斎宮の旧跡と伝わる斎宮神社(さいぐうじんじゃ)へ
三条通りの「生田(おいだ)口」バス停近くに小さな神社があって斎宮神社(さいぐうじんじゃ)神社といいます。
交通量(車・バス・自転車・歩行者)の多い三条通り沿いに木製の鳥居があります。(土曜日の7時45分頃に来ましたが、それでも多かったです。)
境内の南側から入ると右手(東側)に手水舎があって、ここは水がありましたが・・・・・です。
それで本殿でお参りをしました。ご祭神は天照大神で、伊勢神宮に奉仕する斎宮が有栖川の辺に野宮(ののみや)を建て、精進潔斎をした旧跡と伝っています。
野宮(ののみや)とは、斎王に卜定(ぼくじょう)された後に一定期間籠る施設。平安遷都以後は主に嵯峨野もしくは西院に造営されました。現在残る野宮神社・西院野々宮神社・斎宮神社・斎明神社はその名残とされています。
そんなに広い境内ではありませんと言うより凄く狭いです。社務所も直ぐに分かりました。もちろん朱印が目当てですが・・・。
ここの朱印は画期的です。と言うのもセルフサービスの朱印でした。こんなの初めてですし戸惑いました。そして箱の中には由緒書きも入ってました。
朱印代金は志納方式でしたし、本殿前のお賽銭箱にそれなりに入れて置きました。また、社務所の前には“さざれ石”もありました。
また、社務所前には境内末社でしょうか、白龍大神が祀られてました。また、横には“愛宕山”の文字が・・・。
最後にムクノキの大木です。京都市保存樹に指定されてました。この一帯は古くから「斎(いつき)の森」と呼ばれていたそうです。
樹齢は数百年、幹廻り2㍍もあるそうです。また、三条通りには同じムクノキの大木が二本もありましたが・・・。
1960年(昭和35年)三条通りの交通量増加による道幅拡張工事のため伐採されたそうです。私も1970年頃から三条通りは知っていますが、今で考えられぐらいマンションや家が増えました。特に帷子ノ辻を過ぎると京都市内とは思えないほど田舎の風景が広がっていました。《参拝日 2016年(平成28年)9月3日》
【斎宮神社】
野宮神社
交通量(車・バス・自転車・歩行者)の多い三条通り沿いに木製の鳥居があります。(土曜日の7時45分頃に来ましたが、それでも多かったです。)
境内の南側から入ると右手(東側)に手水舎があって、ここは水がありましたが・・・・・です。
それで本殿でお参りをしました。ご祭神は天照大神で、伊勢神宮に奉仕する斎宮が有栖川の辺に野宮(ののみや)を建て、精進潔斎をした旧跡と伝っています。
野宮(ののみや)とは、斎王に卜定(ぼくじょう)された後に一定期間籠る施設。平安遷都以後は主に嵯峨野もしくは西院に造営されました。現在残る野宮神社・西院野々宮神社・斎宮神社・斎明神社はその名残とされています。
そんなに広い境内ではありませんと言うより凄く狭いです。社務所も直ぐに分かりました。もちろん朱印が目当てですが・・・。
ここの朱印は画期的です。と言うのもセルフサービスの朱印でした。こんなの初めてですし戸惑いました。そして箱の中には由緒書きも入ってました。
朱印代金は志納方式でしたし、本殿前のお賽銭箱にそれなりに入れて置きました。また、社務所の前には“さざれ石”もありました。
また、社務所前には境内末社でしょうか、白龍大神が祀られてました。また、横には“愛宕山”の文字が・・・。
最後にムクノキの大木です。京都市保存樹に指定されてました。この一帯は古くから「斎(いつき)の森」と呼ばれていたそうです。
樹齢は数百年、幹廻り2㍍もあるそうです。また、三条通りには同じムクノキの大木が二本もありましたが・・・。
1960年(昭和35年)三条通りの交通量増加による道幅拡張工事のため伐採されたそうです。私も1970年頃から三条通りは知っていますが、今で考えられぐらいマンションや家が増えました。特に帷子ノ辻を過ぎると京都市内とは思えないほど田舎の風景が広がっていました。《参拝日 2016年(平成28年)9月3日》
【斎宮神社】
野宮神社