女人守護・市場守護の市比賣神社へ
2017年1月2日に、“京都十六社朱印巡り”で訪れた市比賣神社は朝早い時間にもかかわらず、多くの参拝者で賑わっていました。
ここは女性の神様が祀られているのため「女性厄除祈祷所」があり、多くの人が待合で待っておられるため境内を散策できませんでした。
それで、1月28日(土)に再訪しようとJR「京都駅」から歩いて向かうことにしました。「京都駅」の七条口を出て、烏丸通りを七条通りの交差点まで行きます。そこを東に向いて河原町通りまで歩きます。河原町通りから今度は北に上がると、暫くは東本願寺の飛び地にある“渉成園”の築地塀を左手に見ながら歩くこと約18分、ようやく門前に着きました。
ここには8時前に着きました。開門は7時と確認してきましたが、寒い時期に、こんなに早くは来られません
。ただ見た所狭い境内には、誰も居ません・・・狙い通りです
。
入口は、大きな表門と大鳥居を足したような造りになっており見上げると「市比賣神社」の額が架かっています。
今日は朱印をいただく予定はしてませんでしたが、社務所及び祈祷受付所はシャッターが降りてて閉まっていました。参拝は7時間から可能ですが、祈祷される方は9時に来られるのが良いでしょう。
入口をくぐると石造りの鳥居があって、ここには「市比賣神社」の扁額が架かっています。その両側には床机があつて、いつも祈祷待ちの人が座ってて・・・それで写真が撮れなかったんです。
その鳥居の手前に手水鉢があって「手水の作法」が書いてあります。祈祷待ちの人は、ここで神職さんの指導で“手と口”を清められてました。
昨年と今年2回来てましたが、この「案内板」にある“カード塚”に気がつかなかったんです。これを今日は探しにきました。
それはさておき、先ずは本殿前で参拝です。しかし、誰も居ない境内で・・・朝も早いし、遠慮して鈴は鳴らせません。そう言えば、この本殿・・・北向きに建っていますね・・・珍しいです。
御祭神は、神大市比賣命(かむおおいちひめのみこと)、市寸島比賣命(いつきしまひめのみこと)、多岐都比賣命(たぎつひめのみこと).、多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)、下照比賣命(したてるひめのみこと)の五柱で全て女性の神様です。北向きの理由は、御所の方向に向けられてるとか、かつて皇室の守護だった名残かも知れません。
平安時代のより市場の守り神である市比賣社は、「誓約(うけひ)の神(物事の流れを良くする神様)」として多くの人々で賑わってきました。795年(延暦14年)に京都の左右両市場の守護神として左大臣・藤原冬嗣が現在の西本願寺のあたりに創建したのが始まりで、1591年゜(天正19年)豊臣秀吉の時代に当地に移転鎮座されました。1927年(昭和2年)京都に日本初の“中央卸売市場”が開設された折、分社として「市姫神社」が祀られ、今現在も市場敷地中央にご鎮座されています。
参拝のあとは、探し続けていたカード塚です。案内板を見れば直ぐに分かったものですけど・・・
。
場所は入口を入って、鳥居をくぐり左手にある祈祷所の手前にあります。ここの出入りに人が多かったので気がつかなかった・・・と言うことです
。
不要になった使い切ったカードを「天之真名井」の井戸水でお祓い清め、供養されます。洗浄して新しいカードに期待を込め、将来の幸福に向かって歩んでいく意味もあるとか。
カード塚の位置がわかったのでスッキリしました
。先に名前が出てしまいましたが、「天之真名井」がある奥へと進みます。
「稲荷神社」と書かれて扁額のある石鳥居をくぐります。この先には毎年来ててもそんなに混雑はしてません。
その鳥居の足元左手には手水鉢もあります。背の高い手水鉢のため使いにくいですよね。
そして鳥居をくぐって右手にあるのが「天之真名井」と呼ばれる古井戸で苔生した姿が印象的です。
天之真名井(あめりまない)と称される古井戸で、この水を汲みに来られるとか・・・私は見てませんが・・・。
古来皇室において皇子・皇女誕生の折に、この井戸水を“産湯”として用いられたそうです。洛陽の七名水に数えられ願い事が一つ叶う井戸水として多くの人々に親しまれてるそうです。
最後に境内社を巡ります。鳥居の扁額にあったように、摂社「植松稲荷社」が鳥居を入って左手に祀られていました。
稲荷神社でお馴染みの狛狐が社殿の両側に鎮座。狐は何か咥えて・・・見た所・・・巻物のようですが・・・。
そして右隣が・・・何も書いてないので調べると・・・衆霊殿でした。大国主命、花山天皇、恵毘須大黒、護国英霊、社家祖霊、崇敬者祖霊、蛭子大霊が祀られているとか。
「五十日百日之祝儀(いかももかのいわいしゅくぎ)」は平安時代より皇室・公家、庶民に至るまで、生後50日目・100日目に、当社神社に赴き御神水「天真名井(あめのまない)」に突き造られた「五十日之餅・百日之餅(いかのもち・ももかのもち)」を授かり、子供の口に含ませ健やかな成長を願う現在の“お食べ初め”の発祥として知られています。
“お食べ初め”の発祥がここだとは知らなかったですね。由緒書きに書いてあり知ることになりました。これは『源氏物語』など多くの古典文学にも描かれ、歴史にその名を残してるそうです。
最後に「京都十六社朱印巡り」の朱印所ですが、昨年と今年、場所が違ってました。
上の写真が昨年で、社務所の左横にありました。そして今年は、河原町通り沿いにありました。ひっとして毎年変わるのもかも。
これで市比賣神社をコンプリートできました。この日にの滞在時間は4分程度で出て行きました。行って出るまで誰も来られません。このあと五条通りに出て西に進み、烏丸通りの北東角にある「マクドナルド 烏丸五条店」で遅し朝食を食べて、8時50分近くになるまで待ちました。そのため食べてからこれまでにないくらゆっくりしました
。そのマクドを8時47分に店を出て次へと向かいました。
【市比賣神社 「京都十六社朱印巡り」朱印所】

ここは女性の神様が祀られているのため「女性厄除祈祷所」があり、多くの人が待合で待っておられるため境内を散策できませんでした。
それで、1月28日(土)に再訪しようとJR「京都駅」から歩いて向かうことにしました。「京都駅」の七条口を出て、烏丸通りを七条通りの交差点まで行きます。そこを東に向いて河原町通りまで歩きます。河原町通りから今度は北に上がると、暫くは東本願寺の飛び地にある“渉成園”の築地塀を左手に見ながら歩くこと約18分、ようやく門前に着きました。
ここには8時前に着きました。開門は7時と確認してきましたが、寒い時期に、こんなに早くは来られません


入口は、大きな表門と大鳥居を足したような造りになっており見上げると「市比賣神社」の額が架かっています。
今日は朱印をいただく予定はしてませんでしたが、社務所及び祈祷受付所はシャッターが降りてて閉まっていました。参拝は7時間から可能ですが、祈祷される方は9時に来られるのが良いでしょう。
入口をくぐると石造りの鳥居があって、ここには「市比賣神社」の扁額が架かっています。その両側には床机があつて、いつも祈祷待ちの人が座ってて・・・それで写真が撮れなかったんです。
その鳥居の手前に手水鉢があって「手水の作法」が書いてあります。祈祷待ちの人は、ここで神職さんの指導で“手と口”を清められてました。
昨年と今年2回来てましたが、この「案内板」にある“カード塚”に気がつかなかったんです。これを今日は探しにきました。
それはさておき、先ずは本殿前で参拝です。しかし、誰も居ない境内で・・・朝も早いし、遠慮して鈴は鳴らせません。そう言えば、この本殿・・・北向きに建っていますね・・・珍しいです。
御祭神は、神大市比賣命(かむおおいちひめのみこと)、市寸島比賣命(いつきしまひめのみこと)、多岐都比賣命(たぎつひめのみこと).、多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)、下照比賣命(したてるひめのみこと)の五柱で全て女性の神様です。北向きの理由は、御所の方向に向けられてるとか、かつて皇室の守護だった名残かも知れません。
平安時代のより市場の守り神である市比賣社は、「誓約(うけひ)の神(物事の流れを良くする神様)」として多くの人々で賑わってきました。795年(延暦14年)に京都の左右両市場の守護神として左大臣・藤原冬嗣が現在の西本願寺のあたりに創建したのが始まりで、1591年゜(天正19年)豊臣秀吉の時代に当地に移転鎮座されました。1927年(昭和2年)京都に日本初の“中央卸売市場”が開設された折、分社として「市姫神社」が祀られ、今現在も市場敷地中央にご鎮座されています。
参拝のあとは、探し続けていたカード塚です。案内板を見れば直ぐに分かったものですけど・・・

場所は入口を入って、鳥居をくぐり左手にある祈祷所の手前にあります。ここの出入りに人が多かったので気がつかなかった・・・と言うことです

不要になった使い切ったカードを「天之真名井」の井戸水でお祓い清め、供養されます。洗浄して新しいカードに期待を込め、将来の幸福に向かって歩んでいく意味もあるとか。
カード塚の位置がわかったのでスッキリしました

「稲荷神社」と書かれて扁額のある石鳥居をくぐります。この先には毎年来ててもそんなに混雑はしてません。
その鳥居の足元左手には手水鉢もあります。背の高い手水鉢のため使いにくいですよね。
そして鳥居をくぐって右手にあるのが「天之真名井」と呼ばれる古井戸で苔生した姿が印象的です。
天之真名井(あめりまない)と称される古井戸で、この水を汲みに来られるとか・・・私は見てませんが・・・。
古来皇室において皇子・皇女誕生の折に、この井戸水を“産湯”として用いられたそうです。洛陽の七名水に数えられ願い事が一つ叶う井戸水として多くの人々に親しまれてるそうです。
最後に境内社を巡ります。鳥居の扁額にあったように、摂社「植松稲荷社」が鳥居を入って左手に祀られていました。
稲荷神社でお馴染みの狛狐が社殿の両側に鎮座。狐は何か咥えて・・・見た所・・・巻物のようですが・・・。
そして右隣が・・・何も書いてないので調べると・・・衆霊殿でした。大国主命、花山天皇、恵毘須大黒、護国英霊、社家祖霊、崇敬者祖霊、蛭子大霊が祀られているとか。
「五十日百日之祝儀(いかももかのいわいしゅくぎ)」は平安時代より皇室・公家、庶民に至るまで、生後50日目・100日目に、当社神社に赴き御神水「天真名井(あめのまない)」に突き造られた「五十日之餅・百日之餅(いかのもち・ももかのもち)」を授かり、子供の口に含ませ健やかな成長を願う現在の“お食べ初め”の発祥として知られています。
“お食べ初め”の発祥がここだとは知らなかったですね。由緒書きに書いてあり知ることになりました。これは『源氏物語』など多くの古典文学にも描かれ、歴史にその名を残してるそうです。
最後に「京都十六社朱印巡り」の朱印所ですが、昨年と今年、場所が違ってました。
上の写真が昨年で、社務所の左横にありました。そして今年は、河原町通り沿いにありました。ひっとして毎年変わるのもかも。
これで市比賣神社をコンプリートできました。この日にの滞在時間は4分程度で出て行きました。行って出るまで誰も来られません。このあと五条通りに出て西に進み、烏丸通りの北東角にある「マクドナルド 烏丸五条店」で遅し朝食を食べて、8時50分近くになるまで待ちました。そのため食べてからこれまでにないくらゆっくりしました

【市比賣神社 「京都十六社朱印巡り」朱印所】