松尾大社「西七条御旅所」へ

前回掲載した「綱敷行衛天満宮」は御前通り沿いにありましたが、そこよりさらに南に下がり七条通りを下がった西側に松尾大社 西七条御旅所があります。

訪れたのは綱敷行衛天満宮の前日でしたが、ここはお一人だけでしたが参拝に来られてました。早朝の朝陽を鳥居が浴びています。

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御前通りを車で走ると大きな鳥居が立っているので直ぐに分かるかと思います。冬場ならまだ薄暗い時間に訪れました

鳥居を普通は一礼してくぐります。来て見て分かったことですが、思ってたより長い参道の突き当たりに本殿があるようです。

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先ずは右手にある手水舎に行きましたが出勤前だし時間がないので・・・スルー・・・右手には倉庫がありました。

ここは御旅所ですので、倉庫には多分・・・松尾祭で使われる神輿が入っているんでしょう。時間が無いので先を急ぎます。

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御祭神は、松尾大社の御旅所ですので松尾大神です。一応、社務所は探しましたが、それらしきものはありました・・・しかし、朱印は無いでしょうね。

創建は平安時代末期の史料にすでに見られ、元々は西七条地区に三ヶ所の御旅所があったのが、明治になってからは現在の地に定められました。江戸時代には幕府より二百余石の朱印地が与えられていました。また、戦前には能舞台が設けられ、能狂言が奉納されていました。

松尾祭の「神幸祭(おいで)」の案内には西七条御旅所が出てきます。(松尾大社HPより)

古くは松尾の国祭と称せられており、3月中卯日に出御、4月上酉日に祭礼となっていましたが、明治時代から以降は、4月下卯日に出御、5月上酉日に還御となり、さらに昭和36年からは現在の様に、4月20日以後の第一日曜日に出御、それから21日目の日曜日に還御となっています。出御祭には松尾七社(大宮社、月読社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四之社)の神輿(月読社は唐櫃)が、ご本殿のご分霊を受けて、拝殿を三回廻った(拝殿廻し)後、順次社頭を出発し松尾・桂の里を通って、桂離宮の東北方から桂川を船で渡り、左岸堤防下で七社勢揃いし、古例の団子神饌を献じた後、四基の神輿と唐櫃とは西七条御旅所に、二基の神輿は西京極の川勝寺と郡の御旅所に至り、そこに駐輦されます。

ところで、ここにはもう一つ神社があって、武御前社(たけのごぜんしゃ)といいます。境内社じゃなくて、こちらが先にあって、西七条御旅所が後から遷移されたようです・・・。

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まったく心当たりが無かった神社で、本殿前にあった案内板を読むと・・・御祭神は、武甕槌神(たけみかづちのかみ)ということらしいです。

武甕槌神という神様は、神話では天照大神(あまてらすおおみかみ)の命令を受けて、出雲の国に行き、大国主命(おおくにぬしのみこと)の国譲りを見届けて高天原に還り、その様子を報告したという武神ということです。見にくい案内板の由緒だけ書きました。

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ここも足早に来て足早に去っていきました。次回は上記にあった三宮社、衣手社も行っていますので紹介します。《参拝日 2016年(平成28年)8月30日》

【松尾大社 西七条御旅所 本殿】



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