第52回 京都非公開文化財特別公開 神應寺へ
石清水八幡宮を往復歩いたので、相当足は疲れてますが、再び急な階段を登ることになります。次ぎにやって来たのは第52回 京都非公開文化財特別公開 神應寺(じんのうじ)です。
ここの山門前には9時52分に着きました。京阪電車「八幡市駅」から歩いて5分もかかりませんが、この山門をくぐってからが、きついです・・・160段の石段を上がります。
この階段を登り切るのに2分かかりました。私はこの日、2度目の階段です。
登り切って境内の様子を撮りました。正面が本堂で、拝観受付は本堂の右側にあって、そこの玄関から入ります。
境内に入って左手にあったのが鐘楼です。その横から奥の院に通じる通路がありました。(本堂で話を聞き終えると奥の院に行くように案内されました)
この神應寺の境内を2往復+石清水八幡宮を往復したため、ここにきた時には膝がガクガク
おまけに寒かったのに、もう汗だく、ヘトヘトで本堂横の受付に行き拝観料800円を納めました。
下の写真は、8時前に一度登った時の写真です。この時は受付には誰も居ませんが、9時55分に行くと学生さんが受付されてました。
本堂内は誰も居ませんでした。私の汗が引きのを待って、学生さんがこの神應寺の案内を初めてもらいました。。
本堂の須弥壇には、ご本尊の薬師三尊仏を安置。また、左手には豊臣秀吉坐像が、その隣には重要文化財の行教律師像が安置されてました。行教律師像は、元は石清水八幡宮の開山堂に安置されてましたが、明治の廃仏毀釈により1873年(明治6年)に行教律師が開山した神應寺に安置されることになりました。
次ぎに本堂と隣接する開山堂で案内があって、最後は右手に移動して狩野山雪の障壁画の案内を受けました。
狩野山雪筆「瀑布図」(八幡市指定文化財)です。堂内は撮影禁止でしたので、看板を撮りました。私を含めて2組なんで、ゆっくり見学できました。
860年(貞観2年)石清水八幡宮を勧請した行教律師により應神天皇の霊を祀る為に創建されました。創建時は“應神寺”と称して、法相・天台・真言密教を弘通する兼学の道場でしたが、現在は曹洞宗の寺院です。
次ぎに書院に移動して寺宝の「普賢菩薩騎象像」「八幡大菩薩篝火御影」などを見学。書院の廊下には長椅子も置いてあるので座って見晴らしの良い窓の外を見てました。
眼下に京阪電車「八幡市駅」と、その駅前広場が見えています。次はあそこからバスかタクシーで移動の予定です。
書院で少し休憩してから、ここを出ることにしました。書院にてガイドさんより、奥の院に行くよう勧められましたが、もう足に力が残ってないので断念しました。
本堂及び庫裏の前には庭もありましたが、そんなに手入れされてるようには思えなかったです。それよりまた160段の石段を降りなくてはいけません。
ここには40分も居ましたので、下に降りてきた時には10時35分になってました。前途したとおり、京阪「八幡駅」には5分ぐらいで行けます。
駅前のロータリーまで来ると、男山を見上げると神應寺が見えてました。先程、あそこから駅前を見ていたんです。
次の「松花堂庭園・美術館」には、2.5㎞も離れています。ここからバスで向かうか、レンタサイクルにするか、タクシーにするかの選択がありましたが、タクシーを選びました。帰りは、その距離を歩いて戻ることになりますが、迷いはありませんでした。
【神應寺 本堂】

ここの山門前には9時52分に着きました。京阪電車「八幡市駅」から歩いて5分もかかりませんが、この山門をくぐってからが、きついです・・・160段の石段を上がります。
この階段を登り切るのに2分かかりました。私はこの日、2度目の階段です。
登り切って境内の様子を撮りました。正面が本堂で、拝観受付は本堂の右側にあって、そこの玄関から入ります。
境内に入って左手にあったのが鐘楼です。その横から奥の院に通じる通路がありました。(本堂で話を聞き終えると奥の院に行くように案内されました)
この神應寺の境内を2往復+石清水八幡宮を往復したため、ここにきた時には膝がガクガク

下の写真は、8時前に一度登った時の写真です。この時は受付には誰も居ませんが、9時55分に行くと学生さんが受付されてました。
本堂内は誰も居ませんでした。私の汗が引きのを待って、学生さんがこの神應寺の案内を初めてもらいました。。
本堂の須弥壇には、ご本尊の薬師三尊仏を安置。また、左手には豊臣秀吉坐像が、その隣には重要文化財の行教律師像が安置されてました。行教律師像は、元は石清水八幡宮の開山堂に安置されてましたが、明治の廃仏毀釈により1873年(明治6年)に行教律師が開山した神應寺に安置されることになりました。
次ぎに本堂と隣接する開山堂で案内があって、最後は右手に移動して狩野山雪の障壁画の案内を受けました。
狩野山雪筆「瀑布図」(八幡市指定文化財)です。堂内は撮影禁止でしたので、看板を撮りました。私を含めて2組なんで、ゆっくり見学できました。
860年(貞観2年)石清水八幡宮を勧請した行教律師により應神天皇の霊を祀る為に創建されました。創建時は“應神寺”と称して、法相・天台・真言密教を弘通する兼学の道場でしたが、現在は曹洞宗の寺院です。
次ぎに書院に移動して寺宝の「普賢菩薩騎象像」「八幡大菩薩篝火御影」などを見学。書院の廊下には長椅子も置いてあるので座って見晴らしの良い窓の外を見てました。
眼下に京阪電車「八幡市駅」と、その駅前広場が見えています。次はあそこからバスかタクシーで移動の予定です。
書院で少し休憩してから、ここを出ることにしました。書院にてガイドさんより、奥の院に行くよう勧められましたが、もう足に力が残ってないので断念しました。
本堂及び庫裏の前には庭もありましたが、そんなに手入れされてるようには思えなかったです。それよりまた160段の石段を降りなくてはいけません。
ここには40分も居ましたので、下に降りてきた時には10時35分になってました。前途したとおり、京阪「八幡駅」には5分ぐらいで行けます。
駅前のロータリーまで来ると、男山を見上げると神應寺が見えてました。先程、あそこから駅前を見ていたんです。
次の「松花堂庭園・美術館」には、2.5㎞も離れています。ここからバスで向かうか、レンタサイクルにするか、タクシーにするかの選択がありましたが、タクシーを選びました。帰りは、その距離を歩いて戻ることになりますが、迷いはありませんでした。
【神應寺 本堂】