菅原道真生誕の地 菅大臣神社へ
繁昌神社を出て高辻通りを西に進むこと2分で菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)の南鳥居前にやって来ました。
この神社に入るには、この南鳥居は高辻通りに面していますが、他には、仏光寺通りに面した北鳥居と西洞院通りに面している西鳥居があります。
真新しい(そう見えました)石鳥居をくぐると、今度は古そうな石鳥居をくぐります。ここには初めて来たので要領が分かりませんが、とりあえず細長い参道を進むことに。
商業ビルに囲まれた一角に、このようにひっそりとした神社があるなんて・・・高辻通りから来ると想像も出来ないです。先ずは本殿を目指して進むと・・・。
ここは菅原道真の紅梅殿・白梅殿という邸宅や“菅家廊下”と称する学問所跡で、境内には菅原道真誕生にの産湯の井戸が残っています。また、菅原道真が太宰府へ左遷されるに当たり、当地より「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」と詠まれた飛梅の地でもあります。
着くとお二人ほど参拝されてました。受験シーズンだし朝が早かったけど数名程度来られてると思ってましたが、受験生の姿は無し
。
先に手水舎に行きましたが、それより境内は駐車場でした
。商業地ですが住宅もあるので仕方ないかも知れませんね。
高辻通りから境内に入ったので、左手に手水舎がありました。そして右手には本殿、その手前に石鳥居があって西を向いています。
本殿前の石鳥居には「天満宮」と書かれた扁額が架かっており、その手前に狛犬が鎮座。天満宮らしく梅の木が植わっていますが、この時はまだ咲いてません。(多分アップした頃は満開かも
)
この本殿は、1863年(文久3年)下鴨神社の式年遷宮時の旧社殿を1869年(明治2年)に移築したもので、幤殿とあわせて八棟(やつむね)造りとなっています。
御祭神は、菅原道真、尼神(あまがみ)、大己貴命(おおなむちのみこと)。御利益は、学業成就、合格祈願です。幤殿の奥、本殿の手前にお馴染みの随神が見えています。
前途した参拝者のお二人が帰られると、私がここを出るまでどなたも入って来られません。ここは朱印があるのを確認しているので後程社務所に行きます。先ずは本殿向かって左側の末社から。
左から、老松社(おいまつしゃ)で御祭神が島田忠興翁で、次ぎに火御子社(ひのみこしゃ)で御祭神が、火雷神です。
そして次ぎに対面に移動して、本殿の右側にある末社をお参りです。北野天満宮の三光門前にある摂社の位置と似ていました。
左から白太夫社(しろだゆうしゃ)で御祭神が、渡会晴彦翁で、次ぎに福部社(ふくべしゃ)で御祭神が、十川能福です。
本殿前から西を向いています。帰りは西の鳥居から出て西洞院通りに出る予定です。その右手には道真公ゆかりの“飛梅”がありました。
鳥居の左右には、これも天満宮ではお馴染みの神牛がありましたが、こちらは撫でることはできないようです。
本殿前には“京洛八社朱印めぐり”の案内が出てました。私は“八社・・・”はやりませんが、My朱印帳に朱印をいただきたく社務所ではなく、事務所にむかいました。
境内の駐車場横にあるプレハブ・・・呼鈴無し。「ほんまに、ここかいなぁ」と思いながら、ドアを開けると中から人が出てこられ、朱印をお願いしました。“由緒書き”もお願いすると・・・探す探す・・・相当待ちました
。でも一部でも見つかって・・・いただきました
。
事務所から、そのまま北に上がり仏光寺通りに出ました。そこで北鳥居を撮影。ご覧のように境内は駐車場です
。
「天満宮降誕之地」と書かれた石標があります。それにしても道真公生誕の地・・・京都では吉祥院天満宮、菅原院天満宮神社がありますが・・・どれが本当・・・かなぁ
。
再び本殿前まで戻って、今度は西側を見ます。そこには末社の三玉稲荷社と春崎稲荷社があり、手水舎の横にありました。
上の写真が、東側の鳥居で、下の写真が南側の鳥居です。社殿が東向きのため正面は、上の写真の方でしょうね。
小さくても社殿は、銅板葺一間社流造りと立派なものです。詳細は由緒書きにも書いてなかったので分かりません。
それより、社殿に近づくと野良猫が居ました。写真を撮ろうと近づくと逃げられてしまいましたが、帰りによると日向ぼっこをしてました。可愛いね。
帰りは西洞院通りに出る必要があるので、西鳥居から出ます。正面が本殿の鳥居、右に見えているのが社務所です。この時は不在でした。お留守番の方が事務所で朱印・・・受付されてました。
鳥居前の石碑は字が読めません
。西洞院通りに面している鳥居の横には「天満宮降誕之地」と書かれた石標が、ここにもありました。
菅大臣神社には、9時4分に南鳥居から入って、西鳥居を9時17分に出て行きました。さほど広くない境内で10分以上居たのは、事務所で時間を費やしたためです
。
由緒にもあったように、ここは白梅殿の跡に建つ神社で、紅梅殿の跡に建つ神社は、後日訪問したいと思います。何故行かなかったのは・・・この日は存在すら知らなかったからです。
【菅大臣神社 本殿】

この神社に入るには、この南鳥居は高辻通りに面していますが、他には、仏光寺通りに面した北鳥居と西洞院通りに面している西鳥居があります。
真新しい(そう見えました)石鳥居をくぐると、今度は古そうな石鳥居をくぐります。ここには初めて来たので要領が分かりませんが、とりあえず細長い参道を進むことに。
商業ビルに囲まれた一角に、このようにひっそりとした神社があるなんて・・・高辻通りから来ると想像も出来ないです。先ずは本殿を目指して進むと・・・。
ここは菅原道真の紅梅殿・白梅殿という邸宅や“菅家廊下”と称する学問所跡で、境内には菅原道真誕生にの産湯の井戸が残っています。また、菅原道真が太宰府へ左遷されるに当たり、当地より「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」と詠まれた飛梅の地でもあります。
着くとお二人ほど参拝されてました。受験シーズンだし朝が早かったけど数名程度来られてると思ってましたが、受験生の姿は無し

先に手水舎に行きましたが、それより境内は駐車場でした

高辻通りから境内に入ったので、左手に手水舎がありました。そして右手には本殿、その手前に石鳥居があって西を向いています。
本殿前の石鳥居には「天満宮」と書かれた扁額が架かっており、その手前に狛犬が鎮座。天満宮らしく梅の木が植わっていますが、この時はまだ咲いてません。(多分アップした頃は満開かも

この本殿は、1863年(文久3年)下鴨神社の式年遷宮時の旧社殿を1869年(明治2年)に移築したもので、幤殿とあわせて八棟(やつむね)造りとなっています。
御祭神は、菅原道真、尼神(あまがみ)、大己貴命(おおなむちのみこと)。御利益は、学業成就、合格祈願です。幤殿の奥、本殿の手前にお馴染みの随神が見えています。
前途した参拝者のお二人が帰られると、私がここを出るまでどなたも入って来られません。ここは朱印があるのを確認しているので後程社務所に行きます。先ずは本殿向かって左側の末社から。
左から、老松社(おいまつしゃ)で御祭神が島田忠興翁で、次ぎに火御子社(ひのみこしゃ)で御祭神が、火雷神です。
そして次ぎに対面に移動して、本殿の右側にある末社をお参りです。北野天満宮の三光門前にある摂社の位置と似ていました。
左から白太夫社(しろだゆうしゃ)で御祭神が、渡会晴彦翁で、次ぎに福部社(ふくべしゃ)で御祭神が、十川能福です。
本殿前から西を向いています。帰りは西の鳥居から出て西洞院通りに出る予定です。その右手には道真公ゆかりの“飛梅”がありました。
鳥居の左右には、これも天満宮ではお馴染みの神牛がありましたが、こちらは撫でることはできないようです。
本殿前には“京洛八社朱印めぐり”の案内が出てました。私は“八社・・・”はやりませんが、My朱印帳に朱印をいただきたく社務所ではなく、事務所にむかいました。
境内の駐車場横にあるプレハブ・・・呼鈴無し。「ほんまに、ここかいなぁ」と思いながら、ドアを開けると中から人が出てこられ、朱印をお願いしました。“由緒書き”もお願いすると・・・探す探す・・・相当待ちました


事務所から、そのまま北に上がり仏光寺通りに出ました。そこで北鳥居を撮影。ご覧のように境内は駐車場です

「天満宮降誕之地」と書かれた石標があります。それにしても道真公生誕の地・・・京都では吉祥院天満宮、菅原院天満宮神社がありますが・・・どれが本当・・・かなぁ

再び本殿前まで戻って、今度は西側を見ます。そこには末社の三玉稲荷社と春崎稲荷社があり、手水舎の横にありました。
上の写真が、東側の鳥居で、下の写真が南側の鳥居です。社殿が東向きのため正面は、上の写真の方でしょうね。
小さくても社殿は、銅板葺一間社流造りと立派なものです。詳細は由緒書きにも書いてなかったので分かりません。
それより、社殿に近づくと野良猫が居ました。写真を撮ろうと近づくと逃げられてしまいましたが、帰りによると日向ぼっこをしてました。可愛いね。
帰りは西洞院通りに出る必要があるので、西鳥居から出ます。正面が本殿の鳥居、右に見えているのが社務所です。この時は不在でした。お留守番の方が事務所で朱印・・・受付されてました。
鳥居前の石碑は字が読めません

菅大臣神社には、9時4分に南鳥居から入って、西鳥居を9時17分に出て行きました。さほど広くない境内で10分以上居たのは、事務所で時間を費やしたためです

由緒にもあったように、ここは白梅殿の跡に建つ神社で、紅梅殿の跡に建つ神社は、後日訪問したいと思います。何故行かなかったのは・・・この日は存在すら知らなかったからです。
【菅大臣神社 本殿】