皇城の守護神「松尾の猛霊」と崇敬される松尾大社へ
松尾大社の摂社・末社を巡りましたが本社の松尾大社を全て巡ってないことに気付き、年末に絵馬を撮りにいった際、境内末社を巡ってきました。
太古、松尾山が神奈備山(かんなびやま)として崇敬され、5世紀頃に渡来してきた秦氏が松尾山の神霊を一族の総氏神と定めて、701年(大宝元年)に社殿を建立したことが始まり。平安遷都後は、皇城鎮護の守り神として「賀茂の厳神、松尾の猛霊」と並び称され皇室の篤い崇敬を受け、室町中期以降は、醸造祖神として醸造家から崇敬されています。
四条通りの西の外れ桂川に架かる松尾橋を渡り、そして阪急電車嵐山線を渡った先に松尾大社の大鳥居があります。
向かって右側に“松尾大社”と書かれた巨大な社号標が、そして朱塗りの平成大鳥居が目立ちます。
平成大鳥居をくぐり参道を西に進むこと50㍍先に、「松尾大神」と書かれた扁額が架かる赤鳥居が見えてきます。お正月には、この参道脇には露店が建ち並びます。
赤鳥居の先には1667年(寛文7年)建立の楼門があります。当時の流行は装飾が多い権現造りでしたが、松尾大社は古式にのっとた仕様となっています。
左右に随神を配置した楼門には金網があって、そこには願いごとを記した「祈願杓子」が差し込まれています。(2016年12月31日現在、修復工事中でした)
楼門を入った先には一ノ川が流れてて、春先には3000株もの山吹が綺麗に咲き誇り、圧巻の風景がここで見られます。
楼門を入って右手には手水舎があって、皆さんここで口と手を清められます。年末に訪れた時、気温-1℃・・・寒くて・・・手がかじかむ・・・。
この手水舎だけではりませんが、亀の口から水が出ています。松尾大社では“亀”は“神の使い”と崇められてるんですね。
その手水舎の近くにあったのが「撫で亀」さんです。健康長寿を願って撫でてきました。
楼門の正面には、入母屋造りで檜皮葺の屋根を持つ拝殿があって、正月には井堂雅夫筆の大きな絵馬が1月末まで飾られます。
ここでは祭事の時には、舞踊や奏楽を奉納する舞台にもなります。なお、版画家の井堂雅夫さんは昨年の4月に亡くなられました。松尾大社には12干支の絵馬を奉納されてるとか。干支とが一周するまで松尾大社では井堂雅夫さんの絵馬を見ることができるそうです。
そして1397年(応永4年)造営の本殿ですが、ここからは本殿は見えません(外からは屋根しか見えないです)。中門の前で参拝します。
本殿は松尾造りと呼ばれる両流造り(二つの勾配を両方とも長く延ばす)となっており、特別拝観時には見ることができます。
御祭神は、醸造の神として信仰される大山咋神(おおやまぐいのかみ)と、海上交通を守護する市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の二柱。
境内の南側には、酒樽の山が目立ちますが、建物は神輿庫(みこしこ)といって、文字通り神輿が納められてる倉庫です。その倉庫の全面に酒樽がある訳です。
全国の醸造会社から奉納された酒樽がずらり並んでいます。流石に“醸造の神”と崇められてるだけのことはあります。
次ぎに本殿の南側にある南末社にお参りに行きました。ここに来るのは本殿の特別拝観時以来でしょう。
左から金刀比羅社で御祭神が、大物主神(商売繁盛・交通安全の守護神)。一挙社(いっきょしゃ)で御祭神が、一挙神(古来困難に出会ってもこの神に折れれば一挙に解決でするとか)。衣手社で、御祭神が羽戸山神(農耕及び諸産業の守護神)。衣手社は松尾大社七社の一つです。
次ぎに金刀比羅社から少し離れて祖霊社で、松尾ゆかりの功績者が祀られています。
そして最も南側にあったのが伊勢神宮遥拝所です。ここから南東の方向に伊勢神宮はあるのでしょう。
こちらは本殿前にあった「椋の霊樹」この幹は樹齢800年を数えてましたが、1993年(平成5年)7月の大雨により枯朽したものです。往時を名残霊樹として祀られています。
この古木は「相生の松」といいます。雄雌根を同じくし樹齢350年で天寿を全うした他に類を見ない大木でした。今では恋愛成就、夫婦和合の御利益で信仰されています。
次ぎに北末社向かいますが、その手前にあるのが霊泉「亀の井」です。ここはよくペットボトルで汲みに来られますが、さすがに氷点下の朝・・・誰も居ません。
酒造家からの信仰が篤い霊泉で、松尾山の谷を伝って湧き出る名水です。前途のとおり誰でも汲むことができます。
そして、その先にあったのが北末社で、右が四大神社(しのおおかみのやしろ)で松尾七社の一つ。左が三宮社で、松尾七社の一つです。
御祭神が、四大神社は、春若年神、夏高津日神、秋比売神、冬年神(四季折々の神々で年中平安を護っていただける神様)。三宮社は、玉依姫命(山城地方開拓の功労神で、農業殖産の守護神)。
その先を少しだけ登って行くと末社の滝御前(たきごぜん)があり、誰でもお参りできます。
ご祭神は、罔象女神(みづはのめのかみ)で、伊弉冉尊(いざなみのみこと)黄泉国に行く直前に産んだ女神。背後の滝は酒の醸造に欠かせないシンボルとされ、ここから霊亀の滝や天狗岩を見ることができます。
この日(12月31日)は、早朝に来たのと氷点下の寒い朝でしたので、有料の庭園には入ってません。重森三玲の庭で有名ですが、冬枯れの庭はあまりお勧めできないですね。
有料域で最初の庭は「曲水の庭」です。平安時代の“曲水の宴”を偲んで造られました。御手洗川の清水が七曲がりして、大小の青石が配されています。一目見て、いかにも“三玲の庭”といった感じです。
次に、神像館に入ります。内部は撮影禁止のため写真はありません。国指定の重要文化財の神像3躯が安置され、一木造りの等身大坐像は平安時代初期の作で御祭神を現しているとか。必見です。
神像館を出て、次に見る庭は上古の庭といい、背後の松尾山に鎮座する古代の磐座(いわくら)に因んで山下に造られました
別名“磐座の庭”とも呼ばれています。ここも石が立った特徴ある“三玲の庭”ですね。奥に見てる建物が神像館です。
この神像館の裏手通って前途した“滝御前”の前に出てきますが、夏場・・・紫陽花が咲く頃に「アジサイ苑」が公開されます。その模様もどうぞ。
ここがアジサイ苑の入口です。この年は6月15日~7月10日が公開期間でした。例年・・・蒸し蒸しした暑さです。
アジサイ苑の中には磐座遥拝所がありました。この時は・・・“遥拝所”がどのようなものか知らなかったです。
当時のコメントに「ここから登山できるのでしょう」と書いてますが、ここからは入山できません。あくまで、ここは“遥拝所”でした。
ここの紫陽花は綺麗だし数も多いことは良いんですが、紫陽花と対象となる建物が無いので・・・そこが物足りない・・・そんな感じです。
アジサイ苑を出て、神像館の裏手に出て出口方向に進むと、磐座登拝口がありました。ここから入山するですけど、許可が必要だと書いてありました。
古より神職以外の入山が禁じられてた神聖な場所ですが、現在は一般に公開されるようになりましたが、許可が必要です。
松風苑三庭の中で、最後の一つ「蓬莱の庭」は、赤鳥居の近くにあります。
重森三玲氏が池の形を指示し、その後、長男の完途氏がその意志を継いで完成させた最初で最後の親子合作の庭園です。 蓬莱をはじめてする不老不死への憧憬を主題とされてそうです。
この日は大晦日、大阪では初氷の知らせが・・・私が住む京都市内は氷点下の朝でした。この松尾大社近くの松尾橋に設置してある温度計は0℃でした。写真撮るてもかじかんで・・・車で来たからジャージにダウンを着込んで・・・松尾大社の駐車場に車を止めてました。
“車のお祓い所”がそこにはありました。この時間では見た所・・・2台しか止まってません・・・明日には、大変混雑するのでしょうね。
これで松尾大社の本社・摂社・末社を全て廻れたかと思います。この日は宅配が何件か届く予定なので、足早に帰路に着きました。一日早い・・・初詣・・・と言わないですね・・・明日は天気が良いので、何社か廻ります。
太古、松尾山が神奈備山(かんなびやま)として崇敬され、5世紀頃に渡来してきた秦氏が松尾山の神霊を一族の総氏神と定めて、701年(大宝元年)に社殿を建立したことが始まり。平安遷都後は、皇城鎮護の守り神として「賀茂の厳神、松尾の猛霊」と並び称され皇室の篤い崇敬を受け、室町中期以降は、醸造祖神として醸造家から崇敬されています。
四条通りの西の外れ桂川に架かる松尾橋を渡り、そして阪急電車嵐山線を渡った先に松尾大社の大鳥居があります。
向かって右側に“松尾大社”と書かれた巨大な社号標が、そして朱塗りの平成大鳥居が目立ちます。
平成大鳥居をくぐり参道を西に進むこと50㍍先に、「松尾大神」と書かれた扁額が架かる赤鳥居が見えてきます。お正月には、この参道脇には露店が建ち並びます。
赤鳥居の先には1667年(寛文7年)建立の楼門があります。当時の流行は装飾が多い権現造りでしたが、松尾大社は古式にのっとた仕様となっています。
左右に随神を配置した楼門には金網があって、そこには願いごとを記した「祈願杓子」が差し込まれています。(2016年12月31日現在、修復工事中でした)
楼門を入った先には一ノ川が流れてて、春先には3000株もの山吹が綺麗に咲き誇り、圧巻の風景がここで見られます。
楼門を入って右手には手水舎があって、皆さんここで口と手を清められます。年末に訪れた時、気温-1℃・・・寒くて・・・手がかじかむ・・・。
この手水舎だけではりませんが、亀の口から水が出ています。松尾大社では“亀”は“神の使い”と崇められてるんですね。
その手水舎の近くにあったのが「撫で亀」さんです。健康長寿を願って撫でてきました。
楼門の正面には、入母屋造りで檜皮葺の屋根を持つ拝殿があって、正月には井堂雅夫筆の大きな絵馬が1月末まで飾られます。
ここでは祭事の時には、舞踊や奏楽を奉納する舞台にもなります。なお、版画家の井堂雅夫さんは昨年の4月に亡くなられました。松尾大社には12干支の絵馬を奉納されてるとか。干支とが一周するまで松尾大社では井堂雅夫さんの絵馬を見ることができるそうです。
そして1397年(応永4年)造営の本殿ですが、ここからは本殿は見えません(外からは屋根しか見えないです)。中門の前で参拝します。
本殿は松尾造りと呼ばれる両流造り(二つの勾配を両方とも長く延ばす)となっており、特別拝観時には見ることができます。
御祭神は、醸造の神として信仰される大山咋神(おおやまぐいのかみ)と、海上交通を守護する市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の二柱。
境内の南側には、酒樽の山が目立ちますが、建物は神輿庫(みこしこ)といって、文字通り神輿が納められてる倉庫です。その倉庫の全面に酒樽がある訳です。
全国の醸造会社から奉納された酒樽がずらり並んでいます。流石に“醸造の神”と崇められてるだけのことはあります。
次ぎに本殿の南側にある南末社にお参りに行きました。ここに来るのは本殿の特別拝観時以来でしょう。
左から金刀比羅社で御祭神が、大物主神(商売繁盛・交通安全の守護神)。一挙社(いっきょしゃ)で御祭神が、一挙神(古来困難に出会ってもこの神に折れれば一挙に解決でするとか)。衣手社で、御祭神が羽戸山神(農耕及び諸産業の守護神)。衣手社は松尾大社七社の一つです。
次ぎに金刀比羅社から少し離れて祖霊社で、松尾ゆかりの功績者が祀られています。
そして最も南側にあったのが伊勢神宮遥拝所です。ここから南東の方向に伊勢神宮はあるのでしょう。
こちらは本殿前にあった「椋の霊樹」この幹は樹齢800年を数えてましたが、1993年(平成5年)7月の大雨により枯朽したものです。往時を名残霊樹として祀られています。
この古木は「相生の松」といいます。雄雌根を同じくし樹齢350年で天寿を全うした他に類を見ない大木でした。今では恋愛成就、夫婦和合の御利益で信仰されています。
次ぎに北末社向かいますが、その手前にあるのが霊泉「亀の井」です。ここはよくペットボトルで汲みに来られますが、さすがに氷点下の朝・・・誰も居ません。
酒造家からの信仰が篤い霊泉で、松尾山の谷を伝って湧き出る名水です。前途のとおり誰でも汲むことができます。
そして、その先にあったのが北末社で、右が四大神社(しのおおかみのやしろ)で松尾七社の一つ。左が三宮社で、松尾七社の一つです。
御祭神が、四大神社は、春若年神、夏高津日神、秋比売神、冬年神(四季折々の神々で年中平安を護っていただける神様)。三宮社は、玉依姫命(山城地方開拓の功労神で、農業殖産の守護神)。
その先を少しだけ登って行くと末社の滝御前(たきごぜん)があり、誰でもお参りできます。
ご祭神は、罔象女神(みづはのめのかみ)で、伊弉冉尊(いざなみのみこと)黄泉国に行く直前に産んだ女神。背後の滝は酒の醸造に欠かせないシンボルとされ、ここから霊亀の滝や天狗岩を見ることができます。
この日(12月31日)は、早朝に来たのと氷点下の寒い朝でしたので、有料の庭園には入ってません。重森三玲の庭で有名ですが、冬枯れの庭はあまりお勧めできないですね。
有料域で最初の庭は「曲水の庭」です。平安時代の“曲水の宴”を偲んで造られました。御手洗川の清水が七曲がりして、大小の青石が配されています。一目見て、いかにも“三玲の庭”といった感じです。
次に、神像館に入ります。内部は撮影禁止のため写真はありません。国指定の重要文化財の神像3躯が安置され、一木造りの等身大坐像は平安時代初期の作で御祭神を現しているとか。必見です。
神像館を出て、次に見る庭は上古の庭といい、背後の松尾山に鎮座する古代の磐座(いわくら)に因んで山下に造られました
別名“磐座の庭”とも呼ばれています。ここも石が立った特徴ある“三玲の庭”ですね。奥に見てる建物が神像館です。
この神像館の裏手通って前途した“滝御前”の前に出てきますが、夏場・・・紫陽花が咲く頃に「アジサイ苑」が公開されます。その模様もどうぞ。
ここがアジサイ苑の入口です。この年は6月15日~7月10日が公開期間でした。例年・・・蒸し蒸しした暑さです。
アジサイ苑の中には磐座遥拝所がありました。この時は・・・“遥拝所”がどのようなものか知らなかったです。
当時のコメントに「ここから登山できるのでしょう」と書いてますが、ここからは入山できません。あくまで、ここは“遥拝所”でした。
ここの紫陽花は綺麗だし数も多いことは良いんですが、紫陽花と対象となる建物が無いので・・・そこが物足りない・・・そんな感じです。
アジサイ苑を出て、神像館の裏手に出て出口方向に進むと、磐座登拝口がありました。ここから入山するですけど、許可が必要だと書いてありました。
古より神職以外の入山が禁じられてた神聖な場所ですが、現在は一般に公開されるようになりましたが、許可が必要です。
松風苑三庭の中で、最後の一つ「蓬莱の庭」は、赤鳥居の近くにあります。
重森三玲氏が池の形を指示し、その後、長男の完途氏がその意志を継いで完成させた最初で最後の親子合作の庭園です。 蓬莱をはじめてする不老不死への憧憬を主題とされてそうです。
この日は大晦日、大阪では初氷の知らせが・・・私が住む京都市内は氷点下の朝でした。この松尾大社近くの松尾橋に設置してある温度計は0℃でした。写真撮るてもかじかんで・・・車で来たからジャージにダウンを着込んで・・・松尾大社の駐車場に車を止めてました。
“車のお祓い所”がそこにはありました。この時間では見た所・・・2台しか止まってません・・・明日には、大変混雑するのでしょうね。
これで松尾大社の本社・摂社・末社を全て廻れたかと思います。この日は宅配が何件か届く予定なので、足早に帰路に着きました。一日早い・・・初詣・・・と言わないですね・・・明日は天気が良いので、何社か廻ります。