麗さっぱり内部が無くなってました。
また、こちらは本堂前にあった「千鳥碑」と書かれた大きな石を見つけました。以前は先斗町の公園にあったらしいです。どう言う訳か瑞泉寺の境内に運ばれたと書いてありました。
そして、こちらが本堂ですが通常は入れません。今日は特別拝観のため入れるので楽しみに来た次第です。ただ境内をウロウロしてたら知らない間に皆さん入られてます。(9少し前に受付を始められたようです)
慌てて入ろうとしたら入口に朱印が置いてありました。受付にあるものと思っていたら何気なく置いてあります。そして張り紙を読むと「料金は賽銭箱に」と書かれてましたが、小銭・・・ありました。そして・・・もちろん朱印は、先にいただきました。(売り切れたら今日来た意味が無くなります)
瑞泉寺では普段は朱印はされてません。今回の特別公開期間中のみ記念として作られてました。御朱印は2種類あって、「秀次公と御一族の菩提寺」と「角倉了以のゆかりのお寺」迷わず2種類ともいただきました。
かなり出遅れましたが玄関入った入口で臨時の拝観受付所がありました。そこで拝観料800円を納めて初めて堂内に入りました。堂内には何十名かが先に座られてて、私が座ると同時に学生さんが案内を始められました。
1611年(慶長16年)“高瀬川”を開削した京都の豪商・角倉了以が永観堂の僧・立空桂叔上人(りっくうけいしょうしょうにん)と計り、前関白豊臣秀次とその一族を弔うため建立されました。堂内中央にご本尊の阿弥陀如来立像を安置。また、堂内左側には、創建の功労者であった角倉了以翁像と長男の素庵師像の2体も安置されています。秀次切腹事件では、高野山に秀次を幽閉しようとした秀吉の意に反して、自ら無実と潔白を証明するため切腹してしまった秀次に対して、秀吉の怒りは凄まじく、一族の処刑となった・・・との説を案内されました。
堂内で話を聞いたあと次ぎに書院に行くように案内されましたが、滅多に入れない堂内をじっくり観察させてもらいました。そしたら住職さんのスラストも飾ってありました・・・。
写真は本堂と書院の間にあった部屋と書院前の庭です。綺麗な庭でしたので、撮影が可能かどうか聞いてから撮りました。そこで住職さんのイラストですが・・・ここか余談です。
住職でイラストレーターでもある中川学氏は、毎週、日曜6時15分~30分にMBS毎日放送『京都知新』のオープニングアニメーションを担当されました。その模様が、今年の4月24日に放送されたのを覚えていましたし、その原画が本堂に飾ってあった訳です。
住職でイラストレーター異色の経歴ですよね、日曜日の早朝ですが、前回の「京の美遺産」から引き続いて、毎回見ています。
次ぎに書院に移動して100年振りに開催された“寺宝”の数々を見て回りました。現在は京都国立博物館に寄託されていますが、今回の特別拝観に合わせて里帰り、戦国歴史ファンは眉唾ものが展示してありました。
「秀次公縁起」「瑞泉寺縁起」「秀次公一族の肖像画」「伝来表具裂」「秀次公遺品の品」等々見応えありましたが、やっぱり処刑の場面は・・・切ないですよね。
書院内は撮影禁止ですが、ここでは常時レプリカを展示されているので、いつでも見られます。但し、寺宝のほんの一部ですが・・・。
高野山で自刀した「秀次公と家臣達並びに三条河原で処刑された御一族の御影」でお袖が3服もありました。現在は、京都市歴史資料館に寄託されているので、レプリカだそうです。これも見てて辛いですね。
最後に綺麗に苔生した手水鉢があったのて撮ってみると・・・ここは有料のトレイ前でした。
ここには約20分居ました。ここから歩いて伊藤若冲ゆかりの宝蔵寺や、倒蓮華寺、誓願時なんかも特別公開されてますが、前途のとおり予算の都合があるので諦めて帰りました。
帰る途中、太秦天神川でバスを待ってたら喉が渇いたので、持って来ているペットボトルのお茶を飲もうとしました・・・私は、出掛ける時には必ずお茶を持参します。夏場は熱中症対策ですが、冬場でも変わりません。そしたら・・・普段、手にするか鞄に入れてるペットボトルがありません・・・。ペットボトルはどうでもいいです、そのカバーが必要なんです。先ずは立ち寄ったパン屋さんに電話するも無し・・・それなら瑞泉寺しか考えられません。スマホで電話番号を調べて電話し探してもらったら・・・ありました。明日から非公開となりますが、ここからは引き返せませんので、いつ在宅をお聞きし再訪することにしました。とんだ大失敗をやらかしてしまいました・・・。そして瑞泉寺にご迷惑をおかけしました・・・。
【慈舟山 瑞泉寺 書院】
今回の京都非公開文化財特別公開期間中では、11月4日に八幡市を重点的に廻りました。しかし私も予算の都合があるので、これ以上は諦めてました。しかし、前日に瑞泉寺では、この特別公開期間中だけ御朱印の授与があると聞き、行くことにしました。(普段、瑞泉寺では朱印はされていません。)
戦国歴史ファンにとって瑞泉寺に行かない訳ないでしょう。直近では2012年に来ています。しかし堂内は通常非公開のため入ったことがありません。特別拝観は9時からですので、9時前には木屋町三条下がるにある山門に着きました。
8時51分に着いたので、まだ約10分もあります。数名の方が待たれていますが、並ぶより先に撮影てす。
ここだけは押さえたいので真っ先に向かったのが豊臣秀次一族のお墓で、境内は自由散策ですので、いつでも自由にお参りできます。
「前関白豊臣秀次の墓」と書かれた石標で、一番奥が豊臣秀次の首を納めたと伝わる「石櫃」を奉じた石塔があって、その両側に豊臣秀次の子供5名と妻妾34名の計39名と秀次に殉じて自刀した家臣10名の計49基の五輪石塔が並んでいます。
三条河原の南西詰めで処刑されたのは事実でしょう、しかし・・・最近の研究で少し見方が変わってきているようです・・・それは、後程入った本堂内での案内でも聞きましたし、NHK大河ドラマ「真田丸」でも国学院大の矢部健太郎准教授が近年発表された「秀次切腹は太閤命令ではない」という・・・秀次切腹事件が今までと違った視点で描かれてましたね・・・私は少々違和感を覚えました。
その手前にあるのが、一族の処刑に祭し引導を授けたというと地蔵菩薩立像(通称引導地蔵)が祀られているお堂があり、そのガラス戸の中には、処刑された女子や子供ら49体の京人形が安置されてました。
ガラスに反射して綺麗に撮れてなかったので、訳あって(最後に述べます)一週間後に訪問したので撮ろうとしたら・・・建替えのためか綺麗さっぱり内部が無くなってました。
また、こちらは本堂前にあった「千鳥碑」と書かれた大きな石を見つけました。以前は先斗町の公園にあったらしいです。どう言う訳か瑞泉寺の境内に運ばれたと書いてありました。
そして、こちらが本堂ですが通常は入れません。今日は特別拝観のため入れるので楽しみに来た次第です。ただ境内をウロウロしてたら知らない間に皆さん入られてます。(9少し前に受付を始められたようです)
慌てて入ろうとしたら入口に朱印が置いてありました。受付にあるものと思っていたら何気なく置いてあります。そして張り紙を読むと「料金は賽銭箱に」と書かれてましたが、小銭・・・ありました。そして・・・もちろん朱印は、先にいただきました。(売り切れたら今日来た意味が無くなります)
瑞泉寺では普段は朱印はされてません。今回の特別公開期間中のみ記念として作られてました。御朱印は2種類あって、「秀次公と御一族の菩提寺」と「角倉了以のゆかりのお寺」迷わず2種類ともいただきました。
かなり出遅れましたが玄関入った入口で臨時の拝観受付所がありました。そこで拝観料800円を納めて初めて堂内に入りました。堂内には何十名かが先に座られてて、私が座ると同時に学生さんが案内を始められました。
1611年(慶長16年)“高瀬川”を開削した京都の豪商・角倉了以が永観堂の僧・立空桂叔上人(りっくうけいしょうしょうにん)と計り、前関白豊臣秀次とその一族を弔うため建立されました。堂内中央にご本尊の阿弥陀如来立像を安置。また、堂内左側には、創建の功労者であった角倉了以翁像と長男の素庵師像の2体も安置されています。秀次切腹事件では、高野山に秀次を幽閉しようとした秀吉の意に反して、自ら無実と潔白を証明するため切腹してしまった秀次に対して、秀吉の怒りは凄まじく、一族の処刑となった・・・との説を案内されました。
堂内で話を聞いたあと次ぎに書院に行くように案内されましたが、滅多に入れない堂内をじっくり観察させてもらいました。そしたら住職さんのスラストも飾ってありました・・・。
写真は本堂と書院の間にあった部屋と書院前の庭です。綺麗な庭でしたので、撮影が可能かどうか聞いてから撮りました。そこで住職さんのイラストですが・・・ここか余談です。
住職でイラストレーターでもある中川学氏は、毎週、日曜6時15分~30分にMBS毎日放送『京都知新』のオープニングアニメーションを担当されました。その模様が、今年の4月24日に放送されたのを覚えていましたし、その原画が本堂に飾ってあった訳です。
住職でイラストレーター異色の経歴ですよね、日曜日の早朝ですが、前回の「京の美遺産」から引き続いて、毎回見ています。
次ぎに書院に移動して100年振りに開催された“寺宝”の数々を見て回りました。現在は京都国立博物館に寄託されていますが、今回の特別拝観に合わせて里帰り、戦国歴史ファンは眉唾ものが展示してありました。
「秀次公縁起」「瑞泉寺縁起」「秀次公一族の肖像画」「伝来表具裂」「秀次公遺品の品」等々見応えありましたが、やっぱり処刑の場面は・・・切ないですよね。
書院内は撮影禁止ですが、ここでは常時レプリカを展示されているので、いつでも見られます。但し、寺宝のほんの一部ですが・・・。
高野山で自刀した「秀次公と家臣達並びに三条河原で処刑された御一族の御影」でお袖が3服もありました。現在は、京都市歴史資料館に寄託されているので、レプリカだそうです。これも見てて辛いですね。
最後に綺麗に苔生した手水鉢があったのて撮ってみると・・・ここは有料のトレイ前でした。
ここには約20分居ました。ここから歩いて伊藤若冲ゆかりの宝蔵寺や、倒蓮華寺、誓願時なんかも特別公開されてますが、前途のとおり予算の都合があるので諦めて帰りました。
帰る途中、太秦天神川でバスを待ってたら喉が渇いたので、持って来ているペットボトルのお茶を飲もうとしました・・・私は、出掛ける時には必ずお茶を持参します。夏場は熱中症対策ですが、冬場でも変わりません。そしたら・・・普段、手にするか鞄に入れてるペットボトルがありません・・・。ペットボトルはどうでもいいです、そのカバーが必要なんです。先ずは立ち寄ったパン屋さんに電話するも無し・・・それなら瑞泉寺しか考えられません。スマホで電話番号を調べて電話し探してもらったら・・・ありました。明日から非公開となりますが、ここからは引き返せませんので、いつ在宅をお聞きし再訪することにしました。とんだ大失敗をやらかしてしまいました・・・。そして瑞泉寺にご迷惑をおかけしました・・・。
【慈舟山 瑞泉寺 書院】