お食事処・甘味処 西尾 八ッ橋の里へ
京阪電車に乗ってやって来たのは「神宮丸太町駅」です。「三条駅」で特急に追い抜かれるので、随分待たされました。そこから歩いて約10分ぐらいで「お食事処・甘味処 西尾八ッ橋の里」に着きました。
前から行ってみようと思っていたお店で、お昼はここと決めてました。(予約はしてませんが、次ぎに行く寺院が近いので迷わず決めました)
ここには西側の門から入りました。本音は11時過ぎに入りたかったかんですけど、11時30分近くになっていました。
妙法院で曇り空に変わってきましたが、ここに着く頃にはポツポツ雨が降り出す始末。降水確率10%が・・・怪しくなってきました。
門の前にお店の方が立っていて、入っていくと玄関まで案内してくれました。門を入って左手に玄関、真っ直ぐに行くと庭園がありますが、それは帰りの楽しみです。
玄関で靴を脱いで上がりましたが、部屋の案内まで暫く待ちました。ここは開店が11時00分で、着いたのが11時30分・・・既に多くの人が入ってました。
この日は3月10日でしたが上がると雛飾りがありました。思わず待ってる間に撮りました。そしたら・・・やっと呼ばれ中に入りました。
数寄屋風書院造りの部屋に通されましたが、庭の見える席は「予約席」で埋まってました。ですから庭の写真はトイレに立った時、撮りました。
ここは、1919年(大正8年)に東洋レーヨンなどの要職を歴任された河原林樫一郎氏の邸宅でした。もうすぐ100年になる日本建築を改築されたものです。
河原林樫一郎氏は、前途のとおり財界人であり、京都法政学校(立命館大学の前身)設立に尽力された学識者でもありました。後に、東芝産業の保養所として利用されておりましたものを本家西尾八ッ橋が購入し、2013年(平成25年)に“お食事処・甘味処”としてオープンしました。
先程、「本家八ッ橋 八坂店」で、少しばかりのお菓子を食べてたので、そんなにお腹は空いてませんでした。そして注文したのは、“にしんそば”と“鴨なんばそば”共に1000円です。
少し冷えた体に暖かい蕎麦は大変、美味しかったです。それに沢山入っていた“九条葱”(違うかも)も美味しかったです。
ここでは食事のあと、すべてに“本家西尾八ッ橋”らしく、“八つ橋”のお菓子が付いてきます。パリパリと口の中にニッキの味が・・・食事のあとホッコリしました。
食事のあとは庭園の見学を楽しみにしていました。ただ誰も庭園に入って来られません。何故かなぁ・・・と思いながら玄関まで来ると、そこの洋室に「八ッ橋資料室」があったので見学していきました。
一番上の写真は、“資料室”の隣でしたので和室です。資料室の展示物をざっと見てから外に出ました。
入って時に、案内していただいたお店の方に「今日は庭園を見られないのですか」と尋ねました・・・と言うのも庭園の入口に柵があったからです。
お店の方は「とうぞ、とうぞ」と言って、柵を開けてくれました。この日は工事関係者が出入りしてたので柵をしていたそうです。
ここの前に柵がありましたが、除けてくれたので中に入ります。まだ桜も、そして有名な杜若も咲いてませんが、冬枯れの庭を確認したかったのが本音です。
門をくぐると、もう一つ門があって、そこが庭園の入口のようでした。そして直ぐに「茶室」がありましたが、閉まってて中を窺い知ることはできません。
皆さん庭を見ながら食事をされているので、凄く気恥ずかしい思いをしながら庭園を一周しました・・・足早に・・・です。
庭を散策してて見つけた“ふきのとう”です。私は知りませんだしたが、こうなると食用にはならないみたいですね。
帰りは南門から出ました。ここには約30分居ましたが、お蕎麦だけで30分は長いかも知れません。値段も手頃だし、ここにはまた来たいです。
ここを出て東に行けば、金戒光明寺があって「京の冬の旅」で公開寺院が二箇所あって次ぎに向かう予定にしてましたが、西隣の本店に寄って行くことにしました。
【西尾 八ッ橋の里】
前から行ってみようと思っていたお店で、お昼はここと決めてました。(予約はしてませんが、次ぎに行く寺院が近いので迷わず決めました)
ここには西側の門から入りました。本音は11時過ぎに入りたかったかんですけど、11時30分近くになっていました。
妙法院で曇り空に変わってきましたが、ここに着く頃にはポツポツ雨が降り出す始末。降水確率10%が・・・怪しくなってきました。
門の前にお店の方が立っていて、入っていくと玄関まで案内してくれました。門を入って左手に玄関、真っ直ぐに行くと庭園がありますが、それは帰りの楽しみです。
玄関で靴を脱いで上がりましたが、部屋の案内まで暫く待ちました。ここは開店が11時00分で、着いたのが11時30分・・・既に多くの人が入ってました。
この日は3月10日でしたが上がると雛飾りがありました。思わず待ってる間に撮りました。そしたら・・・やっと呼ばれ中に入りました。
数寄屋風書院造りの部屋に通されましたが、庭の見える席は「予約席」で埋まってました。ですから庭の写真はトイレに立った時、撮りました。
ここは、1919年(大正8年)に東洋レーヨンなどの要職を歴任された河原林樫一郎氏の邸宅でした。もうすぐ100年になる日本建築を改築されたものです。
河原林樫一郎氏は、前途のとおり財界人であり、京都法政学校(立命館大学の前身)設立に尽力された学識者でもありました。後に、東芝産業の保養所として利用されておりましたものを本家西尾八ッ橋が購入し、2013年(平成25年)に“お食事処・甘味処”としてオープンしました。
先程、「本家八ッ橋 八坂店」で、少しばかりのお菓子を食べてたので、そんなにお腹は空いてませんでした。そして注文したのは、“にしんそば”と“鴨なんばそば”共に1000円です。
少し冷えた体に暖かい蕎麦は大変、美味しかったです。それに沢山入っていた“九条葱”(違うかも)も美味しかったです。
ここでは食事のあと、すべてに“本家西尾八ッ橋”らしく、“八つ橋”のお菓子が付いてきます。パリパリと口の中にニッキの味が・・・食事のあとホッコリしました。
食事のあとは庭園の見学を楽しみにしていました。ただ誰も庭園に入って来られません。何故かなぁ・・・と思いながら玄関まで来ると、そこの洋室に「八ッ橋資料室」があったので見学していきました。
一番上の写真は、“資料室”の隣でしたので和室です。資料室の展示物をざっと見てから外に出ました。
入って時に、案内していただいたお店の方に「今日は庭園を見られないのですか」と尋ねました・・・と言うのも庭園の入口に柵があったからです。
お店の方は「とうぞ、とうぞ」と言って、柵を開けてくれました。この日は工事関係者が出入りしてたので柵をしていたそうです。
ここの前に柵がありましたが、除けてくれたので中に入ります。まだ桜も、そして有名な杜若も咲いてませんが、冬枯れの庭を確認したかったのが本音です。
門をくぐると、もう一つ門があって、そこが庭園の入口のようでした。そして直ぐに「茶室」がありましたが、閉まってて中を窺い知ることはできません。
皆さん庭を見ながら食事をされているので、凄く気恥ずかしい思いをしながら庭園を一周しました・・・足早に・・・です。
庭を散策してて見つけた“ふきのとう”です。私は知りませんだしたが、こうなると食用にはならないみたいですね。
帰りは南門から出ました。ここには約30分居ましたが、お蕎麦だけで30分は長いかも知れません。値段も手頃だし、ここにはまた来たいです。
ここを出て東に行けば、金戒光明寺があって「京の冬の旅」で公開寺院が二箇所あって次ぎに向かう予定にしてましたが、西隣の本店に寄って行くことにしました。
【西尾 八ッ橋の里】