お礼参りに再訪した釘抜地蔵-石像寺(しゃくぞうじ)-へ
北野天満宮の東門からタクシーに乗って、五辻通りを東に進み次の七本松通りを北上します。そして千本通の交差点を右折し南下すると直ぐの東側に次の目的地である釘抜地蔵に着きました。正式には石像寺(しゃくぞうじ)といいます。
昨年、家の部屋の中で滑った拍子に腰の骨を複雑骨折し、その折れた骨が神経を圧迫した結果、母は大変な傷み(激痛)に苦しんでいました。そこで少しでも傷みが和らいでくれるように、ここ釘抜地蔵にお参りに来たわけです。その母も8時間の手術に耐え、一年たった今、手押し車を引いて歩けるように回復しました。現在も週3回リハビリに通っていますが、その母のたってのお願いで、ここにお礼参りがしたいとの望みを叶えるように計画しました。
この表門の前で降ろしてもらったので、殆ど歩かずに境内に入れました。ここには2016年3月5日以来の訪問です。
滑りやすい石畳のため手押し車の前に立って歩いて行きます。それにしても、ここはお年寄りの参拝者が多いです
。
表門から中門に至る短い参道をゆっくりゆっくり歩いて行きます。こんなにゆっくり歩いたらかえって疲れます、リズムが狂います
。
境内には多くの人が参拝に来られてましたが、先に手水舎に行くように案内しました。先の北野天満宮では行けなかったので・・・。
お百度をされているの数名本堂の周りを回られています。その中、本堂に案内できました。つくづく母をここに連れて来られて良かったと思う瞬間でした。
本堂の前には“大きな釘抜きの像”があります。そんなことより一刻も早く寺務所に行きたいみたいで・・・
。
本堂前にあった「賓頭盧尊像」ここは外せないので、腰と膝を入念に摩ってから母と女房は寺務所に行きました。
私は前回に行きそびれた弘法大師ゆかりの井戸を見に行きました。場所は本堂の左奥に進んで行くと墓地の入口があって、さらに進むと・・・。
墓地の中央に弘法大師が自ら掘ったといわれる井戸がありました。また、平安時代に住んでいたとされる歌人の藤原定家・家隆の墓がありました(どれか確認できないので写真は撮りませんでした)。
ここはあまり長居できないので直ぐに寺務所に戻ると・・・寺務所の方と雑談してました
。一年前の苦しい日々、ここの御守りを痛い腰に漉すって・・・擦り切れた観音様の御守りを納めて、新しい御守りをいただいてました。
本堂には、苦しみがなくなった人が納めた「2本の八寸釘と釘抜」を貼り付けた“絵馬”が奉納されています。約1000枚の絵馬がぎっしりと並んでいますが、それだけご利益があった・・・という証明ですよね。
寺務所を出て、皆さんがされてるように本堂の裏に回って、手押し車を押しながらお参りです。
先ずは、左の釘抜地蔵尊から。先程寺務所にて、蝋燭と線香をいただいたので手に持ったまま・・・後程、本堂前に納めます。
次が、鎌倉時代につくられ、重要文化財に指定されている石像弥陀三尊像です。一つの石から掘り出した石仏としては日本最古のものと伝わっていますが・・・分かってくれたかなぁ・・・。
皆さんもそうですが母も、一つづつお参りしていくので時間がかかります
。ここには10時48分に着いたので、まだまだ時間が余っているのでゆっくりお参りさせてもらいました。
本堂前で蝋燭と線香を納めて、ここを出ることにしました。結構ゆっくりできましたと言うより、母の足では仕方ないです
。病院に入ってる時から「お礼参りがしたい」と言っていたので連れて来られて本当に良かったです。
蝋燭台の裏には、このように書かれています。「ありがたや 苦ぬき地蔵の みあかりを 絶やすまいぞへ のちのみ世まで」五十枝 作
ここには、10時48分に入って、11時10分に出て行きました。予約している店は、ここから歩いて4分程度です。(私の足で
)11時30分に予約しているので、まだ20分もあります。母の足を考えても、まだまだ時間があるので、「五辻の昆布店」に寄りました。老舗の昆布店で、買い物を楽しんでもらいました。
この日のツアー
は事前に入念に調べました。本当は通常非公開の寺院にも行きたかったんですけど、先方の都合で予約できませんでした。それで、「五辻の昆布店」にしたわけです。買い物をして、そこで少しお茶をいただいてから、今日の目的地であるお店に向かった次第です。
【石像寺(釘抜地蔵) 弘法大師 井戸】

昨年、家の部屋の中で滑った拍子に腰の骨を複雑骨折し、その折れた骨が神経を圧迫した結果、母は大変な傷み(激痛)に苦しんでいました。そこで少しでも傷みが和らいでくれるように、ここ釘抜地蔵にお参りに来たわけです。その母も8時間の手術に耐え、一年たった今、手押し車を引いて歩けるように回復しました。現在も週3回リハビリに通っていますが、その母のたってのお願いで、ここにお礼参りがしたいとの望みを叶えるように計画しました。
この表門の前で降ろしてもらったので、殆ど歩かずに境内に入れました。ここには2016年3月5日以来の訪問です。
滑りやすい石畳のため手押し車の前に立って歩いて行きます。それにしても、ここはお年寄りの参拝者が多いです

表門から中門に至る短い参道をゆっくりゆっくり歩いて行きます。こんなにゆっくり歩いたらかえって疲れます、リズムが狂います

境内には多くの人が参拝に来られてましたが、先に手水舎に行くように案内しました。先の北野天満宮では行けなかったので・・・。
お百度をされているの数名本堂の周りを回られています。その中、本堂に案内できました。つくづく母をここに連れて来られて良かったと思う瞬間でした。
本堂の前には“大きな釘抜きの像”があります。そんなことより一刻も早く寺務所に行きたいみたいで・・・

本堂前にあった「賓頭盧尊像」ここは外せないので、腰と膝を入念に摩ってから母と女房は寺務所に行きました。
私は前回に行きそびれた弘法大師ゆかりの井戸を見に行きました。場所は本堂の左奥に進んで行くと墓地の入口があって、さらに進むと・・・。
墓地の中央に弘法大師が自ら掘ったといわれる井戸がありました。また、平安時代に住んでいたとされる歌人の藤原定家・家隆の墓がありました(どれか確認できないので写真は撮りませんでした)。
ここはあまり長居できないので直ぐに寺務所に戻ると・・・寺務所の方と雑談してました

本堂には、苦しみがなくなった人が納めた「2本の八寸釘と釘抜」を貼り付けた“絵馬”が奉納されています。約1000枚の絵馬がぎっしりと並んでいますが、それだけご利益があった・・・という証明ですよね。
寺務所を出て、皆さんがされてるように本堂の裏に回って、手押し車を押しながらお参りです。
先ずは、左の釘抜地蔵尊から。先程寺務所にて、蝋燭と線香をいただいたので手に持ったまま・・・後程、本堂前に納めます。
次が、鎌倉時代につくられ、重要文化財に指定されている石像弥陀三尊像です。一つの石から掘り出した石仏としては日本最古のものと伝わっていますが・・・分かってくれたかなぁ・・・。
皆さんもそうですが母も、一つづつお参りしていくので時間がかかります

本堂前で蝋燭と線香を納めて、ここを出ることにしました。結構ゆっくりできましたと言うより、母の足では仕方ないです

蝋燭台の裏には、このように書かれています。「ありがたや 苦ぬき地蔵の みあかりを 絶やすまいぞへ のちのみ世まで」五十枝 作
ここには、10時48分に入って、11時10分に出て行きました。予約している店は、ここから歩いて4分程度です。(私の足で

この日のツアー

【石像寺(釘抜地蔵) 弘法大師 井戸】