第52回 京都非公開文化財特別公開 石清水八幡宮【前編】へ

今年も、10月28日(金)~11月7日(月)の日程で、平成28年度 第52回京都非公開文化財特別公開がありました。

今年は京都府八幡市の神社や寺院が特別公開されるので、11月4日(金)に何カ所廻ってきました。トップバッターは、社殿が国宝に指定された石清水八幡宮です。

八幡市には京阪電車で行きました。三条京阪から特急に乗り、丹波橋で普通電車に乗り換え、やって来たのは「八幡市駅」で、7時45分に着きました。石清水八幡宮には京阪男山ケーブルがあって、8時00分発に乗れますが、私は歩いて登ることを決めてました。

駅を降りて先ずは、本日2箇所目に予定している神應寺の前を通りました。せっかく来たので本堂まで見ていこうと思いましたが、それが・・・それが・・・きつかった・・・急な階段を上がるとこと何十段かわかりませんが、本堂まで行き写真を撮って下に降りたら膝が笑ってました。その神應寺の門前横には、石清水八幡宮五輪塔(重要文化財)を目にしました。

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鎌倉時代の作で、高さ6㍍もある全国最大規模の大きさを誇る五輪塔です。五輪塔は、下から地・水・火・風・空の五大要素をあらわしてるとか。

ここでどたらに行ったら良いのか分からなくなったので、地元の人が散歩されてたので道を聞きました。「石清水八幡宮に登りたいですど」と聞くと、「分かりずらすので2の鳥居まで案内したげるわ」と言って一緒に行っていただきました。この場を借りてありがとうございました

ここから頓宮(とんぐう)と呼ばれる社殿の外側を回り込み高良(こうら)神社の横に出てきました。折角二の鳥居まで案内していただける話でしたが、私はここに寄っていくことにして分かれました。

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石清水八幡宮の摂社である高良神社には事前に調べて寄って行く予定でした。もう少し山に登った先にあると思い込んでました

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鳥居をくぐった先に拝殿があって、その右隣に本殿がありました。ここまで案内していただいた人には「ここの氏神様やで」と教えて貰いましたし、案内板にも御祭神は高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)と書いてありました。

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境内にあった御神木でしょうか樹齢700年とも言われる“タプの木”と鳥居前には手水盤もありました。摂社・末社もここしか知らなかったですけどね。

豊前国、宇佐八幡宮より八幡大神を勧請した行教(ぎょうきょう)和尚が、860年(貞観2年)に社殿を建立し創建した言われています。吉田兼好の「徒然草」の第52段には、仁和寺の老和尚が高良社や極楽寺を石清水八幡宮の本宮と勘違いする小話も載っているほど規模を誇っていました。社殿は1868年(慶応4年)の戊辰戦争の兵火で焼失。現在の社殿は1884年(明治17年)に再建されたものです。

高良神社を出ると左手に頓宮の南門がありますが閉まっています(この時、8時00分でした。)。ちなみに、この先の頓宮境内を抜け北門を出た先が一の鳥居なんですけど帰りに寄ります。

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写真左には頓宮の社務所がありましたが、ここには「高良神社の朱印は石清水八幡宮の社務所にあります」と書いてあるのを・・・帰りに知りました・・・貰い損ねて・・・ショック・・・です。

この高良社の近くには趣の木橋の安居橋がありますが寄りません。暫く歩いて行くと左手には「頼朝公ゆかりの松」がありました。

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源頼朝が奉納した6本の松の後継樹だそうです。それにしても、かなり歪んでいるので、折れないか心配です。

そこから歩いて1分(8時1分)で二の鳥居に着きました。先程、道案内をしていただいた地元の人に追いついたので、お礼を言って分かれました。

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「あと何分ぐらいかかりますか」「20分から30分ぐらいやし、松花堂跡もあるので見て行ったらいい」と言われました。そのつもりです

ここを過ぎると結構な石段が上まで続くことになります。ここから表参道をゆっくり登ります。

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5月に入院し、6月に職場復帰してから、中々足の筋力が回復しませんでしたが、会社のエレベータを利用せず、階段を使ってリハビリしていたので、楽とは言えませんが頑張って登れました。

登り初めて6分で、末社の大扉稲荷社(おおとびらいなりしゃ)に着きましたと言うより通過しました。

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御祭神は、御食津神(みけつかみ)といい穀物の神・食物の神で知られています。創建の年代は不明ですが、商売繁盛に御利益があるとか。

この前に影清塚があって、表参道と別れて松花堂跡の方に向かいます。この影清塚・・・写真撮ったつもりが・・・無くて・・・残念。そして、少しだけ登ったら松花堂跡の石碑がありました。

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「松花堂弁当」の名前の由来となった、石清水八幡宮ま゜社僧・松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう)の晩年の住居・草庵跡です。

二の鳥居から歩いて10分、8時11分に石清水社に着きました。ここも当然、寄って行きます。早く本殿を見てみたい・・・と、気は早りますが・・・。

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立派な鳥居の下には手水鉢もありましたが、ここまで来ると朝寒かったのに、もう汗だくになってました。

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石清水八幡宮の摂社である石清水社は、古くから“霊水”を祀ってたといい、石清水八幡宮の名の由来とともなりました。御祭神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。現在でも本宮の祭事の時は、ここの井戸水「御香水」を供えるそうです。

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8時12分に再び登り初めてますが、段々階段がきつくなっていきます。2分ほど登るとようやくなだらかな坂道に変わりました。

8時15分には伊勢神遥拝所までやって来ました。ここから約130㎞離れてる伊勢神宮は、石清水八幡宮と同様、皇室の祖神が祀られてるんですよね。

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この時、ここが何だか分かりませんでした。何も書いて無いので・・・後で貰った由緒書きを見て分かりました。

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その前には手水舎もありましたが、水は入っていません。その左隣がが細橋(ささやきばし)で、かつて清水が湧き出て細い渡らずの橋を架けて禁足地としたものです。

その先の階段の先には東総門がありますが登れませんし、門は開いてません。そこから入ればショートカットできるんですけど

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伊勢神宮遥拝所を過ぎると、なだらかな坂道を歩いて行きます。もうゴールは近いのは分かってきました。

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そして8時17分、二の鳥居から16分で登り切りました。見た所参拝者は疎らです。国宝の社殿を撮りたかったので・・・ドキドキしながら進みます。

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標高143㍍、小高い山の上まで八幡駅から寄り道しなかったら、約20分で行けるかもしません(かなりしんどいです)。朝日に照らされた手水舎で、いつものように・・・。

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本殿への入口にある南総門です。北総門・東総門・西総門はあますが、それぞれ閉まってて出入口はここだけです。勇壮な唐門から境内に入ると・・・。

南総門から本殿を見ると東に少しずれているんですよね、写真でも少しずれているのが分かるかと思います。それより綺麗です楼門が。

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石清水八幡宮の10棟(本殿・楼門・回廊など)2016年(平成28年)2月9日に国宝に指定されました。この写真を撮りたくて朝早く来て良かったですし、念願叶いました

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まだ先で、社務所は開いてませんが、8時30分前に神職さんが開けられたので御朱印をいただきました。前途した高良神社の朱印もここでいただいたら良かったです

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こちらは社務所の反対、北側の様子です。大きな建物は神楽殿ですが、早朝のため開いてないので普段の様子が分かりません。

ここで前編は終わりますが、最後に再び南総門を出て手水舎の先を右手に石段を降りた所にあった、エジソン記念碑まで足を運びました。

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エジソンが男山の真竹をフィラメントを使用した話は有名です。八幡市の真竹は、1200時間の連続点灯試験を記録し、白熱電灯の実用化に大きく貢献しました。

1934年(昭和9年)に記念碑が建立され、エジソンの誕生日と命日に祭礼が行われます。八幡の真竹は、エジソンに「白熱電球の発明者」の栄誉を与えました。

後編では特別拝観の様子や、展望台の風景をお送りします。

【石清水八幡宮 南総門】



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