第52回 京都非公開文化財特別公開 石清水八幡宮【後編】へ

前編の続き、8時20分頃本殿前で参拝を終えると、本殿周りを見に行くことにしました。

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御祭神は、東御膳が神功皇后(じんぐうこうごう)息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)。中御前が応神天皇(おうじんてんのう)誉田別尊(ほんだわけのみこと)。西御膳が比咩大神(ひめおおかみ)多紀理毘賣命(たぎりびめのみこと)・市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)・多岐津比賣命(たぎつひめのみこと)です。

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先ずは東側から散策します。今日は特別拝観に来たので、9時になったら東門から入る予定にしています。それはまだ40分も先の話

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少し先には重要文化財の東総門がありました。この下に、前編で紹介した伊勢神宮遥拝所や細橋(ささやきばし)があった訳です。

境内の北側に摂社や末社が固まってありますがも一つづつ見て行きます。先ずは重要文化財に指定されてる摂社の水若宮社(右)、左は末社の氣比社から。

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御祭神は、水若宮社が宇治稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)。氣比社が、氣比大神です。氣比大神は敦賀の氣比大神宮の主祭神です。

菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)は、父(応神天皇)の信任も厚く皇太子になったが、応神天皇の死後、兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)(後の仁徳天皇)に皇位を譲るために自殺したという。御利益は、縁結び。

次から北側に並んでいる摂社・末社を巡ります。最初は、重要文化財に指定されている摂社の若宮殿社です

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江戸時代前期の建物で、御祭神は、応神天皇の皇女で、祈願成就と心身健康をご神徳とする女性の守護神です。

その左隣が、こちらも重要文化財に指定されてる摂社の若宮社です。御祭神が仁徳天皇で、若宮殿社と若宮社の御祭神は、ともに石清水八幡宮の御祭神・応神天皇の子にあたります。

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江戸時代前期の建物で、こちらは祈願成就と学業成就をご神徳とする男性の守護神です。

もう少し進むと重要文化財に指定されてる北総門があって、その右隣には末社の貴船社(右)と龍田社(左)がありました。

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貴船社の御祭神は、水神である高龗神(たかおかみのかみ)で、京都市左京区にある貴船神社の主祭神です。龍田社の御祭神は、風の神である級津彦命(しなつひこのみこと)と級津媛命(しなつひめのみこと)です。

そのまま西北角の近くまで行くと、正倉院でお馴染みの校倉(宝蔵)があって京都府指定文化財に指定されています。また、その右には末社の一童社(右)と重要文化財に指定されてる摂社の住吉社(左)がありました。

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一童社の御祭神が、磯良神(いそらのかみ)は、海の神や航行安全の神で、御利益は豊魚とか。住吉社は江戸時代前期の建物で、御祭神は、住吉三神の底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)。

次ぎに重要文化財に指定されてる西総門までやって来ました。そこには末社の廣田社(右)、生田社(中)、長田社(左)がありました。

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ここは兵庫県ゆかりの三社で、廣田社が西宮市。生田社が神戸市生田区。長田社が神戸市長田区。御祭神が廣田社が天照大神。生田社が稚日女尊(わかひるめのみこと)。長田社が事代主命(ことしろぬしのみこと)。ちなみに、この土塀に謂われがあって・・・。

石清水八幡宮の境内を覆う築地塀を通称「信長塀」と言い、土と瓦を積み重ねた塀で本殿を囲んでいます。織田信長が寄進しました。

西総門の向かいには、国宝西門があります。四脚門の西面に庇(ひさし)を設けた形式を持つ、切妻造(きりづまづくり)、本瓦葺の門です。

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あとで特別拝観で内部に入りますが、この西門で学生さんのガイドで詳しく話しを聞きました。ここから見えるのは庇にある象の彫刻ですね。

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これで本殿周りを一周してきました。この時・・・まだ8時25分・・・特別拝観の開始まで30分もあります。

それで8時30分を待って、社務所で朱印をいただき、エジソン記念碑に行き、次ぎに展望台に行くことにしました。

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この近くに男山ケーブル山頂駅があって、8時40分発のケーブルカーで数名の方が上がって来られました。しかし、ここには誰も来ない・・・です

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それにしても凄く見晴らしが良いです。眼下に京阪電鉄京都線と遠くに比叡山の山並みが見えていました。

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こちらは遠くに愛宕山を見ていますが、写真では分からないですね、肉眼ではハッキリ見えていました。この日の朝は冷え込んで・・・冷たい風が吹き抜けてました。

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こちらは東南にあたります。これ以上、南は見えませんので、城陽市が限界でしょうし、木津川市まででしょうね。

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この石碑は、「谷崎潤一郎文学碑」です。大山崎から橋本へ渡る淀川の中州が小説の舞台だそうです。その石碑には小説の一節が書いてあって・・・。

「わたしの乗った船が洲へ漕ぎ寄せたとき男山はあたかもその絵にあるやうにまんまるな月を背中にして全山の木々の繁みがびろうどのやうな津やをふくみ、まだどこやら夕ばえの色が残つてゐる中空に暗く濃く黒ずみわたつてゐた」

ここでゆっくりして再び8時55分に国宝東門に戻ってきました。ここが特別拝観の入口で、学生さんが受付されてました。そこで拝観料800円を納めて上に上がります。

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靴は袋に入れて初めての内部に入りますが、残念ながらここより先は、撮影禁止でした。9時になって直ぐに入ったので、一番乗りでしたが・・・ここではあまり意味が無い・・・です。

御本殿 (国宝)、御社殿(国宝)内織田信長寄進「黄金の樋(とい)」・ 左甚五郎作「目貫(めぬき)の猿」など。

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目貫(めぬき)の猿は肉眼では分かりません。現場ではパネルを用意されてましたが、こうして画像を見るとやっと分かりましたね。名工の技で命を得た猿は里に下りて悪さをする。それを止めようと、竹釘が打たれたのだとか。不思議と男山には猿が居ないそうです。

現在の社殿は織田信長のより、1580年(天正8年)に修造。そのあと豊臣秀頼が1606年(慶長11年)の造営を経て、1634年(寛永11年)江戸幕府3代将軍・徳川家光により造営し完成したもの。

本殿内には約20分ぐらい居ました。初めて来ましたが正直、上賀茂神社や下鴨神社の特別拝観に比べて、物足りなさはありました。豪華な欄間だけではね・・・前途したとおり、東門から北の回廊を通って、西門までのコースでしたが、本殿を見られるとかも無いし・・・まぁ・・・初めてですので、満足じゃ無かったけど、来て良かったです。

特別拝観では、もう一つ見学できることになってました。重森三玲が作庭した書院石庭です。

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先程、物足りなさを言いましたが、ここもそうですね。以前は書院に入って、庭の全景を見られましたが、柵があって入れませんし、写真撮影も禁止でした。

1952年(昭和27年)に重森三玲によって作庭されました。八幡大神の「海神」しての神格に因んだ海洋をあらわしてるとか。また石灯籠ですが、1295年(永仁3年)の刻銘が入っており、重要文化財に指定されています。

今日は何カ所か廻るので、早々と下に降りることにしました。今度は裏参道から降りてみます。ここを9時39分に降り始めました。

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ご覧のように裏参道は降りるのは良いんですが、登るのはしんどいかと思います。時間は短縮できるでしょうけど・・・階段がきつい・・・です。

下には9時46分に降りてきました。約7分弱で降りたことになります。一気にに下ったためか、明日になるとふくらはぎが相当痛くて・・・特に・・・階段を降りるとき、苦労しました。

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前編では閉まってた頓宮の南門が開いてました。この時、9時47分になってて、1時間47分後に戻って来たわけです。

それでは頓宮に入ってみます。頓宮とは、石清水祭において祭神が渡御する山麓の社殿のことでいわいる御旅所のたこと。

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頓宮を南門から入って北門から出ました。北門前には「筒井」と呼ばれる男山に湧き出る名水「八幡五水」の一つがありました。

そして、こちらが一の鳥居です。行きは見られなかったので、帰りにどうしても通りたかった鳥居です。ここは朝が早かったら頓宮が閉まっているので、ここに来ても迂回する必要があるんですね。

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ここの扁額に注目です。「八幡宮」の八の字が鳩で表されています。八幡宮の神の使いである鳩を上手く考えたものです。先に知ってたら撮ってたのに・・・残念

8時頃に登り初めて、下の一の鳥居には9時49分に着きました。次は、ここからほど近い神應寺に行きます。先に偵察を終えているので、今度は余裕です

【石清水八幡宮 東門(特別拝観入口)】



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    Excerpt: 例年なら桜も見頃となる4月1日(土)に、同日から始まった「八幡桜まつり」に合わせて特別公開される寺院を巡りに京都府南部の八幡市を訪れました。 Weblog: 古寺とお城の旅日記Ⅱ racked: 2017-04-19 03:35