レトロ建築の東華菜館で忘年会
相国寺から六波羅蜜寺を経由して建仁寺へ。そして花見小路通りでは、Oさんの趣味であるカメラの店・・・「ライカ京都店」に入りました。私には手が届かないカメラでしたが、たっぷり見学・・・と言うより私は、古い京町屋を改築された母屋や坪庭を見ていた・・・と言うのが本音です。
それで本日、予約していたレストランは北京料理で、W.M.ヴォーリズ氏によるスパニッシュ・バロックの洋館で、W.M.ヴォーリズ氏唯一のレストラン建築でお馴染みの東華菜館です。忘年会シーズンでしたが個室を予約できました。
最初は18時30分に予約してましたが、先方の都合で早く行けることになったので、急遽建仁寺から電話を入れ17時30分に変更してもらいました。
花見小路から四条大橋を渡って東華菜館に着きました。この時、17時00分ちょうど。お店の方にも「お早いお着きで」と言われ、1階の待合室で30分待ちました。
17時30分過ぎにOさんの知人の方が来られて揃いましたので、日本最古のエレベータに乗って2階の個室を案内されました。30分も待ってたので、電話も数回かかってきましたが、「本日は満室です」と予約を断られてました。
料理は予約した時に伝えてて、5000円のコース料理に決めてました。先に飲み物で三人とも生ビールを注文。
今日のメンバーは、京都育ちの私と、福知山在住のOさん、そしてOさんの知人で長州藩(山口県)萩市にある臨済宗建仁寺派のお寺(お聞きしましたが覚えられなかったです)の副住職さんの三人です。
寺好きの私は、いろいろ話しをさせてもらいました。料理は前菜の盛り合せから。
これを三人で取り皿に入れいただきました。個室は良いですね、廻りを気にすることなくゆっくりいただけます。
こちらはカニ入りフカヒレスープです。お願いして3杯分に分けてもらいました。寒かったので体が温まりました。
私は生ビールは一杯だけ、もう少し飲めますが退院してから一杯だけと決めました。料理は、揚げ物二種で、一つは春雨でもう一つは・・・忘れました。
料理が運ばれてきてたら先ずは写真を撮らせていただきました。そこから戻られて3人分に取り分けてもらうようになりました。
料理は、海鮮類の強火炒めとエビの唐辛子炒めです。話してたらOさんは以前、屋上のピアガーデンに来て以来だそうで、私は何度か来てました。(多分4回目か5日目かも)
料理は良いタイミングで運ばれてきます。次が、鶏肉の紹興酒香り付け炒めでした。やっぱりどれも美味しいです。
ここで、料理のあと“館内ツアー”をお願いしました。このレトロ建築を係の方が案内してもらえると聞いたからでお願いしたんですが・・・答えは「今日は忘年会シーズンのため係のものが手が空いてたら案内できますが・・・」と伺いました。多分・・・無理そうだなぁ・・・とこの時は思いました。
料理は、水餃子が運ばれてきました。口に入れると肉汁が出て火傷しそうに・・・なりました。ここは以前来た時も、焼き餃子と違って、水餃子でした。
ここで、東華菜館本店の支配人さんが挨拶に来られました。社長はお父さんだそうですが、気さくなOさんは名刺をいただかれました。(私もです)
それで支配人さんからサプライズということで、北京ダックをサービスしていただきました。初めていただきましたが、味噌味なんですね・・・私は・・・味噌味が苦手で・・・。
料理はこれで終わりです。後はデザートでした。副住職さんとも、いろいろ話を聞き、一番驚いたのは廃仏毀釈のことです。副住職さんは長州の人ですが、同じ明治維新の立役者の薩摩藩では、廃仏毀釈によってお寺が無くなったと言う話です。興味持ったので帰って調べました。
薩摩藩・・・現在の鹿児島県では、江戸末期には寺院の数が1066、僧侶が2964人も居ました。とこが1874年(明治7年)には双方ともにゼロになった・・・ということです。これ以降、1876年(明治9年)に鹿児島県に「信教の自由令」が出されるまで、廃仏毀釈は続きました。現在では数の上では廃仏毀釈以前の半分の水準まで寺院数は回復してきているそうですが、県下では古い寺院は残っていません。西郷隆盛や大久保利通を排出した鹿児島県ですが、現在も負の遺産である“○○寺院跡”を目にするようです。
徳川と結びついてた寺院を全て潰したかったらしいけど、特に薩摩は凄かったと言う話です。京都市内では○○寺門前町という町名を目にします。例えば天龍寺門前○○町のように・・・これは、かつての寺の規模を示すものだそうで、廃仏毀釈によって削られたことを示しています。余談でした。
上の写真が餡入り揚げ餅で、下が杏仁豆腐(あんにんどうふ)でした。私は充分でしたが、後日Oさんは、御飯系が無かったなぁ・・・と。
ここで、またまた余談ですが、長州の副住職さんは天龍寺に行きにくいそうです。時代は江戸末期に遡ります。「蛤御門の変」の前に長州藩は、伏見・山崎とともに天龍寺に軍を配置し幕府軍と対峙してました。そして京都御所付近で戦闘がはじまり・・・結果・・・天龍寺に宿営していた長州軍に向かって幕府軍・・・特に薩摩藩が砲撃を浴びせてた結果・・・天龍寺は焼失してしまうのですね。冗談でしょうけど、長州人としては、天龍寺に申し訳ないので足を運びにくい・・・らしいです。余談でした。
17時30分に始まって、時計の針が20時00分になったところでお開きになりました。部屋を出て日本最古のエレベータの前で待っていると・・・。
すると清算はお部屋だったんですね、それと以外なことに・・・館内を案内していただけるそうで・・・諦めてだけに嬉しかったです。
先ずは、例の日本最古のエレベータに乗って5階に行きます。ここは予約無しで来た時に通される一般席でした。
まだお食事中の人も居たので長居せず、空いてる席だけ見せてもらいました。案内していただい方が「下向き半円のフロアインジケーターは非常に珍しい」と言われたので撮りました。
次が4階の宴会席です。ここで今まで宴会をされてたそうで、終わって出ていかれたため見られました。ここから南座が見えています。ところで耐震補強工事のため南座・・・当分の間・・・休館ですね。
今年の顔見世興行は歌舞練場ですね、狭い分間近で見られるそうです。私の趣味で館内ツアーに付き合っていただき申し訳なかったですが、古い洋館・・・楽しんで貰えたかなぁ・・・。
3階は宴会中とのことでスルーそして1階まで乗せてもらい3人は別れました。副住職さんには辻利のお茶菓子をお土産にいただきありがとうございました。大変美味しかったので、アッと言う間に無くなりました。
これがアップする頃にはOさんは長期休暇に入られて次ぎにお目に掛かるのは3月末でしょう、スキー思いきり楽しんで下さい。昔、祇園に社屋があった時に通ってた懐かしのルートで帰路につまきました。
【東華菜館 本店】
それで本日、予約していたレストランは北京料理で、W.M.ヴォーリズ氏によるスパニッシュ・バロックの洋館で、W.M.ヴォーリズ氏唯一のレストラン建築でお馴染みの東華菜館です。忘年会シーズンでしたが個室を予約できました。
最初は18時30分に予約してましたが、先方の都合で早く行けることになったので、急遽建仁寺から電話を入れ17時30分に変更してもらいました。
花見小路から四条大橋を渡って東華菜館に着きました。この時、17時00分ちょうど。お店の方にも「お早いお着きで」と言われ、1階の待合室で30分待ちました。
17時30分過ぎにOさんの知人の方が来られて揃いましたので、日本最古のエレベータに乗って2階の個室を案内されました。30分も待ってたので、電話も数回かかってきましたが、「本日は満室です」と予約を断られてました。
料理は予約した時に伝えてて、5000円のコース料理に決めてました。先に飲み物で三人とも生ビールを注文。
今日のメンバーは、京都育ちの私と、福知山在住のOさん、そしてOさんの知人で長州藩(山口県)萩市にある臨済宗建仁寺派のお寺(お聞きしましたが覚えられなかったです)の副住職さんの三人です。
寺好きの私は、いろいろ話しをさせてもらいました。料理は前菜の盛り合せから。
これを三人で取り皿に入れいただきました。個室は良いですね、廻りを気にすることなくゆっくりいただけます。
こちらはカニ入りフカヒレスープです。お願いして3杯分に分けてもらいました。寒かったので体が温まりました。
私は生ビールは一杯だけ、もう少し飲めますが退院してから一杯だけと決めました。料理は、揚げ物二種で、一つは春雨でもう一つは・・・忘れました。
料理が運ばれてきてたら先ずは写真を撮らせていただきました。そこから戻られて3人分に取り分けてもらうようになりました。
料理は、海鮮類の強火炒めとエビの唐辛子炒めです。話してたらOさんは以前、屋上のピアガーデンに来て以来だそうで、私は何度か来てました。(多分4回目か5日目かも)
料理は良いタイミングで運ばれてきます。次が、鶏肉の紹興酒香り付け炒めでした。やっぱりどれも美味しいです。
ここで、料理のあと“館内ツアー”をお願いしました。このレトロ建築を係の方が案内してもらえると聞いたからでお願いしたんですが・・・答えは「今日は忘年会シーズンのため係のものが手が空いてたら案内できますが・・・」と伺いました。多分・・・無理そうだなぁ・・・とこの時は思いました。
料理は、水餃子が運ばれてきました。口に入れると肉汁が出て火傷しそうに・・・なりました。ここは以前来た時も、焼き餃子と違って、水餃子でした。
ここで、東華菜館本店の支配人さんが挨拶に来られました。社長はお父さんだそうですが、気さくなOさんは名刺をいただかれました。(私もです)
それで支配人さんからサプライズということで、北京ダックをサービスしていただきました。初めていただきましたが、味噌味なんですね・・・私は・・・味噌味が苦手で・・・。
料理はこれで終わりです。後はデザートでした。副住職さんとも、いろいろ話を聞き、一番驚いたのは廃仏毀釈のことです。副住職さんは長州の人ですが、同じ明治維新の立役者の薩摩藩では、廃仏毀釈によってお寺が無くなったと言う話です。興味持ったので帰って調べました。
薩摩藩・・・現在の鹿児島県では、江戸末期には寺院の数が1066、僧侶が2964人も居ました。とこが1874年(明治7年)には双方ともにゼロになった・・・ということです。これ以降、1876年(明治9年)に鹿児島県に「信教の自由令」が出されるまで、廃仏毀釈は続きました。現在では数の上では廃仏毀釈以前の半分の水準まで寺院数は回復してきているそうですが、県下では古い寺院は残っていません。西郷隆盛や大久保利通を排出した鹿児島県ですが、現在も負の遺産である“○○寺院跡”を目にするようです。
徳川と結びついてた寺院を全て潰したかったらしいけど、特に薩摩は凄かったと言う話です。京都市内では○○寺門前町という町名を目にします。例えば天龍寺門前○○町のように・・・これは、かつての寺の規模を示すものだそうで、廃仏毀釈によって削られたことを示しています。余談でした。
上の写真が餡入り揚げ餅で、下が杏仁豆腐(あんにんどうふ)でした。私は充分でしたが、後日Oさんは、御飯系が無かったなぁ・・・と。
ここで、またまた余談ですが、長州の副住職さんは天龍寺に行きにくいそうです。時代は江戸末期に遡ります。「蛤御門の変」の前に長州藩は、伏見・山崎とともに天龍寺に軍を配置し幕府軍と対峙してました。そして京都御所付近で戦闘がはじまり・・・結果・・・天龍寺に宿営していた長州軍に向かって幕府軍・・・特に薩摩藩が砲撃を浴びせてた結果・・・天龍寺は焼失してしまうのですね。冗談でしょうけど、長州人としては、天龍寺に申し訳ないので足を運びにくい・・・らしいです。余談でした。
17時30分に始まって、時計の針が20時00分になったところでお開きになりました。部屋を出て日本最古のエレベータの前で待っていると・・・。
すると清算はお部屋だったんですね、それと以外なことに・・・館内を案内していただけるそうで・・・諦めてだけに嬉しかったです。
先ずは、例の日本最古のエレベータに乗って5階に行きます。ここは予約無しで来た時に通される一般席でした。
まだお食事中の人も居たので長居せず、空いてる席だけ見せてもらいました。案内していただい方が「下向き半円のフロアインジケーターは非常に珍しい」と言われたので撮りました。
次が4階の宴会席です。ここで今まで宴会をされてたそうで、終わって出ていかれたため見られました。ここから南座が見えています。ところで耐震補強工事のため南座・・・当分の間・・・休館ですね。
今年の顔見世興行は歌舞練場ですね、狭い分間近で見られるそうです。私の趣味で館内ツアーに付き合っていただき申し訳なかったですが、古い洋館・・・楽しんで貰えたかなぁ・・・。
3階は宴会中とのことでスルーそして1階まで乗せてもらい3人は別れました。副住職さんには辻利のお茶菓子をお土産にいただきありがとうございました。大変美味しかったので、アッと言う間に無くなりました。
これがアップする頃にはOさんは長期休暇に入られて次ぎにお目に掛かるのは3月末でしょう、スキー思いきり楽しんで下さい。昔、祇園に社屋があった時に通ってた懐かしのルートで帰路につまきました。
【東華菜館 本店】