かつての天龍寺慈済院境内跡に建つ斎明神社へ
観光地で有名な渡月橋の下流には桂川が流れています(上流は大堰川と言います)。その桂川沿いの道路(罧原堤)を下がり三条通りを少し入ったところに「神明神社」の石標が立っています。
近年、修復された石標のようですが、奥にある駒札は墨の文字が掠れてまったく読めません
。
その石標のある細い道を下がると右手(西側)に鳥居が見えて来ます。それが斎明神社の入口です。先程の石標は、斎明神社の通称名です。
最寄り駅は「下嵯峨」バス停下車すぐです。住宅街のため静かな中にひっそり鳥居が立っていました。
鳥居を入ると正面が本殿・・・では無くて末社があって、本殿は右手にあり、その前に拝殿があります。共に京都登録有形文化財に指定されています。
入って右手に手水舎がありましたが、水は入ってませんし、ポンプも使ってみましたが・・・水・・・出ません・・・でした。何度か前は通ってましたが、境内に入るのは初めてです。
本殿前の建築年代は不明の拝殿です。この境内には常駐の社務所は無さそうですが、前途のとおり京都登録有形文化財です
。
駒札によると、風蝕(ふうしょく)の程度や舟肘木(ふなひじき)の形態から見て、江戸時代後期に造営されたと考えられています。
南向きの本殿は、簀屋祢(すやね)に覆われています。その本殿は、身舎両妻(もやりょうづま)に棟持柱(むなもちばしら)を建てた、京都市内では数少ない神明造の一つといわれています。
御祭神は、天照大神。現在の本殿は1771年(明和8年)に建てられたもの。前途のとおり京都市登録有形文化財となっています。
859年(貞観1年)伊勢齋王に卜定(ぼくじょう)された文徳天皇(平安時代前期・第55代天皇)皇女恬子内親王(やすこないしんのう・第31代伊勢斎宮)が、嵯峨の野の宮に篭られた際、天照大神を祀って潔斎した旧跡と伝わります。それに因んで、1344年(康永3年)天龍寺慈済院の仏慈和尚によって創祀されたのが始まりで、1470年(文明2年)まで、斎明神社は慈済院の鎮守社でした。中世以降の社殿の状況については分かりませんが、近世にはいると、1606年(慶長11年)に慈済院第七世菊齢彭によって社殿が建立され、その後朽損してきたため1771年(明和8)、下司河村幸右衛門により造替され、現在の本殿はこの時のものです。
末社は、左から稲荷神社(稲荷大神)、愛宕神社(愛宕大神)、八坂神社(八坂大神)、天満宮(天満天神)が祀られてました。
斎明神社の南側の出入口です。ここの向かいに多分・・・社務所でしょうかありましが・・・ご不在のようでしたので呼鈴・・・押してません
。
嵯峨野にある名も無き神社で、訪れる人も少ないでしょう。しかし来て見ると、いろいろ歴史がありました。《参拝日 2016年(平成28年)9月3日》
【斎明神社 本殿】

近年、修復された石標のようですが、奥にある駒札は墨の文字が掠れてまったく読めません

その石標のある細い道を下がると右手(西側)に鳥居が見えて来ます。それが斎明神社の入口です。先程の石標は、斎明神社の通称名です。
最寄り駅は「下嵯峨」バス停下車すぐです。住宅街のため静かな中にひっそり鳥居が立っていました。
鳥居を入ると正面が本殿・・・では無くて末社があって、本殿は右手にあり、その前に拝殿があります。共に京都登録有形文化財に指定されています。
入って右手に手水舎がありましたが、水は入ってませんし、ポンプも使ってみましたが・・・水・・・出ません・・・でした。何度か前は通ってましたが、境内に入るのは初めてです。
本殿前の建築年代は不明の拝殿です。この境内には常駐の社務所は無さそうですが、前途のとおり京都登録有形文化財です

駒札によると、風蝕(ふうしょく)の程度や舟肘木(ふなひじき)の形態から見て、江戸時代後期に造営されたと考えられています。
南向きの本殿は、簀屋祢(すやね)に覆われています。その本殿は、身舎両妻(もやりょうづま)に棟持柱(むなもちばしら)を建てた、京都市内では数少ない神明造の一つといわれています。
御祭神は、天照大神。現在の本殿は1771年(明和8年)に建てられたもの。前途のとおり京都市登録有形文化財となっています。
859年(貞観1年)伊勢齋王に卜定(ぼくじょう)された文徳天皇(平安時代前期・第55代天皇)皇女恬子内親王(やすこないしんのう・第31代伊勢斎宮)が、嵯峨の野の宮に篭られた際、天照大神を祀って潔斎した旧跡と伝わります。それに因んで、1344年(康永3年)天龍寺慈済院の仏慈和尚によって創祀されたのが始まりで、1470年(文明2年)まで、斎明神社は慈済院の鎮守社でした。中世以降の社殿の状況については分かりませんが、近世にはいると、1606年(慶長11年)に慈済院第七世菊齢彭によって社殿が建立され、その後朽損してきたため1771年(明和8)、下司河村幸右衛門により造替され、現在の本殿はこの時のものです。
末社は、左から稲荷神社(稲荷大神)、愛宕神社(愛宕大神)、八坂神社(八坂大神)、天満宮(天満天神)が祀られてました。
斎明神社の南側の出入口です。ここの向かいに多分・・・社務所でしょうかありましが・・・ご不在のようでしたので呼鈴・・・押してません

嵯峨野にある名も無き神社で、訪れる人も少ないでしょう。しかし来て見ると、いろいろ歴史がありました。《参拝日 2016年(平成28年)9月3日》
【斎明神社 本殿】