相応院(お亀の方・尾張義直の母)ゆかりの正法寺へ
石清水八幡宮門前の「やわた走井餅老舗」を出て、石清水八幡宮の一の鳥居前を通過し、東高野街道に出て約2㎞南下すると昨年の2016年11月に訪れた正法寺の門前が見えて来ました。
通常非公開の正法寺は、3月~11月(7月と8月は除く)の最終週の土日。10時30分~15時00分 で予約無しで拝観できます。門前には「本日公開しています」と立て看板が出て安心して山門から境内に入っていきました。
山門から真っ直ぐ進むと唐門があって、本来なら桜が満開の筈でした。桜の時期は3月31日(金)・4月1日(土)・2日(日)の3日間公開され1日(土)はライトアップも予定されてました。
昨年の第52回 京都非公開文化財特別公開と同じく庫裏門から入って玄関から上がります。
昨年の2016年11月に来て、直ぐの再訪には訳があって、「京都非公開文化財特別公開」では普段の公開では写真撮影がOKでも、NGが多いんです。この正法寺も玄関から先は撮影禁止でした。
そこで、寺力開催される月二回の特別公開では撮影OKとの情報を得ていたので再訪した次第です。玄関を入って拝観料を払おうとしたら「松花堂庭園との共通券があってお得です」と言われました。次ぎに行く予定にしていたので、即答で共通券1100円を納めると少しだけ待たされました。
10時30分には間に合いましたが、やっぱり遠かったです。そして奥から八幡市観光協会のボランティアガイドさんが出て来られ、その方に案内していたたきます。
最初に「案内に1時間20分程度かかりますけど、よろしいでしょうか」と話しがありました。私は11時30分に食事を予約しているので、ここを11時過ぎには出たい旨、話はしました。
先ずは庭園から見た唐門(重要文化財)の説明をされました。それよりやっぱり庭園の桜は咲いていません、例ならガイドさんも言われてましたが満開の筈だったんですけど・・・。
写真は唐門を内と外から撮ったものです。高貴の方が来られた時に開けられる特別な門で、唐破風造りと入母屋造りを組み合わせた屋根が特徴です。
次ぎに庭園の案内に移りましたが、前途のとおり時間が無いので少し“端折って“とお願いしました。
大方丈前の庭園は、白砂の綺麗な枯山水庭園でした。大方丈の中央の小さな手水鉢があって、10月のお月見には見事に月が映り込むので多くの人が来られると聞きました。
次ぎに本堂に入りました。ここは昨年の「京都非公開文化財特別公開」でも入って説明を聞いたので、ガイドさんには申し訳なかったんですけど案内を断りました。
重要文化財に指定されている本堂は、相応院(お亀の方)の発願により1630年(寛永7年)頃に竣工されました。内陣の中央にはご本尊の阿弥陀如来及両脇坐像を安置。
ここではガイドさんはマンツーマンで案内していただけます。昨年秋の京都非公開文化財特別公開では学生のガイドさんが数十人が集まってから案内されると大違いです。(写真は本堂から見た庭園と大方丈です)
次ぎに開山堂に案内に移ります。ここから初めて入る領域で、ガイドさんの話もじっくり聞きました。
開山堂の内部には入れないので、本堂の北側にある相応院のお墓を教えてもらいました。それが写真下です。相応院こと“お亀の方”は、尾張初代藩主・徳川義直の生母として知られています。
次ぎに大方丈に移動です。ここも昨年の京都非公開文化財特別公開に学生さんから詳しく話しを聞きました。
重要文化財に指定されてる大方丈を本堂前から撮りました。京都非公開文化財特別公開では襖が開いてましたが、この日は入る度に閉められます。陽が当たると風が入るのを防がれてるのでしょう。
最初に案内された部屋が「上段の間」でした。絢爛豪華なこの部屋を再び見ることができました。そして今度はこの中にも入れて貰えるという・・・私にとってはサプライズもあり感激です。
襖絵と障壁画は狩野派の画家と推測されてますが、襖絵の襖の裏側を見せていただくために入れて貰えたのが良かったです。やっぱりマンツーマンでの案内は良いですよね。
次ぎに小方丈に移動です。こちらは京都府指定文化財となっています。(写真は本堂裏から小方丈を見ています)
この小方丈は、高貴の方の休息の場です。内部は対面のための書院形式を取っています。
内部に初めて入ると、主室9畳には南側に間口二間の大床と、その東に3畳の「上段の間」が付属していました。
小方丈の裏も見せて貰いました。こちらは池泉回遊式庭園で、話を聞くと秋の紅葉は見事らしいです。(写真奥に見えている建物は書院です)
その奥に見えている書院へ移動です。京都非公開文化財特別公開時と違って、見るところが多くて・・・冒頭に「所用時間80分」と言われたことが、ここにきて納得です。
書院の中を案内を受けながら移動し、庭園を見せてもらいました。その庭園から見た小方丈です。
この書院で今夜実施されるライトアップの点検をされてました。ガイドさんも「いつもなら桜が咲いてて」と言われ「今日は枝しか・・・」と笑われてました。果たしてライトアップに来られたのでしょうか
書院だけは全景を撮れないですね。先程の小方丈や書院は、京都非公開文化財特別公開では公開されなかったし、おまけに写真撮影も禁止されたので、つくづく行かなければ良かったと、後悔しきりです。
書院も京都府指定文化財です。1707年(宝永4年)建立と伝わり、襖絵の水墨画は寛政の頃に活躍した吉田元陳筆によるのです。
書院の西側にも池泉回遊式庭園が広がっています。ここも秋の紅葉は見事らしいです。11月の最終週も公開予定となっているので再訪し必見ですよね。
書院をくまなく見ながら再び大方丈に入ります。先程が北側の部屋に入り「上段の間」に入れてもらいましたが、今度は南側の部屋でここでは「松図」を見せてもらいました。
描法から狩野探幽かその探幽につながる人物が描いたと推定されています。ここは昨年も見ているのであっさりと通過し・・・。
最後の案内は法雲殿に向かいます。再び本堂まで行き、そこから靴を履いて向かうのは前回と同じです。
靴を履いて大方丈と庭園を撮りました。カメラを向けていると、ガイドさんが「ここからの方が綺麗に入りますよ」と教えてもらい撮った一枚です。
昨年と同様、東照権現堂の前にはたらいが置いてあります。一目見て「昨年もあったわ」と思いましたが、丁寧にガイドさんが案内してくれました。
お亀さんはある日のと、男の子をたらいに入れて行水させてました。そのお亀さんは人の気配を感じて、行水させていた子供をたらいごと持ち上げて楽々と別の場所に移動させたとか、それを見ていた徳川家康が元気溢れる姿を見て側室に迎え入れました。そして「関ヶ原の戦い」の翌年に生まれたのが徳川義直で、その男の子が初代尾張藩主となりました。
“たらい”で行水させてた子は徳川義直ではありません。勘違いしやすいですけど・・・。そして法雲殿の手前には寒緋桜 (かんひざくら).が咲いてました。
唯一咲いていた早咲きの桜です。何度も言いますが、本当はソメイヨシノを期待して来たんですけど。ダメ元でガイドさんに「来週は公開ないんですよね」と。やっぱり無かったです。
この写真はあとで、拝観が終わって外から撮りました。前途した寒緋桜とセットで写真に納めてみました。
法雲殿の中には鍵を開けられて入りました。(外に出たら再び鍵を掛けられます) 中には巨大な阿弥陀如来坐像(重要文化財)が安置されています。元は石清水八幡宮の本地仏でしたが、廃仏毀釈により正法寺が引き取ることになりました。その巨大な仏像に二度目だし驚きはしませんでしたが、お参りさせてもらいました。そして奥の寺宝も見学しました。(前回何が展示されてたのか覚えてませんが、多分違ってたかと思います。)
徳迎山正法寺は、鎌倉時代の1191年(建久2年)、天台宗の寺として開祖。鎌倉幕府御家人・高田蔵人忠国が開いたとされています。室町時代後期に住持となった聖誉上人が浄土宗に改宗。のちに伝誉上人は後奈良天皇の帰依を受けて1546年(天文15年)に勅願寺となって「徳迎山正法寺」の勅額を賜りました。江戸時代に志水宗清の娘・お亀の方(相応院)が徳川家康の側室となり、後の尾張藩祖・徳川義直の母となります。その後正法寺は相応院の菩提寺となり、近世を通して尾張藩の厚い庇護を受けました。現在の伽藍は、相応院の寄進によるもので、当時の規模をそのまま保っています。
以前、京都市伏見区にある、徳川義直とお亀の方ゆかりの清涼院を尋ねました。その時、相応院の肖像画も見ましたが、実際の“お亀の方”は恰幅の良い女性だったようです。今日ガイドさんより写真を見せてもらい思わず笑ってしまいました。
清涼院の肖像画と見比べた面白いです。正法寺に伝わる肖像画は上の写真です。全然ちがうので、どらが正解なんでしょうか、考えたら面白いですね。
最後に、正法寺では「観月の夕べ」として10月4日(水)18時30分からイベントがあって、上の写真にある手水鉢に月が映り込むと聞きました。大変な人気らしいですけど、ガイドさんに聞いたので・・・宣伝しておきます。
ここを出たのが11時10分を回っていました。少し早めに歩いたら間に合いそうですが、よせば良いのに地蔵堂に雛飾りがしてあったので寄って行きました。
ご本尊の地蔵菩薩像を祀るお堂で、千体の地蔵尊もあわせて祀られています。幕末期から明治に入って当地に移されたようです。そのお堂の中に雛飾りがありました。
京都府八幡市では、4月1日から13日まで、「八幡まちかど雛まつり」が開催されています。この時期は、旧暦の雛祭りの日にあたることから、2012年(平成24年)より催されるようになりました。
正法寺を出たのが、11時15分に出てした。そこから目的地まで約1㎞ぐらい・・・多分間に合うでしょう。再び東高野街道を南下。街角の“雛飾り”を楽しみながら歩いて11時27分に目的地に着きました。
【正法寺 小方丈】
通常非公開の正法寺は、3月~11月(7月と8月は除く)の最終週の土日。10時30分~15時00分 で予約無しで拝観できます。門前には「本日公開しています」と立て看板が出て安心して山門から境内に入っていきました。
山門から真っ直ぐ進むと唐門があって、本来なら桜が満開の筈でした。桜の時期は3月31日(金)・4月1日(土)・2日(日)の3日間公開され1日(土)はライトアップも予定されてました。
昨年の第52回 京都非公開文化財特別公開と同じく庫裏門から入って玄関から上がります。
昨年の2016年11月に来て、直ぐの再訪には訳があって、「京都非公開文化財特別公開」では普段の公開では写真撮影がOKでも、NGが多いんです。この正法寺も玄関から先は撮影禁止でした。
そこで、寺力開催される月二回の特別公開では撮影OKとの情報を得ていたので再訪した次第です。玄関を入って拝観料を払おうとしたら「松花堂庭園との共通券があってお得です」と言われました。次ぎに行く予定にしていたので、即答で共通券1100円を納めると少しだけ待たされました。
10時30分には間に合いましたが、やっぱり遠かったです。そして奥から八幡市観光協会のボランティアガイドさんが出て来られ、その方に案内していたたきます。
最初に「案内に1時間20分程度かかりますけど、よろしいでしょうか」と話しがありました。私は11時30分に食事を予約しているので、ここを11時過ぎには出たい旨、話はしました。
先ずは庭園から見た唐門(重要文化財)の説明をされました。それよりやっぱり庭園の桜は咲いていません、例ならガイドさんも言われてましたが満開の筈だったんですけど・・・。
写真は唐門を内と外から撮ったものです。高貴の方が来られた時に開けられる特別な門で、唐破風造りと入母屋造りを組み合わせた屋根が特徴です。
次ぎに庭園の案内に移りましたが、前途のとおり時間が無いので少し“端折って“とお願いしました。
大方丈前の庭園は、白砂の綺麗な枯山水庭園でした。大方丈の中央の小さな手水鉢があって、10月のお月見には見事に月が映り込むので多くの人が来られると聞きました。
次ぎに本堂に入りました。ここは昨年の「京都非公開文化財特別公開」でも入って説明を聞いたので、ガイドさんには申し訳なかったんですけど案内を断りました。
重要文化財に指定されている本堂は、相応院(お亀の方)の発願により1630年(寛永7年)頃に竣工されました。内陣の中央にはご本尊の阿弥陀如来及両脇坐像を安置。
ここではガイドさんはマンツーマンで案内していただけます。昨年秋の京都非公開文化財特別公開では学生のガイドさんが数十人が集まってから案内されると大違いです。(写真は本堂から見た庭園と大方丈です)
次ぎに開山堂に案内に移ります。ここから初めて入る領域で、ガイドさんの話もじっくり聞きました。
開山堂の内部には入れないので、本堂の北側にある相応院のお墓を教えてもらいました。それが写真下です。相応院こと“お亀の方”は、尾張初代藩主・徳川義直の生母として知られています。
次ぎに大方丈に移動です。ここも昨年の京都非公開文化財特別公開に学生さんから詳しく話しを聞きました。
重要文化財に指定されてる大方丈を本堂前から撮りました。京都非公開文化財特別公開では襖が開いてましたが、この日は入る度に閉められます。陽が当たると風が入るのを防がれてるのでしょう。
最初に案内された部屋が「上段の間」でした。絢爛豪華なこの部屋を再び見ることができました。そして今度はこの中にも入れて貰えるという・・・私にとってはサプライズもあり感激です。
襖絵と障壁画は狩野派の画家と推測されてますが、襖絵の襖の裏側を見せていただくために入れて貰えたのが良かったです。やっぱりマンツーマンでの案内は良いですよね。
次ぎに小方丈に移動です。こちらは京都府指定文化財となっています。(写真は本堂裏から小方丈を見ています)
この小方丈は、高貴の方の休息の場です。内部は対面のための書院形式を取っています。
内部に初めて入ると、主室9畳には南側に間口二間の大床と、その東に3畳の「上段の間」が付属していました。
小方丈の裏も見せて貰いました。こちらは池泉回遊式庭園で、話を聞くと秋の紅葉は見事らしいです。(写真奥に見えている建物は書院です)
その奥に見えている書院へ移動です。京都非公開文化財特別公開時と違って、見るところが多くて・・・冒頭に「所用時間80分」と言われたことが、ここにきて納得です。
書院の中を案内を受けながら移動し、庭園を見せてもらいました。その庭園から見た小方丈です。
この書院で今夜実施されるライトアップの点検をされてました。ガイドさんも「いつもなら桜が咲いてて」と言われ「今日は枝しか・・・」と笑われてました。果たしてライトアップに来られたのでしょうか
書院だけは全景を撮れないですね。先程の小方丈や書院は、京都非公開文化財特別公開では公開されなかったし、おまけに写真撮影も禁止されたので、つくづく行かなければ良かったと、後悔しきりです。
書院も京都府指定文化財です。1707年(宝永4年)建立と伝わり、襖絵の水墨画は寛政の頃に活躍した吉田元陳筆によるのです。
書院の西側にも池泉回遊式庭園が広がっています。ここも秋の紅葉は見事らしいです。11月の最終週も公開予定となっているので再訪し必見ですよね。
書院をくまなく見ながら再び大方丈に入ります。先程が北側の部屋に入り「上段の間」に入れてもらいましたが、今度は南側の部屋でここでは「松図」を見せてもらいました。
描法から狩野探幽かその探幽につながる人物が描いたと推定されています。ここは昨年も見ているのであっさりと通過し・・・。
最後の案内は法雲殿に向かいます。再び本堂まで行き、そこから靴を履いて向かうのは前回と同じです。
靴を履いて大方丈と庭園を撮りました。カメラを向けていると、ガイドさんが「ここからの方が綺麗に入りますよ」と教えてもらい撮った一枚です。
昨年と同様、東照権現堂の前にはたらいが置いてあります。一目見て「昨年もあったわ」と思いましたが、丁寧にガイドさんが案内してくれました。
お亀さんはある日のと、男の子をたらいに入れて行水させてました。そのお亀さんは人の気配を感じて、行水させていた子供をたらいごと持ち上げて楽々と別の場所に移動させたとか、それを見ていた徳川家康が元気溢れる姿を見て側室に迎え入れました。そして「関ヶ原の戦い」の翌年に生まれたのが徳川義直で、その男の子が初代尾張藩主となりました。
“たらい”で行水させてた子は徳川義直ではありません。勘違いしやすいですけど・・・。そして法雲殿の手前には寒緋桜 (かんひざくら).が咲いてました。
唯一咲いていた早咲きの桜です。何度も言いますが、本当はソメイヨシノを期待して来たんですけど。ダメ元でガイドさんに「来週は公開ないんですよね」と。やっぱり無かったです。
この写真はあとで、拝観が終わって外から撮りました。前途した寒緋桜とセットで写真に納めてみました。
法雲殿の中には鍵を開けられて入りました。(外に出たら再び鍵を掛けられます) 中には巨大な阿弥陀如来坐像(重要文化財)が安置されています。元は石清水八幡宮の本地仏でしたが、廃仏毀釈により正法寺が引き取ることになりました。その巨大な仏像に二度目だし驚きはしませんでしたが、お参りさせてもらいました。そして奥の寺宝も見学しました。(前回何が展示されてたのか覚えてませんが、多分違ってたかと思います。)
徳迎山正法寺は、鎌倉時代の1191年(建久2年)、天台宗の寺として開祖。鎌倉幕府御家人・高田蔵人忠国が開いたとされています。室町時代後期に住持となった聖誉上人が浄土宗に改宗。のちに伝誉上人は後奈良天皇の帰依を受けて1546年(天文15年)に勅願寺となって「徳迎山正法寺」の勅額を賜りました。江戸時代に志水宗清の娘・お亀の方(相応院)が徳川家康の側室となり、後の尾張藩祖・徳川義直の母となります。その後正法寺は相応院の菩提寺となり、近世を通して尾張藩の厚い庇護を受けました。現在の伽藍は、相応院の寄進によるもので、当時の規模をそのまま保っています。
以前、京都市伏見区にある、徳川義直とお亀の方ゆかりの清涼院を尋ねました。その時、相応院の肖像画も見ましたが、実際の“お亀の方”は恰幅の良い女性だったようです。今日ガイドさんより写真を見せてもらい思わず笑ってしまいました。
清涼院の肖像画と見比べた面白いです。正法寺に伝わる肖像画は上の写真です。全然ちがうので、どらが正解なんでしょうか、考えたら面白いですね。
最後に、正法寺では「観月の夕べ」として10月4日(水)18時30分からイベントがあって、上の写真にある手水鉢に月が映り込むと聞きました。大変な人気らしいですけど、ガイドさんに聞いたので・・・宣伝しておきます。
ここを出たのが11時10分を回っていました。少し早めに歩いたら間に合いそうですが、よせば良いのに地蔵堂に雛飾りがしてあったので寄って行きました。
ご本尊の地蔵菩薩像を祀るお堂で、千体の地蔵尊もあわせて祀られています。幕末期から明治に入って当地に移されたようです。そのお堂の中に雛飾りがありました。
京都府八幡市では、4月1日から13日まで、「八幡まちかど雛まつり」が開催されています。この時期は、旧暦の雛祭りの日にあたることから、2012年(平成24年)より催されるようになりました。
正法寺を出たのが、11時15分に出てした。そこから目的地まで約1㎞ぐらい・・・多分間に合うでしょう。再び東高野街道を南下。街角の“雛飾り”を楽しみながら歩いて11時27分に目的地に着きました。
【正法寺 小方丈】