見頃を少し過ぎた梅を見に北野天満宮梅苑へ
3月24日(金)は、本来なら2月3日(金)に行く予定にしてた所を巡りました。2月3日・・・一生忘れてないであろう愛猫が死んだ日です。全ての予定をキャンセルしたため、この日に再度計画したわけです。
先ずは北野天満宮の梅苑に行きました。2月3日では別の所でしたが、ここだけは違います。ただ見頃は多分過ぎてるだろうとは想像できました。しかし、新聞報道では“見頃”となってます・・・多分、遅咲きが見頃なんでしょう。
北野天満宮の大鳥居前までタクシーで行きました。この日は母を連れてきたので、タクシー料金は、割引してもらえます。
石畳の長い参道を母は京都市からレンタルしている手押し車を押してゆっくりゆっくりゆっくり歩いて行きます。いつもとリズムが違うので少々・・・しんどいです。
最初は、京都三珍鳥居の一つである「伴氏社」に参拝です。道真公の母君を祭神としています。
そしてその先の最大の難関「楼門」があって、石段を登る必要があります。私が手押し車を持ち上げて先に運び、二人で母を支えます。一年前の大怪我を乗り越えてここまで歩けるようになりました。お医者さんに感謝と、リハビリを頑張っている母のリクエストに応えて、このあと食事に行きます。
梅苑は10時から開きますが、まだ9時37分・・・先に本殿のお参りを提案すると・・・梅干しを買いたいと言い出したので、ちょうど良かったです。
ここから三光門までの参道の両脇には摂社の「火之御子社」「老松社」「白太夫社」「福部社」がありますが、それより綺麗に咲いてる“梅”に目が行きます。
それで三光門をぐります。2015年3月の「七つの不思議な史蹟」巡りで、神職さんに詳しく、この門の下で話を聞きました。
さすがに“学問の神様”ですね、学生さんが多いです。春休みでも修学旅行かなぁ・・・と思いながら、少し並んで本殿前で参拝を済ませんました。
本殿前の紅梅は今が見頃でしたし、ウグイスも来てました。(女房はヒヨドリだと言ってましたが・・・。)
母と女房は、ここで梅干しを買いに社務所に行ったので、私は駆け足で境内に咲いている梅を撮りに行きました。帰りに東門から出るので西側から見て行きます。
4社相殿(夷社・松童社・八幡社・若松社)廻りの梅が綺麗に咲いていました。梅苑に入らなくても、ここの境内は綺麗な梅が咲き誇っています。
左が大杉社で、右が宗像社だと思いますが、この廻りも梅の木が植樹されたようで、ここも綺麗に咲いていました。
ここで先に梅苑の入口まで来ていた女房からLINEがあって、受付が始まったと聞いたので慌てて戻ることになりました。
入苑料は700円でお茶菓子込みです。9時50分には開きましたが、既に数名先に入られています。
受付を済ませると、豊臣秀吉ゆかりの御土居に行くコースと、茶店のある梅苑に行くコースの他に、最近造られた西広場に行くコースがあります。(どこから行こうが自由です)
北野天満宮は、道真の没後1125年の半萬燈(まんとう)祭(2027年)に向けて境内の整備が進んでいます。その手始めに2016年(平成28年)8月に完成した、御手洗(みたらし)川が流れています。
昨年8月12日~14日には、蝋燭を持って川に入って心身を清める「足つけ燈明(とうみょう)神事」の後、国宝本殿内に神宝が並ぶ「石の間」の通り抜けができるようになりました。
この橋を渡れば、綺麗に整備された西広場に出ます。皆さんここは素通りされたようで誰も居ませんでしたので、先ずは母を置いて撮影です。
晴れたり曇ったりの目まぐるしく変わる天気。この西広場の梅は今が見頃だったような気がします。
晴れるのを待ちたい気分でしたが、まだ誰も居ないので取り急ぎ奥に進むことに。ちなみにここは有料エリアですが、外からでも充分見ることは可能です。
西広場には、北野天満宮の本殿西側にあった紅梅殿が曳き家工法で移築されてます。昇殿はできませんが内部をのぞき見ることができました。
その紅梅殿の近くには「連歌所の井戸」と呼ばれる井戸もありました。立札があって読んでみましたが・・・良く分かりません。
京都では記録的に桜の開花が遅れました。東京では桜の開花のニュースが入ってきましたが、まだ梅が綺麗に咲いています。
母と女房は紅梅殿まで来ずに、この末社(豊国神社や一之保神社など)辺りの梅を楽しんでて、このあと西広場を一緒に出ました。
西広場を3人で出て、茶店まで送る予定にしてましたが、「少し御土居を歩きたい」と言ったので展望台まで一緒に来ました。
ここから紙屋川沿いの梅が見えるんですけど・・・見た所・・・見頃は終わってました・・・本当は、ここから綺麗なんですけどね。
しかし私はじっとしません。取り急ぎ紙屋川沿いを一周することにしました。その前にここから北野天満宮本殿が見えるんですけど・・・ここも展望台ができてました。
ここら本殿が一望でき、お参りもできようになっていました。本当に天満宮は目まぐるしく境内が変わっていきます。もちろん良い方にですけど・・・。
ここから紙屋川沿いに架かる鶯橋まで急いで石段を下って行きました。それより驚くことに、ここには誰も降りて来ません・・・と言うより御土居に来ないんです。
写真を撮ってみて、やっぱりここは紅葉谷と言われるだけに、梅より紅葉です。その梅も、ここでは終わってしまって・・・誰も来ないのは仕方ないかも・・・ね。
3月上旬頃に来てたら綺麗に咲き誇ったた梅も、紅葉谷では見頃終了・・・と言うことですね。私が上がるときに一組のカップルが降りて来られましたが・・・紅葉シーズンでは人で一杯になりますが・・・この時期では空いてました。
ここから急いで茶店のある梅苑に戻ると、まだ母と女房が来ていません。LINEで電話するとまだ展望台に居ると・・・普段出歩かないので、天気も良いし、運動になったらと思って連れて来ましたが、盛りは過ぎてた梅でも看て貰えて良かったと・・・思いました。
そして梅苑の入口です。見た所・・・盛りすぎです。入口では「見頃」と書いてありましたが・・・それは無いやろ・・・と、一目見て思いました。
それでも遅咲きの梅の花を探して撮りに行きました。苑内には数名の方が来てましたが、最盛期に比べたら格段に少ないです。
後は茶店でお菓子を頂きます。梅を撮りに行ってる間に、女房と母は食べてしまいましたが・・・ここのお菓子は、京菓子の老舗「老松」さんです。
ご覧のように店内はガラガラです。私が来た時は数名の方が休憩されてましたが、梅を見に出て行かれたので、このような写真が撮れました。
この日、訪れてから3日後・・・梅苑の公開は3月26日(日)を以て閉苑されました。梅苑を出たのが10時30分頃、食事は11時30分に予約していたので、まだ時間があります。そこで本日、予定の行動の2番目と3番目を入れ替えて次ぎに向かうことにしました。
受付所の手前には、前途のとおり御手洗(みたらし)川が造られました。この先が最初に訪れた西広場で苑内の梅は今一つでしたが、ここは見頃でした。
梅苑を出たら次は東門を目指します。そして三光門を通ると、その付近にある遅咲きの梅が見頃でした。この日は、有料エリアよりエリア外の方が綺麗でしたね。
また、東門近くには、石碑があって「和魂漢才碑」と書かれています。案内には、『菅家遺誡』から「和魂漢才」の語を含む二か条を記したもので、『菅家遺誡』は菅原道真の作といわれてきましたが,現在は後世の偽作だとされてるそうです。
実は、この前に“長五郎餅”のお店があって、ここで母が好きな饅頭を買う予定にしてました。ただ・・・お店が準備中のため買えず・・・ここだけは残念でした。
写真は東門近くにある末社の竃社(かまどしゃ)で、左は手水舎を撮りました。文字通り“台所の守り神”だそうですが、注目は社殿の前にある鳥居です。
「明智の鳥居」と言って、明智光秀の後裔が寄進したと伝わる鳥居です。帰ってから分かったので近くで撮れてません。
国の重要文化財に指定されてる東門は、切妻造、胴葺の四脚門。ここから境内に出ました。この向かいにも“焼き餅”の名店があるので、母は買いたそうにしてましたが、次の予定があるので我慢してもらいました。
と言うのも、ここでネットからタクシーを呼んだからです。数分で到着予定と出てたので待っていると私の前を3台“空車”のタクシーが通り過ぎていきました。
ここから次の目的地まで歩いて10分足らずですが、母の足では無理。そこでタクシーを呼んだ訳です。予定どおり数分で到着したタクシーの運転手さんに手押し車をトランクに入れてもらい次へと向かいました。
先ずは北野天満宮の梅苑に行きました。2月3日では別の所でしたが、ここだけは違います。ただ見頃は多分過ぎてるだろうとは想像できました。しかし、新聞報道では“見頃”となってます・・・多分、遅咲きが見頃なんでしょう。
北野天満宮の大鳥居前までタクシーで行きました。この日は母を連れてきたので、タクシー料金は、割引してもらえます。
石畳の長い参道を母は京都市からレンタルしている手押し車を押してゆっくりゆっくりゆっくり歩いて行きます。いつもとリズムが違うので少々・・・しんどいです。
最初は、京都三珍鳥居の一つである「伴氏社」に参拝です。道真公の母君を祭神としています。
そしてその先の最大の難関「楼門」があって、石段を登る必要があります。私が手押し車を持ち上げて先に運び、二人で母を支えます。一年前の大怪我を乗り越えてここまで歩けるようになりました。お医者さんに感謝と、リハビリを頑張っている母のリクエストに応えて、このあと食事に行きます。
梅苑は10時から開きますが、まだ9時37分・・・先に本殿のお参りを提案すると・・・梅干しを買いたいと言い出したので、ちょうど良かったです。
ここから三光門までの参道の両脇には摂社の「火之御子社」「老松社」「白太夫社」「福部社」がありますが、それより綺麗に咲いてる“梅”に目が行きます。
それで三光門をぐります。2015年3月の「七つの不思議な史蹟」巡りで、神職さんに詳しく、この門の下で話を聞きました。
さすがに“学問の神様”ですね、学生さんが多いです。春休みでも修学旅行かなぁ・・・と思いながら、少し並んで本殿前で参拝を済ませんました。
本殿前の紅梅は今が見頃でしたし、ウグイスも来てました。(女房はヒヨドリだと言ってましたが・・・。)
母と女房は、ここで梅干しを買いに社務所に行ったので、私は駆け足で境内に咲いている梅を撮りに行きました。帰りに東門から出るので西側から見て行きます。
4社相殿(夷社・松童社・八幡社・若松社)廻りの梅が綺麗に咲いていました。梅苑に入らなくても、ここの境内は綺麗な梅が咲き誇っています。
左が大杉社で、右が宗像社だと思いますが、この廻りも梅の木が植樹されたようで、ここも綺麗に咲いていました。
ここで先に梅苑の入口まで来ていた女房からLINEがあって、受付が始まったと聞いたので慌てて戻ることになりました。
入苑料は700円でお茶菓子込みです。9時50分には開きましたが、既に数名先に入られています。
受付を済ませると、豊臣秀吉ゆかりの御土居に行くコースと、茶店のある梅苑に行くコースの他に、最近造られた西広場に行くコースがあります。(どこから行こうが自由です)
北野天満宮は、道真の没後1125年の半萬燈(まんとう)祭(2027年)に向けて境内の整備が進んでいます。その手始めに2016年(平成28年)8月に完成した、御手洗(みたらし)川が流れています。
昨年8月12日~14日には、蝋燭を持って川に入って心身を清める「足つけ燈明(とうみょう)神事」の後、国宝本殿内に神宝が並ぶ「石の間」の通り抜けができるようになりました。
この橋を渡れば、綺麗に整備された西広場に出ます。皆さんここは素通りされたようで誰も居ませんでしたので、先ずは母を置いて撮影です。
晴れたり曇ったりの目まぐるしく変わる天気。この西広場の梅は今が見頃だったような気がします。
晴れるのを待ちたい気分でしたが、まだ誰も居ないので取り急ぎ奥に進むことに。ちなみにここは有料エリアですが、外からでも充分見ることは可能です。
西広場には、北野天満宮の本殿西側にあった紅梅殿が曳き家工法で移築されてます。昇殿はできませんが内部をのぞき見ることができました。
その紅梅殿の近くには「連歌所の井戸」と呼ばれる井戸もありました。立札があって読んでみましたが・・・良く分かりません。
京都では記録的に桜の開花が遅れました。東京では桜の開花のニュースが入ってきましたが、まだ梅が綺麗に咲いています。
母と女房は紅梅殿まで来ずに、この末社(豊国神社や一之保神社など)辺りの梅を楽しんでて、このあと西広場を一緒に出ました。
西広場を3人で出て、茶店まで送る予定にしてましたが、「少し御土居を歩きたい」と言ったので展望台まで一緒に来ました。
ここから紙屋川沿いの梅が見えるんですけど・・・見た所・・・見頃は終わってました・・・本当は、ここから綺麗なんですけどね。
しかし私はじっとしません。取り急ぎ紙屋川沿いを一周することにしました。その前にここから北野天満宮本殿が見えるんですけど・・・ここも展望台ができてました。
ここら本殿が一望でき、お参りもできようになっていました。本当に天満宮は目まぐるしく境内が変わっていきます。もちろん良い方にですけど・・・。
ここから紙屋川沿いに架かる鶯橋まで急いで石段を下って行きました。それより驚くことに、ここには誰も降りて来ません・・・と言うより御土居に来ないんです。
写真を撮ってみて、やっぱりここは紅葉谷と言われるだけに、梅より紅葉です。その梅も、ここでは終わってしまって・・・誰も来ないのは仕方ないかも・・・ね。
3月上旬頃に来てたら綺麗に咲き誇ったた梅も、紅葉谷では見頃終了・・・と言うことですね。私が上がるときに一組のカップルが降りて来られましたが・・・紅葉シーズンでは人で一杯になりますが・・・この時期では空いてました。
ここから急いで茶店のある梅苑に戻ると、まだ母と女房が来ていません。LINEで電話するとまだ展望台に居ると・・・普段出歩かないので、天気も良いし、運動になったらと思って連れて来ましたが、盛りは過ぎてた梅でも看て貰えて良かったと・・・思いました。
そして梅苑の入口です。見た所・・・盛りすぎです。入口では「見頃」と書いてありましたが・・・それは無いやろ・・・と、一目見て思いました。
それでも遅咲きの梅の花を探して撮りに行きました。苑内には数名の方が来てましたが、最盛期に比べたら格段に少ないです。
後は茶店でお菓子を頂きます。梅を撮りに行ってる間に、女房と母は食べてしまいましたが・・・ここのお菓子は、京菓子の老舗「老松」さんです。
ご覧のように店内はガラガラです。私が来た時は数名の方が休憩されてましたが、梅を見に出て行かれたので、このような写真が撮れました。
この日、訪れてから3日後・・・梅苑の公開は3月26日(日)を以て閉苑されました。梅苑を出たのが10時30分頃、食事は11時30分に予約していたので、まだ時間があります。そこで本日、予定の行動の2番目と3番目を入れ替えて次ぎに向かうことにしました。
受付所の手前には、前途のとおり御手洗(みたらし)川が造られました。この先が最初に訪れた西広場で苑内の梅は今一つでしたが、ここは見頃でした。
梅苑を出たら次は東門を目指します。そして三光門を通ると、その付近にある遅咲きの梅が見頃でした。この日は、有料エリアよりエリア外の方が綺麗でしたね。
また、東門近くには、石碑があって「和魂漢才碑」と書かれています。案内には、『菅家遺誡』から「和魂漢才」の語を含む二か条を記したもので、『菅家遺誡』は菅原道真の作といわれてきましたが,現在は後世の偽作だとされてるそうです。
実は、この前に“長五郎餅”のお店があって、ここで母が好きな饅頭を買う予定にしてました。ただ・・・お店が準備中のため買えず・・・ここだけは残念でした。
写真は東門近くにある末社の竃社(かまどしゃ)で、左は手水舎を撮りました。文字通り“台所の守り神”だそうですが、注目は社殿の前にある鳥居です。
「明智の鳥居」と言って、明智光秀の後裔が寄進したと伝わる鳥居です。帰ってから分かったので近くで撮れてません。
国の重要文化財に指定されてる東門は、切妻造、胴葺の四脚門。ここから境内に出ました。この向かいにも“焼き餅”の名店があるので、母は買いたそうにしてましたが、次の予定があるので我慢してもらいました。
と言うのも、ここでネットからタクシーを呼んだからです。数分で到着予定と出てたので待っていると私の前を3台“空車”のタクシーが通り過ぎていきました。
ここから次の目的地まで歩いて10分足らずですが、母の足では無理。そこでタクシーを呼んだ訳です。予定どおり数分で到着したタクシーの運転手さんに手押し車をトランクに入れてもらい次へと向かいました。