松平信吉が創建した「称念寺 猫寺」へ
櫟谷七野神社から車を止めてるコインパーキングまで歩いていると、2006年(平成18年)6月に来て以来久し振りの称念寺 猫寺の山門前を通りました。
山号を本空山(ほんくうざん)と称し浄土宗総本山知恩院派に属する寺です。1606年(慶長11年)に常陸国土浦城主松平伊豆守信吉が師僧の嶽誉(がくよ)上人のため建立したのが始まり。嶽誉上人は浄土宗捨世(しゃせい)派の祖、称念上人を開山としてその名を冠し寺号を称念寺と定めました。当寺に葬られた松平信吉の母が徳川家康の異父妹であったことから、徳川家の家紋である三ッ葵を寺紋としています。
10年振りに来たので、寄って行くことにしました。前途のとおり徳川家の“三ッ葵”を至るとこで確認できました。
山門を入ると正面が本堂です。ただ前回もそうでしたが入れませんし、外から覗くこともできません。
拝観は叶いませんが、寺伝によると、ご本尊は、内仏来迎仏阿弥陀(ないぶつらいこうぶつあみだ)。恵心僧都(えしんそうず・平安時代中期の高僧)の作で、初代住職の時に本尊となったようです。
3代目の住職の頃には寺は松平家と疎遠となり次第に荒廃しました。この3代目の住職が猫好きで、寺が貧窮しているにもかからず、ある夜、愛猫が美しい姫に化身してのんびり舞を舞ってたことに怒り、この猫を追放してしまいます。ところが数日後、猫は住職の夢枕に立って松平家と復縁を取り付けたことを告げ、住職に報恩し、寺は立派に再興し、以後、寺は猫の霊を厚く守護しています。
10年前と違って、本堂への玄関前に“御守り”が置いてありました。ただ寺の方が居たら朱印とか由緒書きのこと聞けたんですけど・・・。
山門入って右手にあるのが観音堂と呼ばれています。HPによれば、内部には釈迦像、阿弥陀像、慈母観音像が祀られています。
動物の法要を執り行う専用のお堂のようです。表の梵鐘には浄土宗寺院らしく“南無阿弥陀仏”の文字が。
そのお堂の前にあった、この立派な松・・・両側に20㍍も枝を這った姿が、“猫が伏した姿”に似てることから「猫松」と呼ばれています。
この老松は、3代目の住職が愛猫を偲び、伏した猫の姿に植えられたことから“猫松”と呼ばれ、いつしか称念寺は「猫寺」と呼ばれるようになりました。
ここは浄土宗寺院なんで、この秋でも“浄土宗寺院大公開”で公開してくれないかなぁ。そんな事を思いながらコインパーキング戻り帰路に着きました。《参拝日 2016年(平成28年)11月14日》
【称念寺 猫寺 本堂】
山号を本空山(ほんくうざん)と称し浄土宗総本山知恩院派に属する寺です。1606年(慶長11年)に常陸国土浦城主松平伊豆守信吉が師僧の嶽誉(がくよ)上人のため建立したのが始まり。嶽誉上人は浄土宗捨世(しゃせい)派の祖、称念上人を開山としてその名を冠し寺号を称念寺と定めました。当寺に葬られた松平信吉の母が徳川家康の異父妹であったことから、徳川家の家紋である三ッ葵を寺紋としています。
10年振りに来たので、寄って行くことにしました。前途のとおり徳川家の“三ッ葵”を至るとこで確認できました。
山門を入ると正面が本堂です。ただ前回もそうでしたが入れませんし、外から覗くこともできません。
拝観は叶いませんが、寺伝によると、ご本尊は、内仏来迎仏阿弥陀(ないぶつらいこうぶつあみだ)。恵心僧都(えしんそうず・平安時代中期の高僧)の作で、初代住職の時に本尊となったようです。
3代目の住職の頃には寺は松平家と疎遠となり次第に荒廃しました。この3代目の住職が猫好きで、寺が貧窮しているにもかからず、ある夜、愛猫が美しい姫に化身してのんびり舞を舞ってたことに怒り、この猫を追放してしまいます。ところが数日後、猫は住職の夢枕に立って松平家と復縁を取り付けたことを告げ、住職に報恩し、寺は立派に再興し、以後、寺は猫の霊を厚く守護しています。
10年前と違って、本堂への玄関前に“御守り”が置いてありました。ただ寺の方が居たら朱印とか由緒書きのこと聞けたんですけど・・・。
山門入って右手にあるのが観音堂と呼ばれています。HPによれば、内部には釈迦像、阿弥陀像、慈母観音像が祀られています。
動物の法要を執り行う専用のお堂のようです。表の梵鐘には浄土宗寺院らしく“南無阿弥陀仏”の文字が。
そのお堂の前にあった、この立派な松・・・両側に20㍍も枝を這った姿が、“猫が伏した姿”に似てることから「猫松」と呼ばれています。
この老松は、3代目の住職が愛猫を偲び、伏した猫の姿に植えられたことから“猫松”と呼ばれ、いつしか称念寺は「猫寺」と呼ばれるようになりました。
ここは浄土宗寺院なんで、この秋でも“浄土宗寺院大公開”で公開してくれないかなぁ。そんな事を思いながらコインパーキング戻り帰路に着きました。《参拝日 2016年(平成28年)11月14日》
【称念寺 猫寺 本堂】