船井七福神 第四番札所 秀林山 龍澤寺へ
11月20日(日)、京都市内では紅葉が真っ盛りで、嵐山では凄い人出となった記事が翌日の京都新聞に載るほどでした。その混雑している京都市内を避け、南丹市日吉町胡麻にある古刹、秀林山 龍澤寺に行ったきてたので、前回の予告と違いますが先に、アップすることにしました。
JR山陰線「鍼灸大学前駅」で電車を降り、徒歩なら30分ぐらいでしょうけど、私は車で来ました。京都市内では見られなくなった田園風景の中に龍澤寺(りゅうたくじ)がありました。先ずは前門から入ります。
そして長くつづく参道の次が中門(黒門)です。黒門趣旨なるものが書いてありましたが、難しくて・・・要するに寺に入る玄関だと・・・と解釈しました。その黒門の奥に整然とお地蔵さんが並んでいます。
そこには六地蔵が立っていました。等身以上の大きさがあって、威圧感もありましたが、最後には、本有地地蔵が加わり七地蔵で在ることを示す石碑も立っていました。
ここを過ぎると次が山門ですが、石段を登ることになります。それよりイチョウの木が黄色に色づいてて、期待できます。
石段下には手水盤もありましたが、まだ綺麗です。最初の前門、黒門その次の七地蔵といい、近年整備されたのでしょう。
山門を入ったら一面、黄色に覆われてました。イチョウが黄色に色づいて・・・京都市内より寒いから落ちるのも早いんでしょうね。
しかし・・・茅葺きの本堂は改修工事中でした・・・残念・・・市内では滅多にお目にかかれない茅葺きだったので・・・。
ここには何回か来てますが、今日は朱印をいただきにきました。ここでは、住職さんがご在宅か確認されてから訪問されるのが良いでしょう。
ここは大本山、永平寺の末寺にあたり、古くは園部藩の曹洞宗の本寺の一つで、ご本尊は釈迦牟尼仏です。
御朱印は、船井七福神の第四番「福禄寿」てした。せっかく御朱印をいただいたので、ご丁寧にも境内の左側にある観音堂・七福神堂を開けていただきました。
七福神堂内では、宝の道七福神(丹波寿七福神)の福禄寿と 壁際には十六羅漢像が祀られていました。
京都市内では紅葉が見頃となって、大変な喧噪だと思いますが、ここは本当に静かです。時折、山陰線の電車が通る音ぐらいです。
創建は1639年(寛永16年)、永平寺二十四世の孤峰龍札禅師が来興して、永平寺二十三世の佛山(徳照)秀察禅師を勧請開山とし、自身は二代としました。秀林山龍澤寺という名称は両禅師から秀と龍の一字ずつを取って号したものです。本尊は釈迦牟尼仏。園部藩の曹洞宗の本寺の一つで、日吉町・美山町と旧和知町・旧三和町などに17の末寺を持つ名刹です。
由緒書きが無かったので、南丹市総合ガイドより抜粋しました。これからも旧船井郡や亀岡市の古刹や神社を探して訪れたいと思います。このあと園部町に移動して、食事に行きましたが、これは冬場の閑散期にアップします・・・多分・・・ですが・・・。
【秀林山 龍澤寺】
JR山陰線「鍼灸大学前駅」で電車を降り、徒歩なら30分ぐらいでしょうけど、私は車で来ました。京都市内では見られなくなった田園風景の中に龍澤寺(りゅうたくじ)がありました。先ずは前門から入ります。
そして長くつづく参道の次が中門(黒門)です。黒門趣旨なるものが書いてありましたが、難しくて・・・要するに寺に入る玄関だと・・・と解釈しました。その黒門の奥に整然とお地蔵さんが並んでいます。
そこには六地蔵が立っていました。等身以上の大きさがあって、威圧感もありましたが、最後には、本有地地蔵が加わり七地蔵で在ることを示す石碑も立っていました。
ここを過ぎると次が山門ですが、石段を登ることになります。それよりイチョウの木が黄色に色づいてて、期待できます。
石段下には手水盤もありましたが、まだ綺麗です。最初の前門、黒門その次の七地蔵といい、近年整備されたのでしょう。
山門を入ったら一面、黄色に覆われてました。イチョウが黄色に色づいて・・・京都市内より寒いから落ちるのも早いんでしょうね。
しかし・・・茅葺きの本堂は改修工事中でした・・・残念・・・市内では滅多にお目にかかれない茅葺きだったので・・・。
ここには何回か来てますが、今日は朱印をいただきにきました。ここでは、住職さんがご在宅か確認されてから訪問されるのが良いでしょう。
ここは大本山、永平寺の末寺にあたり、古くは園部藩の曹洞宗の本寺の一つで、ご本尊は釈迦牟尼仏です。
御朱印は、船井七福神の第四番「福禄寿」てした。せっかく御朱印をいただいたので、ご丁寧にも境内の左側にある観音堂・七福神堂を開けていただきました。
七福神堂内では、宝の道七福神(丹波寿七福神)の福禄寿と 壁際には十六羅漢像が祀られていました。
京都市内では紅葉が見頃となって、大変な喧噪だと思いますが、ここは本当に静かです。時折、山陰線の電車が通る音ぐらいです。
創建は1639年(寛永16年)、永平寺二十四世の孤峰龍札禅師が来興して、永平寺二十三世の佛山(徳照)秀察禅師を勧請開山とし、自身は二代としました。秀林山龍澤寺という名称は両禅師から秀と龍の一字ずつを取って号したものです。本尊は釈迦牟尼仏。園部藩の曹洞宗の本寺の一つで、日吉町・美山町と旧和知町・旧三和町などに17の末寺を持つ名刹です。
由緒書きが無かったので、南丹市総合ガイドより抜粋しました。これからも旧船井郡や亀岡市の古刹や神社を探して訪れたいと思います。このあと園部町に移動して、食事に行きましたが、これは冬場の閑散期にアップします・・・多分・・・ですが・・・。
【秀林山 龍澤寺】