第51回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 西福寺へ

久昌院を出て建仁寺の境内を南口から八坂通りに出ます。そこから松原通に向かって歩くこと5分で、次の目的地である第51回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 西福寺(さいふくじ)に着きました。

ここの本堂は非公開ですが、夏のお盆の時期、有名な“六道まいり(8月7日~10日)”の時期には公開されますし、一昨年は「京都浄土宗寺院大公開」で公開されましたが、平日の一日のみでした。寺宝の公開で、今回を見逃しても見られるチャンスはあるので、本来はスルーする予定でしたが、今日の目的であるレストランの予約が11時30分のため、時間つぶしの意味で寄って行くことにしたんです。

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“六道の辻”と書かれた石標を下がると、六波羅蜜寺があるので、この西福寺の前も数え切れないぐらい通っていますし、門内にも入ったことはありました。

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境内の梅も咲いてました。こんなに寒いのにと感心です。実は、受付でトイレを聞いたんですが、「西福寺では無いので六波羅蜜寺でしてください」と案内されたので六波羅蜜寺へ先に行きました。

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さすがに寒いので六波羅蜜寺も空いてました。写真を撮る予定はしてませんでしたが、雪を被った六波羅は珍しいので、一枚だけ撮って戻りました。

直ぐに戻って山門をくくると右手に本堂があり、正面は庫裏でした。その庫裏の手前に臨時の拝観受付所があって、そこで拝観料600円を納めます。

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スタンプラリーは3個溜まりましたので、“ちょっこと一服”で接待を受けられます。その模様は行った時にアップします。そして、ここを訪れた最大の目的である“朱印”をお願いしました。

朱印は3種類ありました。通常時に書いてもらえる“法王殿”(今回は、どう見ても印刷でした)とあとの2種は「京の冬の旅」限定の朱印で、“阿弥陀如来”と書かれています。ここは浄土宗寺院ですので当然ですよね。その阿弥陀如来坐像の写真が印刷されてるもの、そしてもう一つは文字通り朱印で書かれてたものがありました。

この情報が入って来たので来たようなものです。そして庫裏から入り靴を下駄箱に預けて先ずは本堂に入ります。しかし・・・私の勝手な予想に反して堂内は凄い人。案内も始まってたので、最初から聞くため待ちました。

かなり待ちましたが、その間に寺宝をじっくり見学する時間はありました。そして本堂の前から案内が始まりました。

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それでも20名ぐらいで聞いています。狭い堂内を差し引いても、先程行った久昌院より人出は多かったです。堂内内陣奥には、ご本尊の阿弥陀如来坐像が祀られててて、その前で話を聞くと・・・。

葬送地・鳥辺野の入口にあたり、あの世とこの世の境「轆轤(ろくろ)町」に建つ古刹。「六波羅地蔵堂」と呼ばれる浄土宗寺院で、正式には「桂光山敬晋寺」といいます。平安時代に弘法大師空海が地蔵堂を建立したことが始まりで、大師に深く帰依していた第52代・嵯峨天皇の后・檀林皇后(橘嘉智子)は度々参拝したといいます。

天井には昭和になってから、森本 有泉(もりもと ゆうせん)画伯によって描かれた花天井に目が行きます。花天井では珍しいと言われる“ヒマワリ”もありました。

次ぎに表の看板にあるように「地獄絵図(六道十界図)」の案内です。“気分の悪い方は後で聞いて下さい”と。私は目の前で見ながら聞きました。

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これだけ多くの寺院を回っていると“地獄絵図”も何度か見ていました。ここから約5分以上も掛けて説明していただきました。

次ぎに「檀林皇后九相図」(江戸時代作)です。こちらも気分の悪い方は後で聞いて下さい”と。こちらは本当に見ていて気持ち悪くなりそうです・・・しかし、話を聞いてみると・・・。

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先程の地獄絵図と檀林皇后九相図は、お盆の精霊迎えの時期(六道まいり・8月7日~10日)のみ公開されています。料金も無料で・・・

美貌で知られた檀林皇后の、生前の姿から肉体が朽ち果て土に還るまでの姿を9つの段階に分けて描いたもので、人の世の儚さや無常を伝えています。

檀林皇后は亡くなられた時、遺言で「遺体は野晒しにしてほしい」とされました。場所は京都市右京区の「帷子ノ辻」の辺りだとか。野晒しにされた遺体は腐り始めます。胎内にガスが貯まり膨張していき、やがて破れ中から内蔵が出てきます。それに蝿やウジ虫がたかり肉は鳥が持っていき、後は骨だけになり、やがてその骨も散ってしまう・・・皆は悲しみ石塔を建てて供養しますが、それも時が過ぎ無くなってしまい・・・忘れ去られてしまう・・・という話でした。

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凄いリアルな絵図でした。こちらは最近納められたと案内された「檀林皇后像」で、座高はそんなに大きく無かったです。

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最後が「洛中洛外図屏風」(鳥瞰図)でした。期間中“寺宝”の入れ替えがあると聞いてたので、後半はどれが出されたのか・・・興味ありますが・・・2度も訪問・・・無いです

ここは予想に反して良かったですし、拝観者が多かったのも頷けます。堂内には30分弱ぐらいで出て行きました(案内が4箇所ありました)。最初の案内にもあったように入口あるお地蔵さんにお参りしてから次ぎに向かうことにしました。

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山門を入って右手が本堂です。左手には小さなお堂があって普段からいつでも、お参りは出来ます。先ずは左手の「子育地蔵」から。

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檀林皇后の皇子である正良(まさら)親王が病にかかった時、皇后が病気平癒を祈願し、親王が無事成長して後に第54代・仁明天皇として即位したことから“子育地蔵”と呼ばれるようになったといいます。

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そして正面には、「末廣不動尊」が祀られており、案内にあったように水を掛けてお参りしました。後白河法皇が那智の不動尊を勧請し、地蔵尊の守護神として祀ったのが始まりのようです。

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こちらは山門近くにあった「円福地蔵」です。石標にそう書いてあったので間違いないかと思いますが・・・。

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最後に山門を出ようとしたら、入って左手の奥に小さなお堂があって、そこに観音様が祀られました。(名前も何も分かりません)

ここには10時26分に入りましたが、直ぐに六波羅蜜寺にトイレを借りにいったので時間ロスはありますが、西福寺には11時4分に出て行きました。前にも述べましたが、祇園に会社があった時にでも“六道まいり”に寄れば良かったと今、思っています。今年はよほどの猛暑でない限り行ってみようなかぁ・・・と思いながら次ぎに向かいました。

【西福寺 本堂】



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