鎌倉時代の内大臣・中山忠親の邸宅跡に建てられた中山神社へ

壬生寺を出て、八木邸が経営している「京都鶴屋鶴壽庵」で和菓子を買って、四条大宮の100円ショップ“DAISO”で買い物。そのまま四条通りを東に進み岩上通りを今度は、北に上がり暫くすると、左手に中山神社が見えて来ます。

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岩上通り沿いに中山神社の鳥居はあります。初めてきたので、四条通りを北に上がると左手ばかり見ていました

後で述べますが、ここには社務所はありましたが不在でした・・・よって朱印も由緒書きもなかったので、門前にあった駒札を読みました。それによると・・・。

794年(延暦13年)に桓武天皇の勅命により建立。素戔嗚尊(すさのおのみこと)を主神として、朝夕、内裏の門を守護するという櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、豊石窓神(とよいわまどのかみ)の二神を合祀する社で、石神(いわがみ・岩上)神社ともいわれました。嵯峨天皇の後院(退位後の御所)冷泉院の鎮守社として崇められた伝えられましたが、1602年(慶長7年)二条城造営により現在地に移転しました。1788年(天明8年)の火災により焼失し、現在の社はその後再建されたと言われています。この地が鎌倉時代の内大臣・中山忠親(なかやまただちか)の邸宅跡に当たることから中山神社と呼ばれるようになりました。

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鳥居をくぐると左手には手水盤がありましたが、溜まり水のようで・・・とても使えるものではありません。

このあまりと言うか殆ど知られてない神社に来たのは理由があって、昨年の10月に西陣にある岩上神社を訪れたのが、きっかけです。

岩上神社に祀られている霊石。元はこの中山神社に祀られていたことを知ったからです。それなら四条大宮に来たときにでも寄って行こうと思い・・・この日になったんです。

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御祭神は、前途のとおり素戔嗚尊(すさのおのみこと)、櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、豊石窓神(とよいわまどのかみ)が祀られています。

鳥居には「岩上宮」の扁額が、本殿前に「岩上大明神」の扁額が架かっており、かつて岩上神社と呼ばれていた名残でしょう。上京区西陣の岩上神社に来て無かったら存在すら知らなかった神社でしたが、次ぎに左隣に移動です。

赤い鳥居が並んでて、多分稲荷社だろうと思ってたら・・・その通りでした。社殿の前には小さいながらも狛狐も鎮座してました。

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末社の清久稲荷神社(きよひさいなりじんじゃ)です。清久稲荷大神が多分ですが、祀られていかと思います。(由緒が書いてないので推定ですが・・・)

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さらに奥に進むと、“大日尊”と書かれた石標があって、ここだけ仏教・・・。お地蔵さんでも祀られているのか、お花も供えられてます。

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最後に、社務所に寄りました。ダメ元で呼鈴押しましたが・・・当然ながら・・・反応なし・・・朱印や由緒書きは無さそうです。

ここでウィキペディアで、中山 忠親(なかやま ただちか)を調べて見ました。鎌倉時代の内大臣と言っても知らないので・・・。

1131年(天承元年)~1195年(建久6年)は平安時代の公卿。藤原北家師実流(花山院流)・藤原忠宗の三男。官位は正二位・内大臣。中山内大臣・堀河内大臣と号した。

ここには11時16分に着いて11時19分に出て行きました。滞在3分・・・これでもゆっくりしたほうです。ここから三条通り商店街を通って、JR二条駅まで歩き駅前の菓匠 千鳥屋宗家 JR二条店で名物“千鳥饅頭”を買って、JR二条駅発の快速電車に乗り帰路に着きました。

今日はJR京都駅を歩いて出発し市比賣神社、新玉津嶋神社、繁盛の宮、菅大臣神社、五條天神社、壬生寺、中山神社からJR二条駅まで歩いて回りました。最近駅構内でも社内でもエスカレーターやエレベーターを利用せず歩いているので、頑張って歩けました。術後衰えた足も充分回復し、術前より体力は強くなりつつあるのかも知れません。

【中山神社】



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